8 / 10

8

 高級ホテルを貸し切り、食道楽に溺れ、性的な快楽を追求する。  オーケストラが生演奏をする大広間にはソファやベッドが置かれ、寝そべりながら飲み食いができ、愛玩用の獣人をはべらせ、性的な奉仕をさせているαも少なくない。  そう言うαは俺を牽制するように鋭い目を向けてくる。  獣人の人権を保証しようと言う俺は、彼らの奴隷を奪う略奪者でしかない。  人間のαが築いた帝国。パーティーはその縮図だ。  近くのソファでも三人の獣人に首輪に鎖をかけ、配膳や性処理をさせている女のαがいた。政治家の川南由沙実(かわなゆさみ)だ。酒を注がせ、男の獣人のΩに股を舐めさせている。  淀んだ目を尖らせて俺を睨み付けている。  俺が笑顔で会釈すると、不気味に口許にだけ笑みを浮かべて会釈を返してきた。そして、Ωを引っ張り上げ自分の上に乗せた。  濡れた声が上がるが、気にする者はいない。  まさにらんちき騒ぎだ。  警察絡みのパーティーなだけあり、参加者のほとんどは警察関係者だが、政治家や軍人、よく見れば堅気ではない者も混ざっている。まさに魑魅魍魎の巣窟だ。 「遅かったね。楽しんでいるかい」  不意に声がして、振り向いた。 「倉本社長」  青い光沢のあるスーツに身を包んだ倉本政一郎が不敵な笑みを浮かべる。 「川南先生は新しい犬を見せたくて仕方がないようだ。今年に入って彼は二匹目だそうだよ」 「二匹目、と言うと……」 「ああ、そうだ」  政一郎は目を細めた。  通常、愛玩用の獣人にかける金は最初の購入費用だけだ。後は見た目を引き立てるために着飾らせたりするだけで、医療に金をかけたりはしない。  つまり、孕めば無理矢理堕胎させるのだ。また使えるのなら使用を続行。しかし、無理に流産させられた母体が弱って命を落とすことも多い。  今、由沙実の上にいるのは使い捨てられる運命の二人目だ。 「君は獣人の自由を謡うが、彼らはもはや飼い慣らされた犬だよ。人間に愛でられることでしか、活路を見いだせない」  俺は政一郎を見つめた。 「何か、言いたいことでも?」  政一郎が挑発するように片眉を上げる。 「いえ」  刹那的な喜びを一晩中繰り返す凶悪なほど絢爛たる宴と、酒池肉林に溺れる人々。  これを異様と思うものはここにはいない。 「そう言えば、君の父上から君の名義で贈り物を頂いたんだが」 「……そうですか」 「その様子だと、どんな贈り物かはわからないみたいだね」 「興味ありませんから」  呼ばれた俺が手ぶらで行くことを見越して、父が選んだのだろう。どうせ、趣味の悪い宝飾品に決まっている。 「興味は示した方がいいと思うけどねえ」 「……はい?」 「先にこっちを見てもらおうか」  政一郎が指をパチンと鳴らした。  すると、首輪のない灰色の犬が駆け寄ってきて、政一郎の足元に座った。尻尾が短い。シェパードのような、ハスキーのような体に不釣り合いな短さだった。その犬の頭を撫でながら、しゃがんで懐から首輪を取り出した。  その瞬間、大人しかった犬が怯えたように高い声を出して腰を引く。 「折檻だと思っているのか? 違う。見せてやるだけだ」  そう言葉をかけたとき、犬の目に知性を感じてハッとした。  まさかこの『犬』は。  首輪をつけると、ぶるりと震えて、灰色の髪の少女が現れた。灰色の長いスカート姿で、床にへたり込むように座り、腕で半身を支えている。 「本物の犬より頭がいい。子どもの頃からしつければ従順で、いいペットになる」  再度、政一郎が頭を撫でると、彼女は抵抗せず、むしろどこか嬉しそうに政一郎に身を任せている。 「子どもの頃からと言うと」 「借金の形だよ。明日の飯のために子どもを平気で手放す獣人もいる。君はまるで獣人たちが善良で美しいだけの神のように崇めているが、人間と同じように我が子を悪魔に売り払ってでも地獄から抜け出そうとする者もいる」 「……だからと言って、虐げていい理由にはなりません」 「君には彼女が虐げられて涙を流しているように見えるかい?」  少女は這い寄って、人懐こい犬さながら政一郎に頬を擦り付けている。  政一郎の屁理屈に呆れたが、そんなことより、彼女が這っていることの方が気になった。先ほどまで獣の姿で走っていたのに。  彼女の足を見ていることに気づいた政一郎が口を開く。 「頭の中が花畑な君は知らないだろうが、獣人と言っても彼らは人間と交配を重ねて来た結果、我々以上に本能に対する抗体がなく、力も弱い。 家畜化によって狼が犬になるように、人間社会で暮らす獣人は、愛玩動物として進化してきた一族と言えるだろう」 「つまり、我々人間にとって獣人は家畜であるとおっしゃりたいんですね。歴史がどうであろうと」 「変化を受けて適応し、生きるために変化したのは彼らの方だ」 「そして、猫に鈴をつけるように尾を切り、人の姿では歩行できないようにした……」  尾はおそらく、人の姿になる時、背骨に変わる。狼の姿で尾を切られれば、歩くために獣の姿でいるしかない。  首輪をつければ強制的に人の姿になる。脱走も防止できると言うことだ。 「ヘドが出る……かい?」  政一郎が少女から首輪を外した。  獣の姿になった彼女は政一郎の周りをうろうろして、指示を待っているのか主人の顔を見上げている。  俺は答えず、目を閉じた。 「君はある意味、清廉潔白だ。こういう場を嫌い、即物的な快楽に抗う力がある。羨ましいとさえ思う」 「白々しい」 「そうだろうね。羨ましいと思いもするが、その美しさの土台は愛する獣人の死によるトラウマだとすれば、少しも魅力を感じない」 「……は?」  まるで月懐と俺のことを知っているような口ぶりだった。だが、そんなはずはない。月懐とのことは、月懐の両親くらいしか知らないはずだ。事件の時ですら、俺の両親は獣人に対して無関心だったのだから。  無関心だったはず……。  政一郎が顔を近づけてくる。 「ここだけの話。うちの妹は君にかなり好意を寄せている。箱入り娘で頭が弱いためか、君を弱きを助け悪を挫く正義の味方……言い換えれば、白馬の王子さまだと思い込んでいてね」  どこで俺の存在を知ったのかわからないが、仕事柄、メディアへの露出は多い。顔を知られているとしても不思議はないが、会ったことがない相手に対して恋愛感情を抱くなんて、アイドルに憧れるファンと変わらない。  それくらい、政一郎もわかっているはずだ。 「……俺とつがいにさせて、俺の事業を乗っとるつもりですか」 「人聞きが悪いな」  妹を使い、俺を傘下に入れることで黙らせるつもりなのだろうか。そうなれば、厄介なΩも追い払えて一石二鳥と言うやつだ。 「まあ、君も金を得るチャンスだ」  ここで倉本家の不興を買えば他の会社からの融資も受けられなくなるだろう。それどころか、会社の経営にも影響が出る可能性がある。 「倉本の家に入るくらいなら、俺は全て捨てて一からやり直しますよ。名も顔も変えて」 「それはおすすめしないな」 「何故です」 「今にわかる」  政一郎は腕時計を確認しながら言った。 「今日は瑠璃が愛玩用に贈答された獣人の尾を切る。尾を切られた後、獣人は歩けない体を嫌い、獣の姿でいることを好むようになる。 そうすると人らしさが徐々に失われ、単純な快楽を刺激と結びつける従順な犬になる」 「……さっきの娘のように、ですか」 「好きなだけ蔑むがいい。だが、そうしなければ生きていることさえ辛いという獣人もいることを忘れるな」  政一郎はポケットに手を入れ、真っ直ぐ俺を見た。  確かに、俺もそれは理解できる。俺だって辛い過去を忘れられるなら、犬になって優しくしてもらいたいと願うかもしれない。  それとも、死を選ぶだろうか。  月懐がそうしたように。 「何を夢見ているか知らないが、人と言う生き物は弱い。 科学に頼り、誰も彼もが薬を手放せない。鎮痛剤、解熱剤、ステロイド、抑制剤……。人は薬がなくては生きていけない」  一体、何の話かと思っていると、不意に照明が消えて、フロアの最奥のステージに明かりが点った。  スポットライトを浴びるようにして立っていたのは、初老の男と小柄な少女だった。初老の男は品のいいスーツをまとっている。少女の方は、成人すると聞いていたが、フリルのついた幼い印象のドレス姿で、どこかぼんやりした様子で客たちを見ている。  初老の男は政一郎の父、少女は妹だろう。  政一郎が傍らで笑った。  初老の男、久彰がマイクを手にすると挨拶を始めた。 「皆さまお忙しい中、我が娘、瑠璃のためにお集まりいただき感謝します」  拍手が起こるが、明かりが差すステージの奥から聞こえてきた騒音にフロアが静まり返る。 「ご心配ご無用。旧知の友からの贈答品でございます」  再び金属がぶつかるような激しい音がした。そして、それが明かりの下に現れた瞬間、俺は考えるより先にステージに向かって走っていた。  客からはびりびりとした興奮が伝わってきた。  台座に載せられて現れたのは檻。その中には暴れる狼がいた。俺がよく知る、黒毛の狼。  夜一だった。  ステージに上がろうとする俺を護衛が押さえつけに来る。 「どけ!」  俺はスーツ姿の護衛を突き飛ばし、ステージに上がった。 「枩吏さま」  鈴のような声がした。  政一郎の妹、瑠璃の声だった。  彼女は俺に駆け寄ってきて、感動の再会とでも言うような感じで抱きついてきた。そのまま、キスをするように顔を近づけてくる。 「っやめろ」  強引に引き離すと、不満げに瑠璃がドレスを握りしめる。 「なぜです? 瑠璃はずっとずっとお待ちしていましたのに」  そもそも会う約束もなにもないのに「待っていた」とは滑稽だ。  俺が檻を見ると一瞬、夜一と目が合った。そしてすぐ格子に体当たりを見舞う。激しい音がした。  檻のサイズは夜一の体の大きさとぴったりで、尾は外に出ている。体の向きを変えることもできない状態で夜一は何度も檻を破ろうと体当たりを繰り返していた。 「夜一……!」 「君のお父上が瑠璃に、と」  久彰がマイクを通さず言った。  そうだ。そう、電話があった。  服を処分したいと言われた。夜一は俺の服のにおいに騙されて捕まったのか。  俺は夜一の檻を背にして久彰を見る。 「彼をあんな檻に入れて何のつもりだ」 「口のきき方には気をつけたまえ。そもそも、血統書もない保護犬に新しい家を与えてやろうと」  久彰の話の最中にも関わらず、ガシャンガシャンと夜一は檻に体を叩きつけている。こんな場所に連れてこられて腹が立つのはわかるが、狼の姿のまま、あんながむしゃらに暴れまわるのは彼らしくない。  話を遮られ久彰は不快そうに眉を寄せ、マイクを手にした。 「皆さま、失礼いたしました。この通り、このケダモノは野良だったために気性に少々難があります」  違う。  俺は叫んだが、周りは怯えた目をして夜一を見ている。  夜一は口吻を泡まみれにして唸り、無駄だとわかっているはずなのに檻に体当たりするのを止めない。その姿には狂気さえ感じる。 「夜一、やめろ。夜一!」  異常なほど興奮している。さっきは目が合ったのに、今はもう何も見えていないし、聞こえていないようだった。  興奮作用のある薬でも使われたのだろうか。  こんな、言葉も交わせない、まともに触れることさえできないこれが、四年ぶりの再会だなんてあんまりだ。  政一郎は、瑠璃が尾を切ると言っていた。つまり、夜一の尾を切って一生、人の姿では歩けない体にするということだ。  だめだ。そんなことはさせられない。 「人になれよ、夜一。人に戻るんだよ!」  格子を掴んで声を上げても、夜一は唸って暴れるだけだ。口上を述べ終えた久彰が娘に大きな鋏を持たせた。  鋏を持ってぼんやりする瑠璃に久彰が何か囁く。そして手で護衛に合図を送った。  舞台袖にいた護衛たちが向かってくる。  俺は格子を掴んで揺さぶった。 「夜一! いい加減に目を覚ませ、頼むから、夜一っ!」  どれだけ声を上げてもそれらしい反応はない。  瑠璃が俺を呼ぶ。 「枩吏さま」  お伽の国に住んでいる虚ろな目の瑠璃は「今、お助けいたします」と訳のわからないことを言いながら鋏を構え、にこにことこちらへ近づいてくる。  彼女は久彰の道具でしかない。何を吹き込まれたか知らないが、夜一の尾を切ることが俺を助けることになると本気で信じている。 「大丈夫、大丈夫ですよ」  瑠璃の後ろから護衛が来て、俺の肩を掴む。  引き離されたら終わりだ。  俺は咄嗟に手を檻の中へ入れた。  その瞬間、夜一の口が開いた。  鮮血が飛ぶのと瑠璃が叫ぶのがほぼ同時だった。フロアからも悲鳴が上がる。  俺の肩から護衛の手が離れた。  夜一の牙が俺の腕にがっちりと食い込む。ぼたぼたと血が流れ、檻の中に肘を伝って流れた赤の水溜まりができた。  腕を噛ませていれば無理に引き離されることはない。俺の腕を引きちぎりでもしないかぎり。  血のにおいでさらに興奮したのか、夜一の顎に力が入り、骨が軋んで頭にまで届く激痛が走る。 「馬鹿なやつ……」  四年も前のお前との会話を覚えている。お前との時間が未だに、それこそ、月懐との日々のようにいつまでも輝いているのは、そこに特別な思いがあったからだ。  なあ、夜一。  お前は俺のにおいを知っている。だから、服のわずかなにおいにも反応したんだろう? あの父親でさえ、俺の変化からお前の存在を感じ取ったのに、俺は恥ずかしいくらい鈍感だった。  あの日。黄昏の足音を聞きながら俺が過去をお前に打ち明けた日。  今ならお前が何を言おうとしていたかわかる。  お前が優しさで殺した気持ち。でも、殺しきれなかったそれが、お前をこんな場所に縛りつけることになった。  俺はいつも自分本意で、誰かのためと思いながら自分のわがままを押し付けるだけのだめな男だ。  笑ってくれ。俺なんかに変えられるほど、法律は、世界は甘くない。そしてきっと、誰も望んじゃいない。  それに気づくのにずいぶん、時間がかかってしまった。  俺が今日ここへ来たのは、つき合いや金のためじゃない。  この世界と決別するためだ。 「帰ろう」  お前が許してくれるなら、俺はあの山でお前と暮らしたい。また、お前と並んで走りたいんだ。  お前を失う前に。 「帰ろう、夜一」  語りかけると夜一の目に知性が戻った。  そして俺の腕から口を離すや否や、檻を横倒しにする。天井部分だった格子に体当たりをして、錠前を壊すと人の姿で檻を出た。  その瞬間、会場の人間は出口に殺到し、罵声罵倒の嵐がわき起こる。  それとは正反対にステージ上では、泣き叫ぶ瑠璃以外、檻を破る獣人の登場により、緊張による沈黙が下りていた。  夜一は口や胸元が俺の血で濡れていて、他人にはいかにもおぞましく見えるに違いない。  夜一は周りを取り囲む護衛たちを見回し、それから俺を見た。 「松風?」 「そうだよ」  四年経って、夜一は相変わらず美しく、野生の苛烈さを感じさせる鋭い目をしていた。 「なっ、あ、あり得ない!」  久彰が泣きじゃくる瑠璃に負けない大声を出す。  夜一が俺を庇うように立った。 「調教用の獣化させる薬だぞ! 人に戻るなんて……檻まで壊して……」 「ですから、ご忠告致しましたのに」  俺たちの背後から急に政一郎が現れた。  夜一がうなじの髪を逆立てて警戒する。  だが、政一郎は冷静なもので、俺に微笑みかけて軽く手を振った。 「いい気概だったよ。見直した」 「……そりゃ、どうも」  政一郎は俺たちの前まで歩み出て、妹の瑠璃や父親である久彰と向かい合う。 「なんの真似だ、政一郎」 「あの薬は人間社会で生きる獣人にしか効かないと、始めに言ったはず。狼と犬が違う生き物であるように、野で捕まえたこの獣人に『犬用』の薬がきちんと作用するはずがありません」 「そんな、馬鹿なっ。獣人は獣人ではないかっ」  頭を抱える久彰を尻目に、政一郎は近くにいる護衛を呼びつけた。  夜一がその男に飛びかかろうとすると「お馬鹿」と政一郎が夜一の服の裾を掴む。 「お前が噛んだ壮代の手当てをさせるんだよ。そのままだと血が足りなくて死ぬ」  政一郎の言葉に夜一が俺を見た。  政一郎も俺を見ている。  いけすかない男だが、確かにこのままだと俺は失血死する気がする。  ひとまず政一郎を信用することに決め、護衛の男に腕を見せた。  止血の処置を受けながら「借りだとは思わないからな」と政一郎に告げれば「利益のない貸しはしない」とすげなく返された。  政一郎は他の護衛に父親と妹を任せ、自分は俺たちと来るつもりのようだった。 「さて、病院に行こうか。救急車がホテルの裏につく頃だ」 「呼んだのか?」 「まあね」  護衛の男に抱えられて立ち上がったが、目眩がして歩くことができない。思っていたより、本格的にまずいのかもしれない。  だが、だからと言って同じ体格の護衛ひとりに俺を抱えろと言うのは酷だし、そんな不安定な運ばれ方は嫌だ。  それならばと、夜一を見る。夜一なら難なく俺を運べるはずなのに、一歩引いて近づいてこない。  政一郎が俺の視線に気づき、夜一を見た。 「男のαの体を護衛とは言えβに担がせるつもりかい」 「……正直、本調子とは言えない。いつまた、ああなるか……」 「夜一」  呼びかけるとビクリとして俺を見る。何だかその様子が怯えた子犬のようでおかしくなる。 「松風、お前はああ言ってくれたが、わたしは」 「うだうだ言ってねえで、とりあえず下まで運んでくれ。俺が言ったことに文句があるなら道中聞くから」 「文句があるわけでは……」  夜一は途中まで言いかけて、諦めたように俺を抱き抱えた。腕を怪我しているから必然的に横抱きになる。  意識だけはしっかりしていたはずなのに、夜一の腕に抱かれた瞬間にぐっと引っ張られるように意識が遠退くのを感じた。 「松風?」  それに返事をする前に俺は意識を手放した。

ともだちにシェアしよう!