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第1話
日本で吸血鬼の存在が発見されたのは1980年代。バブル景気に沸き、多くの人々はその存在を面白おかしく取り上げ、指を差して笑ってすぐに忘れ去ったが、近年、再注目され始めた。
初めは余命幾ばくもない人たちに対して治験が行われ、もれなく病気が完治して社会復帰を果たした。それで範囲が拡大されて、ひきこもりやうつ病など精神科領域の患者まで治験対象になった。
『吸血鬼になることで、気分障害を緩和する治験をおこなっています。治験参加をご希望の方は主治医までお申し出ください』
オレはポスターを見て意を決し、精神科の主治医に申し出て、吸血鬼になることにした。
診察室で、付き添ってきた両親は緊張した面持ちでいる。それでも夜型生活が治らず、家の中にひきこもって暮らす息子が笑顔を取り戻すならと同意書にサインをしてくれた。
「吸血鬼になりますと、ここに書いてあるとおり、病気には罹りにくくなり、病気も怪我も治りは驚異的に早くなる。成長は現時点で止まり、寿命が尽きることはありません。焦ることなくゆっくりと人生を謳歌してください」
病院の面談室で『吸血鬼化治験に参加される患者とご家族の皆さまへ』というリーフレットを見ながら、治験コーディネーターの説明を聞き、そのひとつひとつに頷いた。
「吸血鬼の食糧は人血です。週に一度、コップ一杯程度の量で充分満足できます。人血の冷凍パックを血液センターがご自宅までお届けします。お腹がすいたからといって、決して不用意に人間の首筋に噛みついたり、傷口の血液を吸ったり、病院の廃棄用の血液を口にするようなことはしないでください」
赤い液体で満たされたコップを笑顔で持つイラストがあり、その隣のカレンダーのイラストには週に一度の丸印がついている。
「吸血鬼同士の性行為については、特に規制はありません。性行為感染症もほぼ発生しないか、発生しても治ってしまいますからね」
「なるほど」
「人間との性行為は、原則として禁止です。精子が粘膜に入り込むと吸血鬼になってしまいますから。希望しない人が吸血鬼になるのは困ります」
「もちろんです」
リーフレットのページには、尖った牙を持つ吸血鬼同士が目を閉じて抱き合う姿には丸印があり、吸血鬼と人間が抱き合う姿にはバツ印が重ねてある。ただしそのバツ印には※印がつけてあった。
「ただし今回のあなたのように、吸血鬼化を希望する人間がいた場合、男性吸血鬼の方には性行為にご協力いただくことになります。その際の謝礼は今回と同様うなじからの吸血になります」
「はい」
「ここまでで、何か質問はありますか?」
「今まで何度も説明を受けて書類にサインもしてきたので大丈夫ですけど。……見ず知らずの男性吸血鬼といきなり性行為ができるかどうかが、まだ不安です」
「それはご心配いりませんよ。準備についてはスタッフの指示に従ってください。吸血鬼の唾液には催淫作用がありますし、治験の手伝いをしてくれる吸血鬼の方は慣れていますから大丈夫です」
「はあ」
それでは準備しましょうかと両親と離れて案内されたのは、別棟にある特別な個室だった。
前処置を受け、シャワーを浴びて、ホテルのスイートルームのような個室で吸血鬼の登場を待った。吸血鬼は夕方以降しか活動しないので、治験の開始は夜七時に設定されていた。
治験コーディネーターに案内されて入ってきたのは、黒髪をさらりとこぼした青年で、すでにシャワーを済ませたらしく、オレと同じバスローブ姿だった。
「まずは人間でいる間に報酬の吸血をしてもらおう」
医師に促されて、オレはナースに頭を保定されて横に倒し、首筋を差し出した。
「生の血を吸えるなんて、こういうときだけだ」
青年は嬉しそうに笑い、ベッドに腰かけるオレの隣に座って、いただきますとうなじに噛みついた。
鋭い犬歯で皮膚にぷつんと穴が空き、それからゆっくりと時間を掛けて吸血される。舌で舐められると傷口はすぐにふさがった。
蚊に刺されたときのように丸く腫れてかゆみを感じたが、ぽりぽりと掻いている間に消失する。
「じゃ、よろしく。何かあればナースコールを押して」
「はーい」
吸血鬼は慣れた様子で返事をして、白衣の人々を見送るとオレを見た。
「一晩、どうぞよろしく」
どこにでもいそうな、いやむしろ珍しいほど健康的な好青年で、笑ったときの八重歯が尖っている以外、吸血鬼らしさを示すものはなにもなかった。
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