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第11話:悪夢の来訪

 部屋を出てから十分ほどで到着したS署の捜査会議室には、夜も更けているというのに多くの刑事達で埋めつくされていた。  だが、室内にいるのはどれも見知った顔ばかり。ということは、事件がまだそれほど大きくなっていないのだろう。ただ、それでも手が空いている班の人間全てが集められているということは、即時解決できなければ警視庁本部の刑事達が加わる捜査本部が立つ可能性もあるということを示している。一目で状況を把握した隆司は、気をひきしめて同じ班の仲間の下へ駆けよった。 「遅くなりました」 「いや、こっちも帰らせたばかりなのに呼び出して悪かったな」 「大丈夫です。それで事件の方は?」 「詳しいことは追加資料待ちだが、男が未成年の少年数人を拉致監禁して、性的暴行を加えたんだと。命に関わるような酷い怪我をした子はいないが、まだ一人、犯人の手元に残ってるらしい。こりゃ一刻を争うぞ」  仲間の刑事から簡単な説明を受け、捜査資料を渡される。資料によると、つい今し方起こった事件は複数の少年達が、S署の管轄交番に逃げこんできたことから発覚したというものだった。  全身傷だらけで警察に助けを求めた少年達の話によると、被害者は皆、繁華街で犯人の男に声をかけられ、金銭目当てで後をついていったところをナイフで脅されて監禁されたのだそうだ。  その少年達を監禁したとされる犯人の名が、木尻厚志。 「っ!」  資料でその名と免許証用の写真を見た瞬間、隆司は内臓を思いきり掴まれたような感覚に襲われた。  徐々に不安が濃くなり、動悸も速くなる。  女を惑わせるにはもってこいの甘い容貌に、やや髪が長めの、ホストのような男。今にも聞いて呆れそうな口説き文句を口に出しそうなこの男の顔を、隆司は知っていた。  それは木尻が――――、以前湊に暴力を振るっていた元恋人だったからだ。  まさか、こんなところで木尻の名を目にするとは思わなかった。複雑な思いを抱きながら、資料の続きを読む。  木尻厚志、三十四歳。職業は無職。一年前まで大手企業で働いていたが、未成年者への猥褻行為で逮捕されたことで、会社を解雇されたらしい。しかも驚くべきことに、木尻は現在も前回の罪の執行猶予中だと記されてる。  警察のデータベースに残された犯罪歴を読んで、隆司は思わず頭を抱えそうになった。まさか木尻が前科者だったとは。一度は会ったというのに調べておかなかったことを悔やみ、隆司は奥歯を鳴らす。そして更に焦りが強くなった。  幾ら元恋人が事件を起こしたからと言って、今現在行方が分からない湊が関わっているとは言えない。なのにどうしてだろう、何故か胸騒ぎがおさまらないのだ。  これが田島の言っていた刑事の勘、なのだろうか。聞いてみたいが、田島はまだ現場に復帰していない。要するに、この不安を解消させるには、木尻の身柄を迅速に確保するしかないということ。隆司は頭から陰鬱な気分を追い出して、仕事に切りかえた。  「それで、未だ木尻の下に残ってる被害者は――――」  資料には乗っていない被害者の情報を聞こうとする。その時。 「長谷部さん」  背後から、聞き覚えのある声が届いた。振り向くと、そこにはつい先日会って酒を酌み交わしたばかりの親友の顔があって、隆司は酷く驚く。 「何……でここに……?」 「長谷部さん、ちょっとお話があるので、一緒にきてもらってもいいですか?」  S署署長の隣に立つ厳しい表情の克也は、隆司の質問に答えることなく静かな声色で一緒にこいとだけ言うと、さっさと会議室の外へと出ていってしまう。 「オイ、長谷部、お前何かしたのか? 署長に呼ばれるなんて……」  克也達が会議室からいなくなったところで、仲間達が青い顔をして隆司の側へと寄ってくる。 「い……や、そんなことは……」  どうやら克也がキャリアだと知らない仲間達は、克也よりもその隣にいた署長のほうに目がいったらしい。署長に呼ばれたことを何かの不祥事かと懸念した仲間達が険しい顔をこちらに向ける。隆司は首を横に振って否定したが、今はそれよりも克也が何故S署にいるのかという事実のほうが気になっていた。 「とりあえず、行ってきます」  矢継ぎ早に飛ぶ仲間内からの質問をかわして、会議室の外へと出る。すると外で待っていた克也が隣の小会議室を指差して、再び歩きだした。  二人だけで話がしたい。そう察した隆司は、何も言わずに後をついていく。 「――――あんなところで急に呼び出してごめん。他の人達に変な目で見られたよね?」  小会議室に入り、扉を閉めたところで克也が親友の顔に戻る。 「いや、まぁ、でもそこは大丈夫だろう。それよりお前がどうしてここに?」 「うん……ちょっとね、上から所轄で捜査の勉強をしてこいって」 「上から? 何だよお前、捜査一課の管理官になったのか?」 「昨日からね」  管理官というのは、警視庁捜査一課に所属し、大きな捜査本部ができた時に現場を統括する責任者のようなもの。だが、かなり大きな事件でなければ、捜査本部が作られることはないのだが――――。 「……このヤマ、本部も加わる可能性が高いってことなのか?」 「現時点では五分五分といったところかな。だから僕みたいな下端キャリアに出向命令が出たんだと思う。まぁ、それは置いておいて、今回の事件なんだけど……」  事件の話に戻った途端、克也の顔が厳しいものになる。警察官になって初めて見るそんな顔に、隆司はそれだけで緊張を覚えた。  「もしかしたら、隆司を外すことになるかもしれない」 「俺を? 何でだっ?」  何の前触れもなく捜査から外されると言われ、驚愕した隆司は覚えず叫んでしまう。しかし克也のほうは予想がついていたのか、目の前で声を荒げてもさほど驚かなかった。  「……ついさっき、木尻に監禁されてる被害者のことが分かったんだけど、それがどうやら湊君……みたいなんだ」  克也の口から湊の名が飛びでた瞬間、心臓が止まりそうになった。  捜査に参加できないかもしれないという動揺や怒りが、一瞬でどこかに消え去る。 「み、なと……だと?」  まさか、嫌な胸騒ぎがこんな形で当たってしまうなんて。  胃の辺りが熱く痛み、ギュッと締まる。気を抜けば震えて、足下から崩れそうになった。 「そう。被害者の少年達を木尻から逃がしたのが、湊君らしくて……」  これは事情聴取をした少年達から聞きだしたばかりの情報だと、克也はまだ一部の人間しか知らされていない真相を語った。  木尻が少年達を金で集め、監禁しはじめたのは約二週間前。時期としては、ちょうど湊と別れたあとだ。  それから二週間後、いきなり木尻が「ずっと探していた子が、やっと見つかった」と言いながら、無理矢理といった様子で連れてきたのが湊だったそうだ。その後、木尻の目は完全に湊へと向き、少年達の監視は弱まった。その隙をついて、湊が少年達を逃がしたらしい。 「聴取で湊君の名前が出てきたって聞いた時は、驚いたよ。人違いだって思いたかったけど、容姿も僕が知ってる彼と同じだったから……」  と、克也が苦しそうに語る。  一度湊に会っている克也が言うのだから、ほぼ間違いないだろう。そして湊が事件に関わっているというのであれば、隆司を捜査班から外すと言った理由も納得できる。  警察官には、身内や知り合いが関わる事件の捜査に、加わってはいけないという決まりがある。今はまだ二人の関係を知るのは克也だけだが、これが知れ渡ったら隆司は捜査から外されるだろう。 「俺も……間違いないと思う。あいつは……木尻は、湊の昔の恋人だからな」 「木尻が、湊君の元恋人?」  隆司が告げた事実に、克也が知性的な瞳を大きく見開いて驚愕する。 「ああ……あいつは、男しか愛せない性癖を批難されて実家を追い出された後、繁華街を歩いてた時に声をかけられて木尻と出会ったらしい。それから一緒に暮らしていたんだが、嫉妬深い木尻の軟禁や暴力がはじまって、逃げだしたところを助けたのが俺だったんだ」  本当は掘りかえしたくない過去だが、今は急を要している。隆司は苦汁を飲みこんで、二人の関係と湊が自分の下で暮らすようになった経緯を克也に語った。  真実を知った克也の顔が、困惑に染まる。 「ちょっと待って、木尻と湊君の間に暴力事件があったなんて、記録には残ってなかったよ?」 「湊がどうしても事件化して欲しくないって言うから、俺が木尻に口頭で厳重注意して終わったんだ」 「それ以後の二人の様子は?」 「木尻のほうが湊のことをどう思っているのかは分からないが、二人は会っていない。それは湊から聞いてる」  確かに二人は恋人同士だったが、木尻が湊の一番の願いである就労を禁じたことで、湊の心は離れてしまった。以前、何気ない会話で木尻のことどう思っているのか聞いた時、気持ちはもうないと言っていたから、湊から会いにいくことはないだろう。  隆司がそう語ると、克也は唇に手を当てて少しの間考えこんだ。だが、その顔がみるみるうちに険しくなる。 「…………なら、早めに事件にケリをつけないと、湊君が危ないかもしれない」 「危ない? それは湊が人質を逃がしたからか?」 「それもあるけど、もしかしたら木尻がまだ湊君に執着を持っているかもしれない。その執着が愛情でいるうちはいいけど、何かをきっかけに憎しみに変わったら……」  克也は皆まで言わなかった。きっと、隆司の心情を考えたのだろう。けれど隆司の頭には、はっきりとした言葉が浮かんでいた。  木尻が湊を殺すかもしれない、と。 「くそっ!」  怒りが瞬時に頂点まで登りつめる。なのに指の先からジワリジワリと身体が冷えていくのが分かった。  湊はまだ無事なのだろうか。木尻に傷つけられていないだろうか。それに、例え無事だとしても湊は暴力による心的外傷を抱えた人間だ。そんな湊が大元の原因である木尻から暴力を受け続ければ、心がもたない。  今の状況を想像しようとすると、悪い考えしか浮かばなくて、余計に焦燥が濃くなった。血管が破れそうなぐらい早く心臓が鳴り、喉もカラカラになっていく。 「……木尻は、どこにいる?」 「K町のホテルらしいけど……隆司、何を考えてるの?」 「湊を、助けに行く」  いてもたってもいられなくなった隆司は、怪訝な顔をする克也を背に部屋から出ようとする。  しかし、すぐに克也によって腕を掴まれ、足を止められた。 「待って、まさか一人で行く気じゃないよね? 現場のことは君の方がよく分かってると思うけど、事件化した以上、単独行動は処分の対象になるよ」  刑事の単独行動は禁止されている。しかも、被害者が刑事の知り合いとなれば、私情を持ちこんだとされて隆司は懲戒を受けることになるだろう。そうなれば捜査一課に行く夢はおろか、刑事ではいられなくなる。いや、それだけならまだいいほうだ。ことによっては警察官自体を辞めなければならない恐れも、十分でてくる。  しかし――――。 「分かってる。だがそれでも……」  今は一人の男として湊を救いたい。それが刑事として失格だとしても、その思いは譲れなかった。 「刑事としての人生よりも、彼を取るの?」  克也の顔が親友から、警察官僚の顔になる。  恐らく、湊を取って勝手な行動をするなら、相応の覚悟を決めろと言っているのだろう。 「ああ。俺にとって、あいつは――――夢よりも大切な存在なんだ」  自ら選んだ選択に、わずかの迷いもない。共に警察官として歩もうと約束した友の手を、隆司はやんわりと退ける。すると克也はフウッと息を吐き、「しょうがないな」と笑った。 「長谷部隆司巡査部長。貴方には現時点をもって、当事件の捜査から外れてもらいます。事件が終わるまで自宅待機するように」  管理官として克也が命令を下す。しかし、指示を言いきった後の克也の顔には、どこか悪戯を考える子供のような色が浮かんでいた。 「ただ…………もしも、家に帰る途中で木尻を見つけて、現行犯逮捕しなきゃいけないような状況になっちゃったら……それは仕方ないよね」  ニコリと含んだ笑みを見せた克也が漏らした言葉に、隆司は瞠目する。 「克也、それって……」  現行犯逮捕なら、捜査を外された刑事でも行動が正当化されるし、警察の体裁も保てる。  まさか克也が単独行動を許してくれるとは思わなかった。驚いて見つめていると、克也は辛そうな表情を浮かべて、隆司の知らない湊の話を語った。  「……実はね、この間の飲み会の翌日、湊君が僕を本庁まで訪ねてきたんだ」 「湊が?」  飲み会の翌日ということは、隆司の部屋を出ていった直後だ。 「うん。それでね、彼は僕に『隆司さんは、克也さんのことを心から大切に思ってますから、どうか克也さんももっと隆司さんに心を開いて、思いきり頼ってあげてください』ってお願いしてきたんだ」 「あいつ……克也にまで余計なことを」  置いていった手紙といい、どうして本人が望んでないことばかりするのだ。隆司は眉を寄せて、溜息を吐く。 「その話を聞いたとき、湊君は本当にいい子で……心底隆司のこと好きなんだなって思ったんだ。そんな湊君と、これまで何も言わずに僕を支えてくれた親友の頼みだもの。聞かないわけにはいかないでしょ?」 「でも、本当にいいのか……?」  湊を守るために仕事を棄てる覚悟を決めた隆司と違って、克也は将来の日本を背負う人間だ。ここで巻きこんで、もしも克也が出世の道から外れてしまったら。そう思うと、二の足を踏みそうになる。  「大丈夫だよ。もし上が何か言ってきたら、噛みついてやるから。いつもの嫌味の仕返しができる、いい機会だよ」  ニコリと笑う克也の顔には、負ける気はないと書いてある。克也がその気ならば、自分も全力でいくしかないだろう。 「悪い。なるべく、お前に迷惑かけないよう動くから」 「信じてる。それと――――必ず、湊君を助けるんだよ」 「勿論だ」  二人で大きく頷き合い、拳を合わせる。  それからすぐに走りだした隆司の目は、迷いなど一切ない、強く、そして澄みきった色をしていた。

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