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第13話:家族との再会

 木尻の身柄を到着した仲間に引き渡した後、湊は怪我の処置をするために警察病院へと搬送されることになった。  署へと戻った隆司は予想通り刑事課長に呼びだされ、厳しい叱責を受けた。今回の単独行動は懲戒の対象だと言われたが、課長の後ろで笑いを堪えている克也の様子から、克也にはさほど大きな迷惑がかからなかったことが伝わってきて、隆司は安堵する。  克也の将来の邪魔にならなかったのなら、それでいい。自分は全てやりきった。だから後はどんな処分が下ろうと、甘んじて受けるつもりだ。  一通り雷を落とされた後、一先ず処分が決まるまで自宅待機となった隆司は署を出ると、すぐに湊のいる病院へ向かった。恐らく怪我の状態からみて数日間は入院しなければならないだろうが、時間的に長い聴取は明日に回されるだろうし、運がよければ病室に入れるかもしれない。  五分、いや、一分でもいいから湊の顔がみたい。その気持ちだけで前に進む足の速度が、どんどん早くなった。 「すみません、先程こちらに運ばれた徳永湊の病室は?」  廊下で捕まえた看護師に警察手帳を見せて、湊の病室を聞きだす。だが返ってきた答えは、驚愕に声をあげてしまうものだった。 「徳永……ああ、徳永さんなら、退院することになったので、会計所にいると思いますよ」 「は? 退院っ? あの怪我でですか?」 「ええ。担当医師からは入院の指示が出ているんですが、ご家族の方が強引に連れて帰ると言って……何でも、面識のある医師がいる病院に入院させるそうです」  警察の方も連絡がとれる場所にいることと、翌日以降の聴取に応じるなら、という条件で退院を認めたらしい。  警察がそんな異例を認めたことに驚きを隠せない隆司だったが、それよりも腰を抜かしそうになったのは、湊の家族が迎えにきたという事実だった。  ここに家族がきているということは、きっと警察から実家に連絡が入ったのだろう。  しかし湊と家族は、絶縁状態にある。両者がこんな状況で顔を合わせ、はたして平穏でいられるのだろうか。心配になった隆司は、湊がいるという会計所へと走りだす。  診察室からほんの少し離れた場所にある会計所は、電灯が最大限まで落とされているからか、窓口の周囲以外は暗闇に包まれていた。  近づくと、深夜にも関わらず怒鳴る男の声が聞こえてくる。 「だから言ったじゃないか! お前が一人で生きていくなんて無理だって! 人の言うことも聞かずに勝手に出て行って、挙げ句変な事件に巻きこまれるなんて……」 「お父様だって心配してらっしゃるわ……。ねぇ湊、もう強情を張らずに帰っていらっしゃい」  若い男の声の後に続いたのは、柔らかな女性の声だった。話の中に湊と父親の名が出てきたことで、湊の家族だと直感した隆司は柱の影に身を隠し、様子をうかがう。  消毒の香りに包まれる会計所の椅子の前で湊と対峙しているのは、仕立ての良いスーツを身に纏った男性だった。顔は似ていないが、声が似ていることから恐らく湊の兄だろう。兄の隣に立つ、品のあるワンピースに毛皮のコートを纏った中年の女性は湊の母親できっと間違いない。顔のつくりや全体的な雰囲気がそっくりだから、すぐに分かった。  あれが湊の家族。  初めて見る家族の顔に、隆司は緊張を走らせながら状況を見守る。  「迷惑をかけてしまったことは……申し訳なく思っています。……でも、僕はまだ一人前の社会人じゃ……ありません。だからまだ家にも戻れないし、お祖母様の……お墓の前にも立てない」  湊は帰ってこいと言う家族に対して、力なく首を横に振った。  頑固者の湊なら、そう言うだろうと考えた予想どおりの返答に、隆司は安心する。けれど何となく、いつもより語尾が弱く感じた。 「働きたいなら、前みたいにお父様のところで働けばいいじゃない。お父様の会社は立派なところよ、働いていればすぐに一人前になれるわ」 「そうだ。父さんも戻ってきていいと言っているんだから、何も気にすることなく戻ってくればいい」  口々に家へ戻れという家族達に、湊が寂しそうな顔を浮かべる。 「でも……それだと皆、僕のこと……認めてはくれませんよね?」  そう、湊の一番の願いは自分の性癖を認めてもらうこと。そのためにだけに今まで頑張ってきたのだ。性癖が認められないのなら、父親の会社で真面目に働いても意味がない。 「確かにすぐには無理かもしれないけれど、家に戻って真面目に働けば――――」 「母さん!」  真っ直ぐに自分の意見を主張する湊に、母親がささやかだが妥協の色を見せる。だが、それもすぐに兄の声によって止められた。 「ご、ごめんなさい。ね、湊、お願いだから家に戻ってきてちょうだい。家にいる方が環境もいいし、貴方にとってもいいと思うの。ホラ、それにお父様の会社で良い人と出会えば、貴方の気持ちも変わるかもしれないじゃない」  その一言で、隆司は確信する。湊の家族達、湊の性癖を認めるつもりがないことを。  多分、家族達は、湊を連れて帰って強引に見合いでもさせるつもりなのだろう。  女を与えれば、湊の気持ちも変わる。家族は、湊の気持ちをその程度にしか思っていないのだ。  察しの良い湊のことだから、そんな家族の考えにも気づいているはず。それを物語るように、湊の顔は今にも泣きそうになっていた。 傷だらけの身体を小刻みに震わせ、それでも必死に泣くのを我慢する湊。ここで泣いてしまえば、状況がもっと不利になることを予想してじっと耐えているのだ。  そんな湊を見ている隆司も苦しくなるが、同時に違和感も覚えた。  先程からの湊を見ていると、どうもいつもの強さが感じられない。普段ならこちらが圧倒されるぐらいの頑固さを見せてまで、自分の意志を貫く男なのに、今の湊からは情熱が伝わってこない。  あれでは説得できるものも、できないではないか。押しの足りない湊に焦れったさを覚えるも、瞬間、隆司は大切なことを思いだして後悔した。  湊は数時間前まで辛い目にあわされ、心が酷く傷ついている状態だ。精神的に追いこまれている人間が、家族の説得なんてできるはずがない。  圧倒的に不利な状況にいる湊が、ギュッと悔しそうに拳を握る。こちらに向ける背中が、どんどん儚くなっていくように見えて、居ても経ってもいられなくなった隆司は、柱の陰から勢いよく飛びでた。 「湊」  名を呼ぶと、湊が驚いた顔でこちらを見た。 「隆司さん……」  見知った関係のように名を呼び合う二人に、湊の兄と母が不審な顔を向けてくる。隆司は湊の隣に立つと、二人に対して頭を下げた。 「お話の最中に失礼します。私はS署刑事課の長谷部と申します」  隆司が身分と名を告げると、一気に二人の顔から緊張が解ける。 「ああ、刑事さんでしたか。今日は弟を助けていただき、本当にありがとうございます。何とお礼を言っていいのか……」 「礼には及びません。これが私達の仕事ですから」 「しかし、刑事さんがいらっしゃったということは、まだ弟に何か聞きたいことが?」 「いえ、今夜のところはこれ以上の聴取は行いません。ですので、今からのお話は刑事としてではなく、湊の友人としてお聞き下さい」  二人に頭を下げてから、チラリと湊と目を合わせ、小さく頷く。  大丈夫、お前は一人じゃない。その思いを伝えるように。 「私は今回の事件の少し前に湊と出会い、その時に彼が家を出ることとなった事情を聞かせていただきました。勿論、最初はご家族同様に驚きましたが、彼の『家族に認めてもらいたい』という決意の強さには、一人の人間として深く感銘を受けました」  湊の家族達に向かって、ゆっくりと正直な気持ちを伝える。最初、隆司が湊の性癖を知っていることに二人は顔を強張らせたが、意志の強さを褒めるとまるで自分のことように顔を綻ばせた。  やはり、なんだかんだと声を荒げても、二人は湊を大切な家族だと思っている。何だかそれがとても嬉しかった。 「確かに彼の願いは、一般的に受け入れられるものではありません。ですが彼ももう成人した立派な人間です。強引に連れ戻すのではなく、一度、彼の決意を見守ってあげてはいかがでしょう?」 「しかし、湊の好きにさせたら、また今回のように変な事件に巻きこまれるかもしれない。そうならないためにも、近くに置いて見ておかないと……」  隆司の提案に、湊の兄が懸念を吐露する。事件に関しての言い分はもっともだと思った。隆司には家族がいないが、もしも湊が弟だったら、同じ言葉を口にしていたかもしれない。  だが、それでは何も変わらないのだ。 「ご家族の方が心配する気持ちは、痛いほど理解できます。ですが、ここで強引に連れ戻したところで、恐らく事態はより悪化するでしょう」  隆司の言い分に、湊の兄の目がグイっと釣りあがった。 「事態が悪化する? 家族の下にいるのに、どう悪化すると言うんだ! 君は何も知らないくせに、知ったような口を利かないでくれ!」  静寂に包まれる病院の廊下で烈火のごとく叫ぶ兄の姿に、湊が隣でビクリと双肩を揺らす。しかし隆司は怯まなかった。ここで引き下がったら、湊は一生灰色の世界しか見えない檻の中で暮らすことになる。そんな生活なんて、絶対にさせたくない。 「ええ、二十年以上仲良く暮らされたご家族の方々と比べたら、私が知ることなんて一握り程度のことです。けれど一つだけ、彼が誰よりも頑固者で、一度決めたことは絶対に覆さない男だということは知ってます」  二人で暮らした期間は短いが、それだけは声を大にして言いきることができる。湊の頭の硬さは、克也にすら匹敵するぐらいなのだから。 「そんな彼のことです、もしここで連れ戻しても、きっとまた同じように貴方達の下から出て行ってしまうでしょう。そうなってしまうよりも目の届く場所で彼を見守ってやる方が、安心だとは思いませんか?」 「それは……」  隆司の考えを聞いた湊の兄が、口を籠もらせる。恐らく、否定ができないのだろう。それこそ湊の頑固さを一番良く知る家族なのだから。 「それでもご心配だというのなら、私も友人の一人として、そして警察官として責任を持って彼を見守ります。絶対に危険な目には合わせないと約束します」  この世に絶対という言葉はないが、隆司にはそう言い切れるぐらいの自信があった。  もう二度と、湊を傷つけるようなことにはさせない。誰になんと言われようが、自分の両腕で守り切る。  その意思をこめて、真っ直ぐ湊の兄を見つめた。  わずかの間、沈黙が続く。  しかし、その静寂を破ったのは、湊の母だった。 「そうね、その方が安心かもしれませんね」 「母さんっ?」  隆司の提案に同意する湊の母に、兄が驚きの声を上げる。 「だってそうでしょう? この子はとても良い子だけど、昔からお父様に似て頑固だった。きっと今家に戻しても、この方の言った通りになると思うの。それなら目の届く場所にいてもらったほうが安心だわ」 「だけど……」 「大丈夫よ。お父様には私からお願いします。だから、湊……」  兄を説得していた母親が、湊のほうへと歩きだす。そしてそのまま湊の目の前に立つと、柔らかな動作で湊の身体を抱きしめた。 「一度、貴方の思うようにやってみなさい。でも、身体には十分気をつけるのよ? 貴方、頑張りすぎると体調に気をつかわなくなるから」  母親の腕の中で、湊がこれでもかというほど目を見開く。 「いいん……ですか? 僕の好きにさせてもらって……」 「ええ」 「あ……りがとう……っ……ございます」  湊は細い腕で、湊よりも更に華奢な母親を抱き締めかえしながら、何度も礼の言葉を繰りかえす。  そんな二人を見つめながら、隆司は家族というものはいいなと柔らかく微笑んだ。

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