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【二人だけの世界】まめ太郎
俺達、二人だけの世界で生きていけたらいいのにな。
そんなことを言いながら隣で寝転がる幼馴染を見て、俺は口の端を上げ、その柔らかい黒髪を撫でた。
子供扱いされたのが分かったのだろう。
俺と揃いの甚平を着た光汰(コウタ)は唇を尖らせて、俺の手を払った。
「やめてよ、穂積(ホヅミ)俺は本当にそう思っているんだ」
そう言って自分を睨みつける光汰に、俺は苦笑して首を振った。
俺の態度に余計腹がったんだろう。
光汰は目の前の蚊帳をめくると、部屋から出て行ってしまった。
俺は布団の上でごろりと横になると、両手を頭の下で組み、天井からぶら下がっている白熱球を見上げた。蚊帳の隙間から入り込んできたのか、自分の小指ほどの大きさの蛾が光ってもいないそこに何度も体当たりをし、奇妙な音を奏でていた。
光汰が俺のことを名前で呼ぶようになったのはいつの頃からだったか。
小さい頃は俺のことを兄ちゃんと呼んでいたはずだ。しかしいつの間にか…いや、俺が光汰の体に頻繁に触れるようになってから、彼は俺のことを名前で呼ぶようになった。
もう自分にあんなことをする人間は兄ではない。
光汰から名前で初めて呼ばれた時、俺はどこか断罪された気分になった。
光汰に初めて自慰を教えたのは俺だった。
頼まれもしないのに、光汰の下着をずらすと、こんなのは友達同士なら誰でもやっていることだと嘯きながら、まだ小さなそれに触れた。
顔を真っ赤にして俺の手から逃れようとする光汰が可愛くて堪らなくて、もっと追いつめてやりたいとさえ思った。
ただ触れるだけではなく、光汰を素っ裸にして、じっと見つめたこともあった。
俺に視姦されると、光汰の股間の小さなモノは簡単にフルリと天を向いた。
それを揶揄すると、途端に光汰は泣き始める。
俺はそんな光汰を両腕で抱きしめ、耳元で囁いた。
「あんまりお前が可愛らしいからつい意地悪をしてしまった。ごめんな。許してくれるか?」
光汰は鼻をスンスンと啜り上げながら、それでも頷いた。
光汰が俺を拒絶するなんてありえなかった。
それが分かっていた俺は、好き勝手に光汰を弄んだ。
そんな時だった。
あのニュースが飛び込んできたのは。
「穂積、聞いた?二丁目に住んでる川俣さんの息子さん。公園で小学生の女の子にいたずらしようとして、警察に捕まったんですって」
「へえ」
心臓はバクバクと嫌な音を立てていたが、平静を装って、俺は母の話に相槌を打った。
「ナイフで女の子を脅して、裸になれって言ったそうよ。怖いわよねえ。女の子がすぐに大声上げて、出てきた近所の人に取り押さえられたから良かったけど、そんな変態が近所に住んでたと思うとぞっとするわ」
母は買ってきた食品を冷蔵庫に詰めながらそう言った。
俺は頭が痛いから寝ると言い残し、そそくさと部屋に引きこもった。
翌日から川俣一家は白い目で見られるようになった。
田舎の噂話など、あっという間に広まる。
家に落書きをされたり、ポストに動物の死骸を投げ込まれることもあったようだ。
「でもそれも当然よね。そんな変質者を育ててしまった、両親にも責任があるんだもの」
食事の席で母はそう言った。
俺は吐き気を堪えながら、何とかその日の夕飯を食べ終えた。
自分と光汰の関係を俺は考えるようになった。
俺たちのことがばれたら、川俣の家と同じような目に合うだろう。
いくら最後までしていない、同意だと言ったって、世間は許さない。
俺は脳裏にまだ少女のように華奢な光汰の裸体を描き、ため息をついた。
俺はそれから、光汰を遠ざけるようになった。
うちに遊びに来ようとしても、受験勉強が忙しいと突っぱねた。
光汰は不満そうだったが、たまにアイスや肉まんを奢ってやるとすぐ機嫌を直した。
どうしても我慢できなくなり、一度だけキスはしたが、それ以上光汰に触れることはなくなった。
光汰が頬を染め、物言いたげな視線を俺に送っているのは気付いていたが、あえて無視を決め込んだ。
ようやく受験が終わり、俺が第一希望の大学に合格した時、光汰は枕持参で家を訪ねてきた。
「受験って終わったんでしょう?今日はなんと言われても、俺、穂積の家泊まるから」
俺はその言葉を聞き、一度伸ばした手を引っ込め、しかし結局光汰の頬をそっと撫で、微笑んだ。
久しぶりに遊びに来た光汰を両親は歓迎した。
しかし母に光汰と一緒に風呂に入れと言われた時はぎょっとした。
「子供じゃないから、一人で入れる」
光汰がそう答えるのを聞いて俺は胸を撫でおろした。
母が張り切って作った夕飯を、光汰は美味しいと完食した。
まだ寝るには早い時間だったが、光汰が大あくびをしたので、俺は母に布団を敷くよう言われた。
蚊帳を吊り、電気を消して、二組並んだ布団の片方に入る。
「ねえ、穂積は東京の大学に行くんでしょ?」
もう寝ているのかと思うほど静かだった光汰に突然そう言われ、俺は言葉を詰まらせた。
「ああ」
かなり時間をおいて、それだけ答える。
「俺もついてっちゃだめ?」
光汰の言葉を理解した瞬間、俺は勢いよく、上半身を起こした。
「駄目に決まってるだろう。お前だって学校あるんだし」
「でも俺、穂積と一緒に居たい。好きなんだ、穂積のことが」
こいつ性欲と恋愛を混同してる。そしてそうさせたのは俺だった。
俺は目を閉じ、首を振った。
「駄目だ…。だけどお前が20歳になってもまだ俺と居たいと思うなら、お前のこと、迎えに来てやるよ」
「本当?」
「ああ。だからちゃんとここで勉強するんだぞ」
そうでも言わないと、光汰は無理やりにでも付いていくと言いかねないと思った。駄々をこねるのは我慢できるが、万が一俺のしてきたことを暴露されたら取り返しがつかない。
光汰の両親は光汰が地元で進学し、将来は自分たちがやっている農家を継がせたがっていた。俺と離れたらきっと光汰も、両親の敷いたレールの上を歩き始めるだろう。
光汰は俺の言葉に嬉しそうに頷いた。
そして横になると言ったのだ。
「二人だけの世界で生きていけたらいいのに」と。
怒って出て行ってしまった光汰だが、母さんに切ってもらったスイカを手にすぐに戻って来て、一緒に食べようと言った。
光汰のこういう子供らしい無邪気さに惹かれたのだと、俺は眩しいものを見るように目を細めた。
大学に進学してからの日々は目まぐるしく、正直光汰のことを思い出すことはほとんどなかった。
実家にも盆と正月の短い間しか帰省しなかったが、光汰は一度だって俺を訪ねて来なかった。
俺も両親に光汰のことを聞いたり、自ら光汰と連絡を取ろうとはしなかった。
そのまま東京で俺は就職した。
就職して一年目、深夜まで上司の残していった書類と格闘して、ふと顔を上げた時、フロアにはもう自分しか残っていなかった。
そう言えば今日は光汰の二十歳の誕生日だ。
ふいに思い出し、机の上のスマホを手に取る。
しかしすぐに戻した。
光汰の番号を知らないのに、連絡などできるはずがない。
もうきっと光汰もあの約束なんて忘れているはずだ。
俺の知る光汰は、いつも屈託なく笑っていた。
俺の中で光汰は永遠に無邪気な子供のままだ。
そしてそれで良いと思った。
俺はふっと笑うと、仕事の続きに取り掛かった。
それから何年か経ち、俺は職場の同僚と付き合い始めた。
それなりに気もあって、交際は順調だった。
このままいけば結婚かもな。
そんなことを考えながら、彼女と手を繋ぎ、駅から俺の家までの薄暗い路地を歩いていると、少し先で壁に寄りかかっていたスーツの男がこちらをじっと見つめてくる。
俺たちに向かって歩いてきて、目の前で立ち止まる。
男は俺より頭一つ分身長が高かった。
「俺たちに何か用ですか?」
彼女を守るように手を広げ、怪訝な表情で問いかける俺に、男は口の端だけを器用に持ち上げた。
「俺だよ。光汰。穂積、俺のこと覚えてないの?」
「光汰…」
俺は呆然とその名前を口にした。
記憶の中の光汰と全く違う目の前の男に、俺は心底驚いていた。
柔らかかった黒髪は、短くなり、ワックスで固められている。
目は鋭さを増し、頬はこけ、口元には酷薄そうな笑みが浮かんでいた。
なによりその笑顔が違った。無邪気さなんてかけらもない、一応口元は笑みを模っているのに、目は全く笑っていなかった。
「大変だったんだよ。父親が若年性認知症になっちゃって、介護とかさ。東京行きたいって言ったら、母親が自分一人でどうすりゃいいんだって猛反対。この前やっと父親が死んでくれたから、ようやくこっちに出て来れたけど」
そう言って、光汰がくすりと笑う。
これは一体誰だ。親の死を笑いながら話すこの男は。
俺は呆然と目の前の男を見つめた。
隣の彼女が「誰?」と俺のシャツを引くから「幼馴染」と返す。
「幼馴染?幼馴染だって?!」
俺の言葉に光汰が突然カッと目を見開く。
「そうさ。間違っちゃいない。俺たちは幼馴染だ。だけど、それだけじゃないだろう?あんたが迎えに来るって言ったから、俺は父親の下の世話も、母親の愚痴も耐えてきたってのに。あんたは、俺を、ずっと待っていた俺を裏切ったんだ」
ふいに光汰は俺の顎に手をかけ、強引に唇を重ねた。
「んっ、うう」
俺は首を振って抵抗したが、光汰の方が力が強く、その腕から逃れられない。
「きゃあ」と彼女の悲鳴が聞こえる。
俺は思い切り光汰の唇に歯を立てた。
光汰の顔がやっと離れ、血の滲んだ己の唇を押さえている。
光汰は舌打ちすると、俺の後頭部の髪を掴み、上を向かせた。
「あんたに普通の幸せなんて与えない。俺を可愛がってくれたように、今度は俺があんたを可愛がってやるよ」
そう言うと、光汰は俺の首筋をべろりと舐め耳元に口を寄せた。
「これからは一緒に暮らそう。二人だけの世界で生きていこうよ」
またも光汰が俺に口づける。
俺はもう抵抗する気も起きず、腕をだらりとさげた。
何かをわめく彼女の声が耳を素通りしていく。
閉じた瞼の裏に写るのは、幼い頃の無邪気な光汰の笑顔だけだった。
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