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第12話:再会

 木尻が潜伏していたのは、都内でも指折りの高級ホテルだった。  一泊の滞在費はかなりのもので、いくら以前大手企業に勤めていたとはいえ、現在無職の人間が何日も滞在できるとは思えない。  そう考えると思い浮かぶことは最悪な事態ばかりで、隆司の胸は不安に染まりあがった。   一刻も早く、湊を助けださなければ。 「――――では、お話した通りにお願いします。無理は承知ですが、できるかぎり普通にふるまってください。支配人には絶対に危害が及ばないよう、配慮しますから」   ホテルに到着した隆司は、すぐさま支配人に警察手帳を見せて協力を仰いだ。監視カメラを確認し、四日前の夜に湊が部屋に入ったことと、今現在部屋に木尻がいる確証を得る。その後、隆司は時間を待たずに、支配人を連れて木尻が滞在する部屋へとむかった。  木尻を捕まえるには、現行犯である事実を確認しなければならない。それには部屋に入るのが一番だ。きっと部屋には湊が監禁されているはずだから。 「わ、わかりました」  ここで犯罪が行われているなんて到底思えない、明るい照明と柔らかな絨毯。そして華やかな装飾品に彩られた廊下に並ぶ木尻の部屋の前で、緊張を隠せない支配人が深呼吸を繰りかえす。それから震える指でゆっくりと、部屋のインターフォンを押した。 『――――――はい』  ほどなくして、部屋の中からの応答がインターフォン越しにかえされる。微かだが聞き覚えのある声は、木尻のものとみて間違いないだろう。 「お休みのところ、大変申し訳ございません。当ホテルの支配人でございます。ただいま当ホテルの管理センターにて、こちらのフロアの火災報知器の異常が確認されました。火の手は上がっておりませんので大丈夫かと思いますが、念のため各部屋の確認を行っております。どうか、ご協力下さいますようお願い申し上げます」 『今……ちょっと取りこんでるんだけど』  部屋に入られたくないのか、木尻は解錠を拒む。そこまでは予想済みだった隆司は無論、次の手も用意してあった。  「お部屋の中まではお邪魔いたしません。入口にある室内報知器を確認させていただくだけでございます」  大切なのは木尻を湊から離すこと。故に、木尻自身に解錠させることが一番重要なのだが、逆にそれさえ叶えば十分に勝機はある。 『………………部屋の中まで、入らないって約束するならいいけど』 「はい、そちらはお約束いたします」 『分かった』  承諾を出した木尻に、隆司と支配人は顔を見合って言葉なく頷く。それからすぐにインターフォンが途切れると、隆司と支配人はすぐに立ち位置を入れ替えた。 「ありがとうございます。では、支配人は下がっていて下さい。あと、申し訳ないですが、念のため救急車の手配をお願いします」  小さな声で指示を出し、支配人を下がらせる。  あとは隆司の腕頼りだ。  部屋の錠とドアチェーンが外れる音が、扉越しに響く。隆司は緊張を抑えるため、一つ大きな息を飲みこむと、わずかに開いた扉の隙間を狙って勢いよく部屋の扉をこじ開けた。  一番に目に入ったのは、以前見た時よりも随分と陰鬱さの影が濃くなった木尻の姿。この男が湊を、と考えた瞬間に腹の底から怒りがこみあげてきた。  「木尻厚志だな! 監禁してる徳永湊はどこだ!」 「う、うわっ!」  隆司を見た木尻の顔が、驚愕に固まる。  しかし、木尻は即座に俊敏な動作で後方へと飛び退き、入口脇に飾ってあった一輪挿しを投げつけてきた。 「くっ」  勢いよく飛んできた一輪挿しを交差して組んだ腕で受け止め、難をかわす。が、その隙に木尻を部屋の奥へと逃がしてしまった。  まずい。隆司は、慌てて後を追う。 「待て!」  リビングゾーンを抜け、開け放たれた寝室へと飛びこんだ木尻に、数秒遅れて辿り着いた隆司の目に映ったもの。それはベッドの上で木尻に羽交い締めにされたうえ、喉元にナイフを突き立てられた湊の姿だった。 「来るな! これ以上近づいたら、こいつを殺すぞっ!」 「湊!」  直前まで木尻に暴行されていたのだろうか、一糸纏わぬ姿の湊の身体には、行為の痕と殴られた痣で所々が赤く染まっていた。あまりの痛々しさに、思わず目を逸らしたくなってしまう。 「隆……さ……」  虚ろな目で、湊がこちらを見る。 「湊、大丈夫か!」  問いかけると、わずかに口元を綻ばせた。 こんな時でも笑顔を向けてくれる湊に愛しさを覚えると同時に、木尻に対して更に強い怒りがこみあげる。 「木尻、ナイフを捨てて湊を解放しろ」 「うるせぇっ! こいつは俺のものだ! 俺達は心から愛し合っているんだから、邪魔するな!」  肩まで伸びる髪を振り乱しながら、木尻はまるで狂ったように叫ぶ。その姿はどう見ても通常の精神状態とは言えない。  しかし、この状態でどこが愛し合っているというのだろうか。明らかに力でねじ伏せて言うことを聞かせることが愛だなんて、どうやっても認められるはずがない。だが、それでも一つだけ安堵したことはあった。  例え酷く湾曲した愛でも、まだ木尻の愛は憎しみに変わってはいない。即ち、木尻に湊を殺す意志はないということだ。きっと近づいたら殺すというのも、まだ脅しの域のものだろう。  それならば、と隆司は自分の勘にかけることにした。 「心から愛し合ってる? フンッ、笑わせるなよ。ナイフで脅して言うこと聞かせているだけだろう? 湊はお前のことなんて、少しだって愛してないぞ」  隆司は、わざと挑発するような言葉を選んで放った。こういう状況の場合、犯人の気を逆撫でするのは自殺行為。だが時には逆に転じることもあると、田島から聞いたことがあった。 「そんなことねぇよ! こいつは俺を愛してる! だから、こいつだけは最後まで残ったんじゃねぇか。これがいい証拠だ! お前、デタラメなことばっか言うんじゃねぇよ!」 「デタラメなんかじゃない。湊はな――――お前じゃなくて、俺のことを愛してるんだよ」 「なっ……」  隆司の言葉に、木尻の双眼がこれでもかというほど開く。あからさまに動揺しているのが手にとれた。 「お前と別れさせてからずっと、湊は俺が可愛がって心も身体も奪ってやった。だから悪いが今の湊の心にお前の存在なんて、欠片もない」 「そんなの、嘘に決まってる……」 「嘘だと思うなら証拠を見せてやろうか? 俺がどんな風に湊を抱いて、湊がどんな風に応えているのかを今ここで披露してやってもいい。それを見れば、どれだけ湊が俺に虜になっているか、お前も分かるはずだ」  真実と嘘を絶妙な加減で混ぜ、ゆっくりと、慎重に木尻の導火線へと油を染みこませる。  もう少し。もう少しだ。  隆司の駆けひきが続く。  「残念だったな、木尻。湊は俺がいるかぎり、お前のものにはならない。お前を愛すこともない」  最後に鼻で笑ってやると、目に見えて空気の流れが変わった。 「お前が……いるかぎり……」  双肩を震わせた木尻の左手が、湊の身体から離れる。支えをなくした湊の身体は、沈むようにベッドの上へと崩れ落ちた。  続けるようにしてナイフの先が、隆司の方に向けられる。  それは木尻の意識が、完全に湊から隆司へと向かったことを意味していた。しかし、まだ湊は木尻のナイフが及ぶ範囲内にいるから安心はできない。 「隆司……さ……駄…………目、逃げ……」  ベッドに力なく横たわる湊が、擦れた声で隆司に危機を伝える。それすらも今の木尻には、起爆剤の一つとなった。 「消してやる……。俺から湊を奪おうとする奴は、全員この世から消してやる!」  堰を切ったように走り出し、隆司に襲いかかる。  同時に、隆司は口元を緩ませた。  この時を待っていた。そう、勝利宣言でもするかのように。  湊を手放した木尻に、遠慮をしてやる義理はない。隆司は飛びかかってくる木尻の腕を簡単に捕らえると、鳩尾に容赦のない拳を振るった。  「ぐっ、ああっ!」  木尻が痛みに悶絶し、床に膝を着く。その時点で木尻からは戦意が喪失していたが、痛みの回復を機に抵抗されては困る。隆司は腹を抱える木尻の後ろ手を取り、床に身体ごと押さえつけた。  自由を奪われた木尻が、脂汗をかきながら地鳴りのような唸り声をあげる。 「午前一時三十八分……監禁、傷害及び、公務執行妨害の現行犯で逮捕」  腕時計で時間を確認し、告げる。  普段ならここで手錠を出し、拘束するところだが捜査から外されている隆司は手錠を携帯していない。仕方なく近くに落ちていたバスローブの紐で、手と足を纏めて括りあげた。  とりあえず、これで一先ずは安心だ。隆司は長い息を吐いて、張り詰めた緊張を解く。 それから首だけ振り向いて、湊の安否を確かめた。 「湊、大丈夫か?」 「隆司……さ……ん……」  顔から血の気を引かせ、真っ青になった湊が身体をよろめかせながら起きあがろうとする。しかし、全身が大きく震えて上手く起きあがれない。  こうやって全身を震わせている姿を、どこかで見たことがある。思いだそうとして、すぐに気づく。  そうだ、これは暴力を怖がっている時の震えだ。 「無理に起きあがるな。今、俺がそっちにいくから」  縛りあげた木尻を放置し、湊の下へ駆けよる。 「湊、触ってもいいか?」  一刻も早く、木尻が視界に入らないところまで湊を連れていきたい。けれど無理矢理触って怖がらせてはいけないと、触れる前に尋ねる。すると湊は、唇を震わせながらも小さく頷いた。 「向こうの部屋に行こう」  ベッドのシーツを剥がし、それで湊の身体を包みこむ。そのままシーツごと抱きあげると、すぐに隣の部屋へと移動した。 「すぐに他の刑事がくるから、そしたらすぐにでも病院に連れてってやるからな」  木尻がいる部屋の扉を閉め、湊をソファーに座らせる。  しかし、木尻が視界から消えてもなお、湊の身体の震えは止まらなかった。恐らく、隆司が想像する以上の暴行を受けたのだろう。 「なぁ、抱きしめてもいいか?」  湊の隣に座り、静かに願う。すると湊は驚いた顔を見せたが、すぐにコクンと小さく首を縦に振った。  許しを得た隆司は、腕を伸ばして湊を抱きしめる。  細い身体が胸の中で震えた。その震えが湊の受けた恐怖だと思うとたまらなく胸が苦しくなって、少しでも慰めになればと、隆司はこれでもかというほど強く抱きしめた。 「隆司さん……」 「助けにくるのが遅くなって悪かった。あと、変な嘘も吐いてすまなかった」  湊を抱いたこともないのに、何度も関係があるような嘘を吐いてしまった。そのことを謝ると、湊は何度も首を横に振って隆司の行動を許してくれた。 「いいえ……僕、嬉しかったです。嬉か……っ……」  隆司の胸の中で、湊が双肩を震わせる。 「――――ああ、それとお前が逃がした少年達だけど、ちゃんと警察で保護したから」  安心しろと頭を優しくなでながら、胸の中にいる湊に少年達のことを伝える。すると湊自身も気になっていたのか、涙に濡れた顔を少しだけあげてほっとした表情を浮かべた。 「な、湊……お前が囮になったのは少年達が皆、未成年だったからだろ」  木尻は、湊が最後まで残ったことを愛だと言った。だが隆司は、その言葉を勿論信じていない。なら何故、湊が自らの意思で残ったのか。考えた時に出てきたのが、被害者達の年齢だった。  木尻の事件の被害者達は、湊を除いて全員未成年者だった。恐らくそれに気づいた湊は、少年達を逃がすことが自分の役目だと考えたのだろう。 「犠牲者を出す前に事件を解決することができたのは、全部お前のおかげだ。今回は、刑事としても礼を言わせてくれ」  警察官としての教えを受けた人間でも、自らを犠牲になんてそうそうできることではない。そう考えると、湊がとった行動は誰よりも勇気があるものだ。 「ありがとう、湊。本当によく頑張ったな。あんなこと誰でもできることじゃない。お前は……俺の誇りだよ」  子供扱いだとは思ったが、どうしても頭を撫でてやりたくなってクシャクシャと髪の毛を掻き混ぜる。と、みるみるうちに湊の瞳が濡れ、再び涙の珠が零れはじめた。 「バカだな。褒めてるのに、泣く奴があるか」 「ごめんなさい……何か……急に……」 「泣くなよ。お前の涙見たら、俺だって泣きたくなるだろ」  言いながら、指で伝う涙を拭う。 「隆司……さんが……?」 「お前が木尻に捕まったって知った時、気が狂いそうになるぐらい怖かった。今だって……思い出すだけで怖くて涙が出そうになる」  湊は自分が助けたのに、ふと気を抜いたら腕の中から消えてしまうのではないかという恐怖が今もなお拭いきれない。  隆司はそう語りながら、湊を失いたくないと目の前の華奢な身体を胸の中に深く閉じこめた。 「本当に……お前が無事でよかった」  言いながら湊の髪に、頬に、唇を寄せる。  湊は隆司のそんな行動に驚きを隠せない様子で狼狽していたが、もう気持ちを隠さないと心に決めた隆司とっては何ら不自然なものではなかった。  しかし、まだ一番大切なことは伝えていない。  隆司の中で、待ちに待っていた秒読みがはじまる。

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