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第8話 白斗君にも色々あった
「へえ〜。翡翠君は理系なんだね。俺たちは文系だからなあ。校舎も違うから、こっちくるの面倒でしょ」
「い、いえ、ボク、いつも一人でご飯食べてるから、こうしてお話ししながらお弁当が食べれて嬉しいです。理系って言っても、ボクは生物学系ですし……」
「すごいなぁ、俺は生物ってややこしくて無理だったんだよね。おやつもあるから、遠慮無く食べてね」
白斗はそんな会話を聞きながら、黙々と弁当を口に放り込んでいた。
ネットアイドル同好会の部室にしている物置には、三人入るといっぱいだ。100均で買ってきた小さな椅子に三人で腰掛けて、コンビニ弁当を食べている。中央には輝名が買って来たおやつが置いてあって、殆どがチョコ系統だった。
白斗はというと、虫の居所が悪い。自分の新しくできた知り合いである翡翠を、輝名に取られたような気分だ。二人は弁当を食べながら和気藹々と喋っていて、コミュ障の白斗は置いてけぼりだ。
(クッソ、コミュニケーションおばけのイケメンめ……)
輝名を睨みつけながら唐揚げをむさぼる。そんな白斗の様子に気づく様子もなく、輝名と翡翠は楽しそうに話している。
「いつもはどこでご飯食べてるの?」
「あっ、え、えっと……その……」
「あ、言いたくないなら言わなくてもいいよ。ここで食べたかったら遠慮無くどうぞ。どうせ俺と白斗しかいないからね。ヘドロちゃんを眺めながらになるけど……」
「あ、ぼ、ボクは平気です、ヘドロちゃんって子、その、か、かわいいですし、こうして人とお話ししながら食べるのって、楽しいです」
ぎこちないながらも笑顔を浮かべる翡翠の顔が、ヘドロちゃんと重なって、白斗は首を振った。違う違う。僕はヘドロちゃんが好きなんであって、男が好きなわけじゃない。同一人物だったとしても、翡翠のことをおかずにすることは、無い。できるわけない、男なのに。
じっと見つめると、とろんとした目や、泣き黒子や、綺麗な肌、細い首筋など、ヘドロちゃんと同じ特徴の部位が目につく。照れくさそうに微笑む表情は、SNSで見る自信満々で自撮りをしている彼女とは少し違う。だが、その笑顔はどこか魅力的な気がしてきた。
(おかずに……でき……る……? いやいや、いやいやいや、待て待て待て白斗。そもそも男をおかずにできるかどうか、考える時点で間違ってる!)
白斗はまたぶんぶん頭を振った。
「さっきから白斗、どうしたの? 耳に水でも入ってるの?」
「どうしたら普通の大学生活してる人の耳に急に水が入ったりするんですかねえ?」
「そりゃ、知らないけど。白斗のことだし……」
「人を何だと思ってるんですか! こんな善良な一般人なのに!」
「一般人はね〜、そんなインド映画みたいな服装してないんだよ〜」
今日の白斗の格好は、オレンジのミニベストを白いTシャツの上に羽織っている。下はダメージを受けすぎているデニムにサンダルだから、さながら森で獣に襲われた後のインド人といった姿になっていた。
「失敬な! 人の格好をdisるのはやめて下さい」
「どこで買ってるの、そういうの」
「百貨店に決まってるでしょう! 僕はね、ファッションには気を遣ってるんですよ!」
「ええ……、百貨店まで行ってわざわざそういうの買ってるの……、店員さんも止めてくれないの……」
「よくお似合いですって言ってくれますよ! まったく、輝名は顔だけイケメンで服装には興味無いですからね、僕の先進的なセンスについてこれないのも無理はありません。頑張って下さい」
「なんか謂れのないことで見下されてる気がする……」
輝名が溜息を吐いて、翡翠を見る。
「どう思う? 翡翠君は」
その質問に白斗は動揺した。彼はヘドロちゃんかもしれない男だ。もし彼の口から「ダサい」などと言われたりしたら、それはヘドロちゃんに「ダサい」と言われることと同意義だ。そんな事を面と向かって言われたら、もう生きていけない。
ガタガタ震えながら翡翠を見ていると、彼は白斗と輝名を交互に見て、それから、
「白斗さんは何でも着こなせて本当にかっこいいと思います」
と笑顔で言った。
ああ、天使。
白斗は心の中でガッツポーズを決めながら、「ほーら! アンタが遅れてんだよ! やーいイケメン!」と輝名に勝利宣言をした。が、輝名は別段気にした風もなく、「そっかあ」とカフェオレをすすっただけだった。
「まあ、みんな違ってみんないいって、言うもんね」
「おい、なに雑にまとめようとしてんだ」
「俺はゴミ捨ててくるよ」
スーパーマイペースな輝名はみんなの弁当の空を集めて、スタスタと部屋を出てしまった。
残された白斗と翡翠の間に、静寂が満ちる。
(あっ、ほら、僕と二人きりになるとこの空気)
気まずい雰囲気に白斗は頭を抱えたくなった。コミュ障には二人っきりで楽しく話すなんて芸当はできない。かといって、みんなでいても黙ってメシを食うことしかできない。詰んでる。
白斗は誰も何も言っていないのに果てしなく落ち込み始めた。沈んだ気持ちで壁を見ると、ヘドロちゃんが可愛いメイド服を着て微笑んでくれている。ああ、可愛いヘドロちゃん。そう考えてから翡翠を見た。彼はこちらをじっと見ていて、白斗はとても焦った。何か、話を振らなければ。
「あの」
「あの」
「あっ」
「あっ、いや、どうぞ」
「いえいえ、どうぞ、どうぞ」
口を開くタイミングまでかぶってしまって、大変気まずい。どうぞどうぞと譲り合って、結局翡翠が根負けして、「その」と話を続ける。
「白斗さんは、どうして、ネットアイドル同好会を作ったんですか?」
「どうして、と言われましても」
好きだったから、としか言いようがない。そういう気持ちを汲んだのか、翡翠が「あの、」と慌てたように付け足す。
「アイドルって、いっぱいいるじゃないですか。音楽を出してる子も、テレビに出てる子も。その中で、ネットアイドルを選んだのは、どうしてなのかなって……」
「あー……」
なるほど、それなら答えられる。白斗は一つ頷いてから答えた。
「僕、いじめられてたんですよ」
「えっ」
「……あっ」
しまった、軽い昼休みの会話のハズが、暗い過去を突然暴露してしまった。これだから空気が読めないコミュ障野郎はダメなんだ。白斗は「あーっと!」と重たい話を務めて軽く伝えようと、微笑んで続ける。
「まあ、その、いじめって言っても、そんな凄惨なものではなくて、まあ、女子にハブられたっていうか……、子供の頃はモテてたんですよ、これでも。だけど、どこかで彼女らの機嫌を悪くさせちゃったんでしょうね〜。無視されちゃって。で、居心地悪くなって、しばらく不登校になってたんですよね」
「……あ、あの、……ごめんなさい……」
「いやいや! 大丈夫ですよ! 昔のことですし!」
申し訳なさそうな顔をする翡翠に、務めて笑顔で伝える。
「それに、おかげでネットアイドルに出会えました。僕がアイドルが好きなのは、現実の女性は何で機嫌を損ねて何をしてくるかわからないけど、彼女達はみんな、笑顔でアイドルでいてくれるでしょう。とりわけ、ネットアイドルはファン層が少ないので、その笑顔が自分に向けられてる確率が高くなるって事で……」
言っていて、随分気持ち悪い。冷静に自分の性癖を鑑みると、とても落ち込んできた。その笑顔が自分に向けられてるわけないだろ、不特定多数に愛されるために笑顔を作って写真撮ってんだよ。自分にツッコミを入れながら、またヘドロちゃんの写真を見る。
そこに写っているのは、女装している翡翠なのかもしれない。だがそれは確かに、ネットアイドルヘドロちゃんだ。
「それに、アイドルって本当にすごく尊敬すべき人だと思うんです」
「そ、そんなにですか?」
「だって、彼女達には、なりたい自分が有って、それを実行してるんでしょう。それって、すごいことだと思うんです」
白斗は自分のことを振り返って思う。あの時、翡翠を助けるためにチンピラに声をかけようと、どれほどの勇気を振り絞っただろう。なりたい自分を持ち、そうなる為に行動することは、とても勇気のいることだ。
「理想の自分がいたとしても、行動しない人はとても多いと思うんです。行動しても理想に近づけるかわからないし、もし理想の姿になれたとしても、自分が幸せになれるかわかりませんから。今までと生き方を変えるのって、ハイリスクでとても勇気とパワーのいることだと思うんですよ。生まれながらのアイドルなんていないんですから、彼女らは何かしらの努力をして、こうして笑顔を浮かべてる」
ヘドロちゃんはいつでも、白斗に微笑んでくれている。目の前のこの、おどおどした青年が作っている表情だとしたら、彼はヘドロちゃんを演じる為にどれほどの努力と勇気を必要としただろう。そう考えると、白斗は彼を騙したと責める気にはならないのだ。彼はなりたい自分になろうとしただけ。その夢を見つめて盛り上がっていたのが、部外者の自分。なら、それを責める権利など、白斗には存在しないのだ。
「僕はその一点だけでも、彼女達はすごい人達だと思います。自分を磨く為に努力して、毎日なんらかSNSを更新したりするのも大変でしょう。たまには落ち込む日だってあるでしょうに、毎日笑顔を撮り続ける。美味しいものを我慢もするでしょうし、運動もするでしょう。本当にすごいことだと僕は思うんです。僕には、そんなことはできませんから」
しみじみとそう思う。白斗にはこの歳になっても夢が無い。強いて言えば、怖い女のいない世界にいきたい。生のヘドロちゃんを見たい。それぐらいしか希望が無い。そうしてドロリと溶けたように人生を送る自分を恥じている部分も有る。だからといって、そんなのはよくないと一念発起するわけでもない。自分はダメな人間だと思っているから、だからこそ彼女達はとびきり輝いても見えた。
「……白斗さんは……」
大いに語った白斗の隣で、翡翠が呟いた。
「白斗さんは……本当に……かっこいいです……」
「……今の会話で、どうしてその結論に至ったんです……?」
翡翠を見ると、彼はまさしく王子様を見るような、キラキラした目で白斗を見つめていた。
「アイドルを……そんなに深く考えて……追いかけてる人なんて、初めてです……白斗さんは本当に……素晴らしい人です……」
「よ、よしてください、僕はただのキモオタですよ」
そんなに褒められるととても照れ臭い。しかも事実、毎晩ヘドロちゃんをおかずにしているだけのキモオタである。しかし、翡翠は「そんなことないです!」と続ける。
「白斗さんは、アイドルと向き合って、それでこんなに愛してる、本当に真摯な人です。それにボクを助けてくれる優しい人で、勇気があって、それに、お顔も整っているし、お友達とも仲良く付き合えるし、ファッションもすごくこだわっていて……」
翡翠がいうと本当にそう思って言っているようで、むず痒い。彼は本気でそう思って褒めているのだ。そんな風に褒められたのは初めてで、なぜだが白斗は顔が熱くなってきた。「よ、よしてください」と止めてみたが、翡翠は興奮した様子で聞いていない。
「ボクは、そんな白斗さんのことを尊敬しています! ボクは、白斗さんのことが好きです!」
そして急に愛の告白のようなことを言われて、「えっ!」と大きな声を出してしまった。それで翡翠も自分の言ったことに気付いたらしい。「あっ、もちろん、同性として尊敬しているという意味で!」と付け足した後で、真っ赤になって俯いてしまった。
そういう仕草は、可愛いと思ってしまって、白斗はブンブン頭を振って、ヘドロちゃんのポスターを見上げた。
僕が愛してやまないのは、ヘドロちゃんだ。アイドルとしての、彼女であって。中の人ではない。
だけど、今すぐ彼のことを、ありがとうと抱きしめたい。
よくわからない感情と衝動に頭がおかしくなりそうだった。そんなところに「アイス買って来たよ〜」と帰って来た輝名に、人生で一番感謝した。
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