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第1話 眠り薬

 城下街、紅麗(くれい)。  麗城から少し離れた位置に存在するこの街は、麗国の中でも一番の賑わいと人が溢れる、首都とも言える街だ。  その広さは街道と、それを取り巻くように建つ、小さな集落や宿を含めると、国を四つに割った内の一つ分程になる。街道は少しずつだが整備され、今では南の国の国境でもある、大きな山脈の麓にまで広がっていた。  街道とそして街のいたるところに、『紅麗』と呼ばれる、魔除けを施した紅の紙を燃やす燈籠があり、人々を魔妖(まよう)と呼ばれる『人ならざるもの』から護っている。  『紅麗』がある場所での旅は比較的安全であり、また足元の見えない夜道を照らしてくれる、街灯の役割も果たしている。  この街の名はこの『紅麗』からついたものだ。  夜になっても決して眠ることのない、燈された『紅麗』の明かりが、ぼんやりと夜の世界を彩り、昼とは違った別の顔を覗かせている。  紅麗の中心部は昼間は活気溢れる市だ。  様々な品物や食べ物が並び、売り子たちの張りのある声が響く。  だが夜にもなればそこは、歓楽街へと変わる。  酒造屋(しゅぞうや)を始め、薬屋や春画を売る屋台が出、遊楼へと誘う店子達の粋な声掛けが始まり、昼間とはまた別の活気に満ち溢れる。  そんな紅麗の中心部から少し外れた、『紅麗』の明かりの届きにくい暗がりの場所に、薬屋『麒澄(きすみ)』はあった。 「……出来れば、薬には頼って欲しくないんだがなぁ、香彩(かさい)」  葉煙草を燻らせながら、呆れたような、どこか憐れむ色を含んだような目で、香彩(かさい)と呼ばれた少年を見るのは、三十も半ばを過ぎた男だった。  名を麒澄(きすみ)といい、この薬屋の主だ。  元々は魔妖や竜や鬼といった、人間以外の薬を専門に扱う薬屋だったが、その腕の評判が評判を呼び、依頼があれば人用の薬も作る。  だがその代金は金銭ではない。  物々交換をすることもあるが、多くは『その薬を使う理由』に、麒澄(きすみ)が興味を惹かれるか否かだった。  理由に惹かれない場合、薬作りを断ることも多く、妥協は一切しない。  そんな彼が充分に興味を引く材料を持っているのが、苦笑いで薬を受け取る香彩(かさい)だ。  白の布着に、紅紐で胸と長い袖部分に縫い取りの装飾を施してある、縛魔服(ばくまふく)と呼ばれる正装を着込んだ少年の、高く結い上げ背に落ちる、春の宵の春花のような藤紫の髪が、動きに合わせてさらりと揺れた。  香彩(かさい)の持ち込む材料は、麒澄(きすみ)にとって時に刺激的であり、時に危険なものでもあり、充分に楽しませて貰うことが多かった。  だか今回ばかりは流石に心配だった。  もう幾度目になるのだろう。  こうやって香彩が薬を取りに来たのは。   「毎日飲んでるわけじゃないから大丈夫だよ」 「……もう毎日、というわけではないんだな」    麒澄(きすみ)の言葉に、香彩(かさい)は無言で頷く。   「今はどれくらいの頻度なんだ?」 「……四日に一回くらい」  何かを諦めざるを得なかった、そんな表情を浮かべたまま答える香彩(かさい)の頭を、麒澄(きすみ)はたまらず、くしゃくしゃに撫でた。  何するのと不機嫌な顔になりつつも、その憂いは決して晴れることはない。  眠れないのだと香彩(かさい)は言った。  彼が城からいなくなる夜は、どうしても眠れずに夜を明かすのだと。  だから麒澄(きすみ)は与えたのだ。  一時の夢を見る眠り薬を。  だが慣れもあってかその効果は少しずつ薄れ、今では強めの薬を処方している。  それでもやはり眠れてはいないのだろう。  香彩(かさい)の顔色はあまり良くない。  たとえ薬の力で眠れたとしても、心の中の叫びに蓋をして、見て見ない振りをしていれば、いずれ身体に異常をきたすのは目に見えている。  眠れない理由を解決することが、一番の近道なのだ。  だが香彩(かさい)自身がそれを望んでいないのだと、麒澄(きすみ)は気付いていた。  『眠れない理由』を『解決』することが、今まで築き上げてきた関係そのものを壊すことに繋がるのならば、香彩(かさい)はたとえ自身が潰れても、解決することはないだろう。    香彩(かさい)が十八になった日から、ひっそりと、まことしなやかに広まる噂がある。それは意外性も伴って、少し離れた紅麗にも拡がりを見せていた。    竜紅人(りゅこうと)が紅麗の遊楼通いをしている、と……。          

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