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第5話 白戸君は混乱している

 あっという間に時は流れて、土曜日が来てしまった。11時。指定された駅前に、白斗の姿があった。  水色のTシャツには謎のクマの顔がデカデカと描かれている。その上から、黒いジャケット、そしてピンクのパンツ。白斗の中で、ピンクを着こなす男は真のイケメンだった。残念ながら全く着こなせていないが。そして何故かサングラスをかけている。白斗の中でイケメンはサングラスをかけているものだった。  もし、ヘドロちゃんがあの男なら。今日のSNSには、白斗の外見について触れられているかもしれない。半ば白斗の作戦であり、ガチのセンスでもあった。 「あ、あのぅ」  雑踏の騒がしさにかき消されるギリギリの音量で、声がかけられた。そちらを見ると、先日の青年が立っている。白いシャツの上から、深緑のカーデガンを羽織って、スキニーデニム。黒い髪は前髪が長めで、少し目を隠しているが、サラサラしていて不潔感は無かった。やはり細い。しかも、白斗より背が低い。 「あの、あの、ただの、しろうとさん、ですよね……」  小声でおどおど尋ねられて、白斗はため息を吐いた。「はい、あの、僕は、しらと、です」と返事をすると、「あっ、ごめんなさい、しらとさん」と素直に言い直した。 「えと、ボクは、地下翡翠って言います……えと、今日はありがとうございます、あの、お店、予約取ってあるので、い、行きましょうか……」  翡翠と名乗った彼は始終おどおどしていて、そのまま倒れるんじゃないかと心配になるぐらい緊張した様子だったので、「あの、リラックスして」と、コミュ障の白斗がなだめなければいけないぐらいだった。 「あ、は、はい」 「大丈夫ですよ、別に、僕にはもっとフランクに接してもらっても……」 「あ、ありがとうございます……」  えへへ、と笑った笑顔が、子供のようにかわいい。と、感じた自分に白斗はゾワゾワした。相手は男だ。しかも自分のことは棚にあげるが、えらく陰気そうな。 「では、では行きましょう……」  翡翠はか細い声でそういうところ、のろのろと歩き始めた。その後ろ姿を見ながら、白斗はヘドロちゃんの姿を思い出していた。下着姿のヘドロちゃんの体のラインを思い浮かべて、思わず興奮しかけるのを我慢しながら、翡翠の後ろ姿に重ねる。残念ながら、カーデガンが邪魔で体のラインは分からなかった。 (くっそ……脱いでくれたらわかるのに……)  思いつめすぎてとてもヤバいことを考えているのもわからなくなってきた白斗は、カフェで席に着いたら顔をよく見ようと思った。特徴的なのは、右の泣きぼくろだ。それが有るなら、とてつもなく可能性は高まる。 白斗はヘドロちゃんの可愛い顔を思い浮かべて、また興奮しかけながら、翡翠の後を追って行った。  カフェは満員御礼といった様子で、主に女性客で賑わっていた。というよりほとんど、お洒落な女性だった。無理もない。よくネットで紹介されている、お洒落でスイーツが映えるカフェだ。オタクが来る方が異質なのだ。  ということで、白斗は場でめちゃくちゃに浮いていて、すぐ帰りたくなった。しかし、ヘドロちゃんと同じ食事を取りたいという気持ちと、目の前の男がヘドロちゃんであるかを確認するまでは帰れない……という気持ちで己をふるいたたせ、女性達の奇異の視線を受けながら、店に入っていく。  幸いなことに、翡翠の取った席はカフェの一番奥の、ひっそりした席で、他の客からは死角となり、落ち着いて食事をとれそうだった。 「こういうお店に男で入るのって、結構キツイですから……予約の時にちょっとお願いしてみたんです……」  気弱そうなのに、なかなかやりよる。白斗は「助かります」と口にしながら、ジャケットを脱いで席に着いた。デカデカとした謎のクマがより一層目立つ。「可愛いクマさんですね」と翡翠が微笑んで席に着いた。 「そうでしょう、可愛いでしょう」  服を褒められるのは初めてで、白斗は少し誇らしくなって答えた。誰も褒めていないのだが、白斗はそれだけで随分機嫌が良くなった。いい奴じゃないか、と思ってきた。とてもちょろい生態だった。 「あの、先日は本当に、ありがとうございました。今日は、ボクが払いますので、好きなものを頼んで下さい……」  もじもじと手を握りながら俯いて言う翡翠に、「ではお言葉に甘えて」とメニューを手に取って、ヘドロちゃんが紹介していたスイーツを探す。それはすぐに見つかった。 「僕はこれにします」  メニューを見せると、翡翠はまた、子供のように笑って「美味しいですよぉ、それ……」と小声で言った。食べたことがあるのだ。またヘドロちゃんポイントが高まってしまった。白斗は、やはりコイツが……と思い、彼の顔を見ようとしたが、すぐに俯いて、「じゃあ」と店員の呼び出しボタンを押してしまった。  すぐにやってきたウェイトレスに注文を伝えると、場に沈黙が満ちた。店のBGMは上品なクラシック。周りは女子トークばかり。目の前の男はもじもじしてばかりで何も言わない。なんとも居心地が悪い。  白斗は彼の顔が見たかった。しかし、彼はやや俯き加減で、白斗と目を合わせない。ただ、首の細さや、僅かに見える肌や鎖骨はひどく白くて細い。睫毛も男にしては長い。むむむ、と見つめていると、「あの」と翡翠が口を開く。 「ボク、あの、友達、居なくて、こうして人と食事に来るのは初めてなので……その……」 「はい」 「あの、こうして、一緒に食事ができるのが、とても嬉しくて、あの……」  もじもじしている。冷静に見れば若干気持ち悪い。はっきり喋れねえのかコイツは、と思わなくもない。しかし、もしコレがヘドロちゃんだったら? ヘドロちゃんと彼の関係性のことを考えすぎて白斗はだんだんわけがわからなくなってきた。  彼がヘドロちゃんだったとしたら、男に騙されていた事になるが、同時にヘドロちゃんと生デートをしていることになる。それが残念なことなのか喜ばしい事なのかわからない。白斗は錯乱していた。 「だから、その、もし、もしよかったら、その、また、今度、また……」 翡翠が顔を上げた。 「また、ボクと、」 「泣きぼくろ」 「えっ」  翡翠の顔に、泣きぼくろが有ったから、白斗は思わず口に出してしまった。翡翠が驚いて自分の顔に触れる。彼のとろんとした二重の右側には、泣きぼくろが有った。 「……泣きぼくろ、有るんですね……」 「えっ、あっ、はい、……はい……」  話の腰を折られて、翡翠は困惑している。白斗は茫然自失としていた。  すっごい、ヘドロちゃんポイントが高い………………。  この場で問い詰めるべきか、白斗は考えていたが、ウェイトレスが運んできたスイーツに二人で興奮して写真を撮りまくってる間には、忘れていた。  彼がヘドロちゃんであるかどうかは、大変大きな問題である。  しかし、白斗はヘドロちゃんが好き過ぎた。  輝名も言っていた。好きになったのは、女だからではない。  ヘドロちゃんはヘドロちゃんであって、中の人が誰であっても、ネットアイドルヘドロちゃんとして、崇高な存在なのではないか……!?  問題は、その中の人と出会ってしまった時、その折り合いをどうつけたらいいのか、さっぱりわからないことだけだ。 「あのあの、今日は、ありがとうございました、あの、それで、その」  別れ際、翡翠は一生懸命といった様子で、切り出した。 「も、もし、白斗さんが良ければ、また、一緒に、お食事しませんか……っ」  精一杯の勇気で言った。そんな必死さが伝わってきて、悪い気はしない。それに、それがもしヘドロちゃんが言っていたらと想像すると、けなげで愛おしくてたまらず、「はい、喜んで!!」と元気に返事をしてしまった、白斗だった。

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