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新しい出会い
「仕事の途中で寄っただけだから」
颯人さんは用件だけ済ませると、一太の頭を撫でてくれて、そそくさと帰っていった。彼もまた一度も茨木さんと目を合わせる事はなかった。
「未知ちゃん、颯人には気を付けろよ」
彼を見送ったあと、茨木さんがふとそんな事を口にした。
「身内を悪くは言いたくないんだが、高校卒業と同時に家を出て、今の今まで数えるくらいしか実家に帰ってきたことがないあいつが、しょっちゅう顔を出すようになったのには、何か裏があるかもしれない。実の母親の葬儀にも颯人は来なかった」
茨木さんは、コーヒーを淹れながら一太に目を遣った。
「実の親でさえ平気で自分の子を殺す時代だ。惨たらしい子供の虐待死のニュースもあとをたたない。一太を守れるのは未知ちゃんしかいないんだ。付き合う前に、そこをよくよく考えるんだよ」
彼の言うことはもっともだ。
一太を守れるのは母親であり、父親でもある僕しかいないもの。
いつも持ち歩いているメモ帳とボールペンをポケットから取り出した。
【ちゃんと断るから】
「あぁ、それがいい」
兄に居場所を見つからないようにしないといけない。同級生から聞いた話しだけど、今も諦めずしつこくあちこち手を尽くして探し回っているみたい。
彩さんとは随分前に離婚したと、人伝に聞いた。
夕方まで働いて、右腕で太一を抱っこし、左手に茨木さん特製のお弁当が入ったマイバックを下げて自宅のある市営住宅へと帰るのが日常の光景。
築間もない新棟を横目に奥に進むと、高度経済成長期に建築され老朽化が著しい古びた市営住宅が見えてきた。そこの一階の右端の部屋が僕と一太の小さなお城。
茨木さんに身元保証人になって貰い、何度も役所に通いようやく入居を認めてもらった。未成年で未婚の母になった僕に向けられる世間の目は冷たい。トランジスターに対しての認知度はまだまだ低い。こんなにも風当たりが強いとは思ってもみなかった。
でも一太のためなら、どんだけ好奇の目に晒されても我慢出来る。辛抱出来るから不思議だ。
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