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【天使、堕ちてくる。】圭琴子
俺の高校は、スポーツの名門男子校だった。だから、同窓会より、部活のOB会の方が誘いが多い。テニス部で少しばかり名を馳せていた俺は、毎回のように参加しては当時の話に花を咲かせていた。
四回目のOB会。不意に、異質な色彩が目に飛び込んできた。茶髪にしてる奴は何人か居たが、それよりも遥かに色素の薄い、プラチナブロンド。記憶が、走馬燈のように脳裏をよぎった。
円 ・ラフエル・堂本。四年ぶりなのに、はっきりと名前を覚えていた。何故か? 彼が、その容姿と名前、テニスの腕で、絵に描いたような『出る杭』になっていたからだ。一学年下だというのに、常に彼の名前を噂で聞くほど、円は悪い意味で目立っていた。
はじめ彼は隠していたが、アメリカ人の親父さんの影響でクリスチャンで、ラフエルという洗礼名があると知れてからは、先生でさえ彼をその名で呼んだ。みんなはイジってやっているという態度で、円も調子を合わせて笑っていたけど、目の奥が哀しみと戸惑いに揺れているのを見抜いた俺は、俺だけは、彼を円と呼んでいた。
「ラフエル! 久しぶり~。お前、イケメンになったなぁ」
「あんなチビだったのによ」
恐らく勇気を出してOB会に来たのだろうに、再び円は悪い意味で目立っていた。彼の周りに、人垣が出来ている。隙間からチラッと見えた瞳には、かつてのような哀しみと戸惑いが揺れていた。
「円!」
気が付いたら、大声で呼んでいた。やや驚いたように、人垣が割れる。俺はその隙間から強引に円の手首を掴んで連れ出した。
「と、常盤 先輩」
「二人で呑もうぜ。お前を待ってたんだ」
ぐいぐいと引っ張って、会場の外に出る。こんなに腹立たしいのは、高校当時イジメまがいの扱いを受けてた円を積極的に守ろうとしなかった自分と、四年経っても成長しない周りの奴らに対する怒りだろう。ずんずんと引っ張って歩いていると、円が遠慮がちに呟いた。
「あ、あの」
俺は腹立ちまぎれに、応えてやれない。
「……常盤先輩」
「何だ」
名前を呼ばれてようやく、つっけんどんに返す。
「何処に……向かってるんですか?」
「あ」
JRの最寄り駅を通り過ぎて、少し離れたメトロの駅に向かっていたから、もっともな疑問だった。
「すまん。あんまり腹が立ったから、俺んちに帰るとこだった」
「すみません……やっぱり僕、煮え切らなくて腹が立ちますよね」
また笑った瞳の奥に、哀しみと戸惑いが揺れる。
「違う! お前に腹が立ったんじゃない。お前にちょっかいを出す奴らに、腹が立ったんだ」
「え」
円が疑問符を上げたのと同時に、頭の天辺に雨粒を感じた。と思ったら、バケツをひっくり返したような夏の夕立が降ってきた。
――ザアアアア……。
痛いくらいに感じる雨の勢いに、やっぱり俺は円の手首を引っ張った。取り敢えず、メトロの駅の階段をおりる。一~二分しか当たっていなかったのに、俺も円も、服が絞れるくらいにびしょ濡れだった。俺は濡れ犬みたいに頭をブルッとひとつ振って、途方に暮れてる円に声をかける。
「ひどいな。これじゃ店にも入れやしない。俺んち、ここからメトロで近いんだ。嫌じゃなかったら、来ないか」
「え……良いんですか」
「良いも何も、とにかく服を乾かさないとな」
「ありがとうございます! 嬉しいです」
メトロの車両の中は、俺たちと同じように濡れ鼠の奴らで溢れてた。シートを濡らしてしまうから、俺たちは並んで立って家路を辿る。メトロの中では、特に話はしなかった。だが気まずくはなく、心地の良い沈黙だった。
マンションの階段を二階分上がり、玄関で上着と靴下を脱いで絞ってから、先に上がる。
「ちょっと待ってろ。今、バスタオル持ってくる」
「は、はい」
俺は洗面所に行って、いつも使っているバスタオルを掴みかけて……ふと、あいつの白い肌は、柔軟剤も使っていないこのゴワゴワのバスタオルでは赤くなってしまうんではないかと想像し、シンクの下の収納スペースを開けた。ぽつりと、冗談まじりのお袋の言葉が再生される。
『彼女が出来たら、そんなゴワゴワじゃ嫌われるから、これ使わせてあげなさい』
そこには、ライトパープルのフカフカのバスタオルがビニール袋に入ってあった。迷わず封を切って、それを手に玄関に向かう。1Kの玄関寄りの隅っこに、円は所在なげにぺたりと尻をつけて座っていた。俺にならって、上着と靴下を脱いでいる。見慣れた男の上裸の筈なのに、何だか心臓が跳ねた。
「ほら」
頭からフカフカのバスタオルを被せて、しゃがんで乱雑に髪を拭いてやる。すると円は、困ったような声を出した。
「あ……あの」
「ん?」
「自分で拭けます」
「あ、そうか。すまん。うち、弟が二人居るから」
「だから、面倒見が良いんですね」
円がようやく、心の底から笑った。花のつぼみが綻ぶようだった。つられて、俺も笑顔になる。円が真っ直ぐに俺を見上げて、微笑みながら言った。
「やっぱり、OB会に行って良かった。常盤先輩に……お礼と、サヨナラが言いたかったんです」
「おいおい、礼はまだ分かるけど、さよならってのは何なんだ」
円はまるで、予め言うことを決めていたかのように、まず『礼』を言い始めた。
「ダブルスの練習の時、誰も僕と組みたがらないのに、常盤先輩がいつも組んでくれて」
「それは、お前が上手かったからだ。みんなお前と組んだら、自分が見劣りするって思ってたからだろ」
「円って呼んでくれるし……」
秀でた額から、雫が一粒伝って、白い頬を通って細い顎から喉に滴る。その行方を、我知らず追っていた。少し沈黙してから、円は『さよなら』を告げる。
「……僕、来月アメリカに行くんです。父の仕事の都合で……だから、どうしても、常盤先輩に会っておきたくて……」
――ピカッ。ゴロロロロ……。
不意に雷が光って、円のギリシャ彫刻のように整った身体の線が、浮かび上がった。目で追っていた雫は、引き締まった腹筋を滑っていく。
――ドンッ!
「わっ!」
大きな地響きがして、円が俺に抱き付いた。触れ合った素肌から、ひどく速い心臓の音が伝わってくる。いや、俺もそれに負けないほど。
『恋は落雷』
そんな言葉を、何かの恋愛小説で読んだような気がする。薄暗かったから照明を絞って点けていたが、それがフッと消えて、暗がりだけがわだかまった。
「あ……すみません!」
慌てて、円が身を引こうとする。だけど背中に手を回し、俺はそれを許さなかった。
「せ……先輩?」
俺は、余計なことをごちゃごちゃと……いや、円にとっては大切なことか。考えていた。
「クリスチャンって、同性愛は駄目なんだったか」
「え?」
「分からないから、教えてくれ」
合わさった胸から、鼓動が更に速くなるのが伝わってくる。答える円の声は、震えていた。
「ええと……カトリックでは、禁止とする神父様が多いですけど、プロテスタントでは、同性愛者の牧師様も居ます。僕はプロテスタントで、一回懺悔したら、仮にそれが罪だとしてもひとはみなそれぞれ罪人だから、同性愛だけを断罪することは出来ないって言ってくださいました」
「つまり……円は、同性愛者か?」
「あっ」
腕の中の華奢な身体が、怯えるように萎縮した。
「すみません、気持ち悪いですよね……」
「気持ち悪いどころか、嬉しいから戸惑ってんだ」
「えっ?」
「ラフエルって、天使の名前だっけか」
「ラファエルが、三大天使のひとりです。それにちなんだ洗礼名なのに……僕じゃ、堕天使にしかなれませんでした」
自嘲気味に、頬を歪めて円は笑った。俺は身を離し、円の右手首をしっかりと握る。
「安心しろ。捕まえててやる。受け止めてやるから、堕ちてこい。……目をつむれ」
「え……」
円は戸惑いに色素の薄い瞳を泳がせたが、以前のような哀しみではなく、喜びが微かに光っていた。やがて、震える長い睫毛が閉じられる。
「アメリカには行くな。俺だけの天使になってくれ」
そう囁いて、そっと白い額に口付けた。窓の外からの雨音だけが、静かに俺たちを包み込んでいた。
End.
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