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第14話:完黙主義者の敗北

 湊の家族と別れてから病院を出た隆司は、有無を言わさずに湊を自分の部屋に連れて帰った。勿論、怪我の治療のほうは明日、必ず湊の家族が紹介してくれるという病院に連れていくと約束して。  隆司の部屋を出て行った翌日に木尻に捕まった湊には、行く場所がない。住みこみを頼んでいたバイト先へもう一度頼みに行こうにも、深夜で店が開いていないから無理だろう。まだ事情聴取が残っている湊は、所在が確認できる場所にいないといけないこともあって、それなら自分の部屋にいるのが一番だと隆司は腕を引いたのだ。  しかし、とは言うものの最初から連れて帰ると決めていた隆司にとっては、後で取ってつけた言い訳にすぎないが。 「ただいま」 「お……邪魔します」  ぎこちない挨拶をして部屋に上がる湊。自分から出ていった手前、入り辛いのだろう。隆司がリビングのソファーに座っても、なかなか近寄って来ようとしない。 「あ……の……コーヒー……でも、入れましょうか……?」  そう言ってキッチンに逃げようとする湊を、隆司が止める 「湊、いいからこっちに来い」 「……はい」  湊が重たい足取りで、隆司の下まで辿り着く。隆司は目の前まで来た湊にココ、と膝の上を指でさした。当然湊は驚き、どうすればいいのか分からないといった困惑を浮かべる。 「座れ」 「え?」 「いいから」  部屋へ連れてきた時同様、有無を言わさない空気を見せると、湊が観念した様子を見せて隆司の膝の上へと遠慮がちに座った。隆司はそんな湊の腰を、逃げないようしっかりと抱えこむ。目線が合ったところで、隆司はすぐに一番聞きたかったことを口にした。 「ここから出て行ったのは、自分がいると俺が克也に告白できないと思ったからか?」  いきなり核心から突くと、湊は困惑を更に濃くさせた。 「そう……です。でも、それだけじゃありません」  迷いながら、ポツリと本心を口にする。 「他にも理由があるのか?」 「……僕、隆司さんの優しさと、自分が怖くなって……」 「俺の優しさと、自分?」 「最近の隆司さんは凄く優しくて……。そんな隆司さんを見ていると、どんどん好きっていう気持ちが強くなるんです。これ以上好きになったら、きっと自分で自分を止めることができなくなるだろうって考えるぐらい」  穿いているズボンの生地をギュッと掴む様から、湊の強い気持ちが伝わってくる。 「このまま一緒にいたら、きっと隆司さんが克也さんを選んだ時に、僕は耐えられずに縋ってしまう。でもそんなことをしたら、隆司さんの迷惑になるでしょう? そんな人間になりたくなかったんです。だから……」  出て行ったのだと、湊は告白する。  真相を知った隆司は、すぐに言葉を出せなかった。代わりに、すっかり癖となった溜息が出る。 「お前って奴は……――――とりあえず、怖がらせたくないから先に言う。今からデコピンするぞ」 「え? デ、デコピンっ?」  暴力を怖がる湊を考慮して、先に宣言する。すると湊は元から大きな目を、より一層見開いて瞠目した。それもそうだろう、この状況で突然デコピンなんて言われたら、誰だって驚くはずだ。けれど、それでも隆司は真面目な顔で迫った。 「いいから、デコピンさせろ。それで心配かけた分は全部チャラだ」  何が何だか分からないと言った顔で、こちらを見る湊の額の前に左指を近づける。 「いいか、いくぞ」 「は、はい」  隆司の言い分に納得した湊が、ぎゅっと瞳を閉じる。準備ができたところで、隆司は湊の額に向けて指を弾いた。  バチン、と指先に肌を弾く小さな衝撃が走る。 「っ! ……うぅっ……意外に痛い」  左手とはいえ、手加減はしなかったから痛いのは確かだろう。赤くなった額を涙目で摩る湊を見て苦笑を零した隆司は、そのまま膝に乗せていた華奢な身体を深く抱き締めた。 「た……隆司……さん?」 「お前って、本当に積極的なのか謙虚なのか分からない奴だな。人のこと好き好きって連呼しておきながら、いつも変なところで引き下がって。――――まぁ、怖がって想いを言葉にできなかった俺も、人のことは言えないけどな」 「それって……、克也さんに対してってことですよね?」  抱きしめながら笑う隆司に対して、湊がそう返してくる。 「お前……」  普通、この状況で他の男の名前を出す人間がいるのだろうか。いるなら会わせてもらいたいぐらいだ。勘違いしている湊に、隆司は呆れ果てる。  しかし、これは全て湊が悪いわけではない。湊が不安になっているのは、隆司が素直な気持ちを言葉にしてこなかったから。  ならば、湊を不安にさせないために、隆司ができることは一つだけだ。 「いいや、今のはお前に対してだよ」 「え?」  抱擁を解いて言ってやると、湊は不思議そうに首を傾げた。 「お前が手紙に書いたように、俺は今まで思ったことを胸にしまったまま表に出してこなかった。ずっとそれでいいって思ってたからな。だが、そのせいで大切なものも手に入られないし、失うってことも分かった」  湊の両頬を手で包み、視線を合わせる。 「だから俺はもう、気持ちを隠さないって決めたんだ」  ゆらりと、まだ不安を残した湊の瞳が揺れた。  この不安を取り除けるのは、この世界で自分しかいない。おかしな優越感に浸りながら、隆司は想いを形へと変える。 「湊、俺はお前が好きだ。だからもうどこにも行って欲しくないし、二度と手放したくもない。お前からの愛情を、この先ずっと独り占めしたい」 「え……? え、え、え……ええっ?」  まさか隆司に告白されるとは思っていなかったのか、湊の混乱は瞬時に頂点へと達したようだった。まるで不意に驚かされ、慌てる猫のごとくキョロキョロと色んなところを見遣っては落ち着こうとしている姿が、また可愛い。 「隆司さん、それっ……冗談とかではなく?」 「お前なぁ、人が一世一代の告白をしたっていうのに、冗談呼ばわりする気か!」  素直になれというから、素直に告白したのに。隆司は口角を引き攣らせながら、湊の頬を優しく摘まんで左右に引き延ばした。 「ふえっ? ほ、ほへんなはい! ははひひゃん!」  きっと『ごめんなさい、隆司さん』とでも言っているのだろう。これぐらいなら、もう聞かなくても分かる。 「どうだ、これで夢でも冗談でもないってことが、分かったか?」 「ひゃい……わひゃりました」 「分かればいい」  指を頬から離してやると、眉を八の字にして頬を摩る湊の髪の毛をクシャリと混ぜた。 「なら、もうずっとここにいろ」 「…………本当に、これからずっと隆司さんの隣にいていいんですか? 僕、隆司さんのこと好きすぎて、きっとこの先、醜い独占欲だって見せちゃいますよ?」  迷いのある様子で湊は俯く。それから瞳にいっぱい涙を溜めて、ぎゅっと唇を噛んだ。 「お前は今まで通り、素直な気持ちをぶつけてくれればいい。俺がそれを全て受け止められるだけの男になるから」  湊がぶつけてくれる愛と比べたら、自分の愛はまだまだ足元にも及ばないかもしれない。しかし、それでも隆司は全てを受け止める覚悟で共に歩んでいくと決めたのだ。 「もう……何なんですか……隆司さん、格好良すぎです」  隆司の言葉に、顔どころか項まで真っ赤にした湊が可愛らしい抗議を口にする。 「男ってのは、そんなもんだろ。愛する人間ができたら誰でもそうなる」 「だからって……これじゃあ、僕の心臓が持ちませんよ」 「お前の図太さなら、すぐ慣れるだろ」 「なにそれ、酷い……」 「むくれるな、褒めてるんだよ」  そっと湊に顔を近づけ、額同士をくっつける。湊の肌は柔らかくて、熱くて、心地好い。 「なぁ、キスしていいか?」 「……はい」  了承を得て額を離すと、隆司は確かめるように湊の唇へ触れるだけの口づけを落とす。  初めて触れる唇は、たった数秒触れただけでも幸せを噛み締められるほど温かかった。 本当はすぐに噛みついてしまいたいぐらいの衝動に駆られたが、一度だけそれを押さえて湊の反応を見る。 「嬉しい。夢じゃないってことはさっき分かりましたけど、やっぱり現実じゃないみたい」 「そう思うなら、これが現実だと理解できるまで、何度だってキスすればいい」  それこそ湊が「もうお腹いっぱいです」と白旗をあげるまで何度も。そう意気込みながら、隆司は再び湊と唇を重ねた。 「ん……」  数秒前のキスでは緊張が伝わってきた湊の唇も、二度目となると幾分か硬さが和らいだ。湊が隆司を受け入れようとしてくれているのが、よく分かる。  隆司はゆっくりと舌で湊の唇の重なりを開き、中へと忍びこんだ。  体温の差なのだろうか、湊の口腔内は思った以上に熱くて、混ざり合う唾液が甘く感じた。まるで直前まで菓子でも食べていたかと、思ってしまうくらいに。  キスというものが、これほどまで甘美で極上なものだとは知らなかった。これまでずっと克也一筋だったのだから当然の話といえば元も子もないが、それでも想像していたものとは大分違った。  これはもしかしたら癖になるかもしれない。自身の舌先で湊の舌を絡めとりながら、そんな幸せな危惧を抱いてしまう。  しかし、今はキスよりももっと欲しいものがある。隆司は暴走してしまいそうな欲を何とか抑えて唇を離すと、そろりと湊の腰を撫でた。 「湊……ダメか?」 「え? ダメじゃ……ないですけど……」  甘い声と、あからさまに欲の色が宿った目を見て隆司が求めているものに気づいた湊が、顔を真っ赤にして視線を逸らす。  ただ、その顔はすぐに悲しそうに歪んだ。 「でも、今の僕の身体……汚いですから……」  自分はホテルで木尻に抱かれていたから、と湊が唇を震わせながら告げる。言われて隆司はホテルに乗りこんだ時の状況を思いだした。  きっと湊は、病院で処置は受けたものの、まだ身体中に木尻の痕跡が色濃く残っている。だから躊躇っているのだろう。 「俺は湊のこと、汚いだなんてこれっぽっちも思ってないんだがな」  ただ、隆司にはそんな事実など、取るに足らないものだった。確かに湊に乱暴を強いた木尻は、まだ殴り足らないほど憎い。けれどどれだけ抱かれたところで、湊の心は一直線に隆司に向かっている。それだけで十分だったし、少しも汚いなんて思えなかった。 「あの……じゃあ、せめてお風呂に入ってから……」 「風呂か。分かった、じゃあ行こう」  湊の腕を優しくとって立ちあがる。続く形で立った湊は、隆司を見てまさか、という表情を浮かべた。 「行くぞって、もしかして……隆司さんも?」 「勿論」  悪いが、今日はもう一秒だって離れたくない。素直な気持ちを告げると、湊は困ったように、けれども嬉しそうに笑って見せた。

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