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第7話

 それからは特にその事について話す事も無く、普通にゲームをする日々が過ぎた。皆と集まったり、一人でゲームをしたり、たまにはカイと二人で遊んだ。しかしカイは何も言わないし、何事も無い日々だった。あんな事になる前まで、何もかも戻ったかのようだ。  それを少々不満に思わない事もない。だがそれ以上考えないようにしていた。あの日々の全てが間違っていたのだ。だからそうでなくなった事は、良い事だ。自分にそう言い聞かせている。  それでも、カイと会っていた水曜日が来ると、出掛けなくては、と準備して。それからふと、その必要は無いと思い出し、少しだけ、ほんの少しだけカイの事を考えて、寂しくなった。  しばらく経った頃だ。  遊馬はカイと二人で格闘ゲームをしていた。だがどうも、様子がおかしい。カイの攻撃に容赦が無いのだ。  普通フレンド同士で遊ぶ場合には、それほど本気は出さないものだ。特に相手が負け続きであったりすると、空気を読んで手を緩めたり、使い慣れていないキャラで戦ったりする。本気を出して殺伐とした空気になるのを避けていた。カイは割とそういう事が苦手なほうだったが、それでもある程度は手を抜いたりもしていた。  ところが今日のカイは、そういう配慮を全くしない。これでもか、と攻撃してくる。カイと遊馬には実力差はあまり無いのだが、カイが本気で倒しにきている事に気付くまで時間がかかって、遊馬は惨敗していた。それでもカイは手を抜かない。  おまけに一言も喋らない。その癖、一回の戦いが終わると即座に次の戦いを始めようとする。遊馬は一体何なんだ、と思いつつも戦い続け、やはり負けていた。流石にムカムカしてきたが、カイの様子がおかしいのは間違いないので、コントローラーを投げるのだけは堪える。 「……カイちゃん、なんか、怒ってんの?」  もはや遊馬も怒る寸前まで来ていたが、とりあえず尋ねてみた。カイは「別に」と一言返す。別に、ってお前……、怒ってる時の返事じゃねーか。遊馬は眉を寄せて、「なんか気に入らねえの?」と再度聞いてみる。 「仕事でなんか有ったとか、嫌な事有ったとか」 「別に……」 「んじゃ、どしてそんななのさ」 「……」  カイは返事をしない。流石にゲームを続けようとはしなかった。ゲーム画面もピクリとも動かないし、カイは何も言わない。こりゃどうにもならないな、と遊馬は思って、ゲームを止めようと口を開けかけた。 「僕に」 「……ん?」 「僕に、会いに来て下さい」 「は?」  急に言われたものだから、変な声が出てしまった。何を言い出すんだこいつは、と思っていると、「会いに来て下さい」ともう一度。 「なんで」 「なんでもいいでしょ」 「よかないよ、用事も無いし、カイちゃんもうゲームクリア出来たんだろ? もう俺が行っても仕方無いじゃないか」 「……」  カイはしばらく黙って、それから、小さな、小さな声で。 「……会いたいんです……」  と、それだけ言って、また黙った。  それがあんまりしおらしくて、遊馬は困ってしまった。  部屋を訪ねても、カイはしおらしいままだった。ついでに何も言わない。リビングに通されて、コーヒーを出されたり、お菓子を出されたり。カイにしては珍しく配慮してきて、ものすごく不気味だった。遊馬はちょこんとソファに座っている。隣には俯いたカイ。  これでカイが女だったら、絶対ここで出るセリフは「生理が来ないの」だよな……。などと遊馬は考えてしまった。幸いカイは男だから、それだけは心配が無い。 「……なんで」 「ん?」 「なんで、何も言わなかったんですか」 「何って……」 「終わりだって言った時、何で、何も言わなかったんですか」 「そんなもん……だってカイちゃんもかなり素っ気ないメールだったよ? それに最初からそういう話だったわけだし……」 「だからって……だからってもう少し、やる事有ったんじゃないですか」  何を言ってるんだ。遊馬は眉を寄せた。カイはやや俯いていて、遊馬を見ない。遊馬はカイを見ていた。表情の変化は小さいが、悲しいのか怒っているのか、いつもとは違う顔をしている。 「カイちゃん、何言いたいの。俺判んねーよ」 「……僕ら、キスもしてないんですよ」 「……」 「……」  その言葉に遊馬は何となく悟った。  カイは、すっかり遊馬に惚れているのだ、と。 「……カイちゃん……」 「……僕は、……僕がどんな気持ちで居たか、遊馬さんには判らないでしょうけど、でも、……僕は、遊馬さんと居るのが……好きでした」  そしてカイは一つ溜息を吐いて、それからは饒舌になった。 「僕はもう、女も男もウンザリしてたんです。もちろん女が面倒だと思ったのは仕事のせいも有りますよ、でも何より僕がそう思ったのは、母なんです。母は僕を個性的な子に育てたかったみたいで、何かと叱ったり褒めたりしました。僕を、母好みの個性的な子にしたかったんです。僕はただのおもちゃでしたよ、母を喜ばせようとして叱られ、何でもない事で褒められ、……ああもううんざりでした。だから……だから、一定の事をすれば必ず報いてくれる、ゲームが僕のよりどころになったんでしょうが……」  ところが、ゲームの世界に対人関係が現れると、またカイを悩ませる。 「男はゲームについて何かととやかく、やれああしたほうがいい、こうしたほうがいい、僕が何か言うとそのうち離れて行く。避けられてるのぐらい判りますよ、でも寄り添えない、折り合いなんて付けようがないんです。僕は一人だと思っていました。だから……だから、遊馬さんが何も言わないで、側に居てくれたのが、すごく、……僕にとっては、……大変な事で……」 「は、あ……」 「……だから……酔ったふりなんてして……店教えたり……」  あれ、わざとだったのかよ。遊馬はますます眉を寄せた。と言う事は、と考える。そうまでして罠にハメたのだ。カイが遊馬にすっかり惚れてしまったのは、体の関係に至るずっとずっと前だという事になる。 「カイちゃん……俺に……ウソついてたんだ……ずっと、色んな……」 「……会いたかったん、です……」  カイは気まずそうに、小さな声で言う。 「店が判ったら、会い来るんじゃないかって。……来ませんでしたけど。あぁやっぱり僕は好かれてないんだと思いました。お客さんには人気有りますけど、でもあれって、偽ってる僕ですから。こういう素の僕を好きで居てくれる人なんて、居ないんだと。融通利きませんし、我儘ですし、……自覚ぐらいは有りますよ、どうしようもないだけで。……そんなどうにかなったら、世の中良い人しか居ませんからね。……それで、……しかもゲームまでクリア出来なくて。僕を肯定する物が無くなりそうで、だから、……だから焦ったんです」  だから、貴方にあんな事を要求したんです。どうかしてます。  カイは今にも死にそうな顔をしている。なんというか、絶望しているようだった。カイが何を考えているのかは判らない。ただ、カイも遊馬の事を判っていない。  遊馬は、カイに会いに行ったのだ。会わなかっただけで。遊馬だってカイの事を気にしていた。そしてカイの事を否定などしていない。  そして、忘れようとしただけで、あの時確かに、遊馬はカイを愛していた。歪んではいたけれど。 「カイちゃん」  死刑宣告でも待っているようなカイに、出来るだけ優しく言ってやる。 「難しい事良く判んねっけど……、要するに、カイちゃん、俺の事好きで、……んで、キスしたかったんだよね?」 「……」 「ね?」  相変わらず何度か問うてやらなければ返事をしない。カイはただ頷いただけだった。ああ、もう、こいつは恋する少女か何かか、気持ち悪い。たまらなく可愛い。だから、遊馬はカイをぎゅうと抱きしめた。恋人同士がやるようなハグ、で。 「じゃあ、今からすればいい」 「……遊馬さ、」 「残念ながら俺も、どうかしてんのよ」  苦笑して、キスをした。 「遊馬さん、遊馬さん落ち着いて下さい、おかしいですこんなの」  うろたえるカイを無視して、何度もキスしてやった。頬を手で挟んで、啄ばむように。それでもカイが抵抗するから、後頭部に手を置いて、深く。そのまま体をソファに押し付けて、何度も。カイは口が離れる度に、何か言おうとしたから、その度にまた塞いだ。  ややすると抵抗も止んで、口を離してやると、カイは困ったような顔をしていた。 「なに、何するんですか、遊馬さん、僕の事別に好きじゃないでしょう」 「うんにゃ、好きだけど?」 「そ、……もう契約関係は終わったんです、そんな嘘吐かなくても、」 「契約関係終わってるから、嘘は吐かないよ」 「……」  カイは絶句した後に、「いや、でも、しかしですね」と何か早口でまくしたてる。何やら自分を過剰に卑下しているようで、それがおかしかった。思わず笑ってしまうと、馬鹿にされたと思ったのか、また落ち込んだような顔で黙ったので、ぎゅうと抱きしめてやる。 「いいかいカイちゃん、愛したり愛されたりってのはいいトコばっかりじゃないよ、ゲームが楽しい事ばっかりじゃないようにさ。カイちゃんは確かにちょっとアレな所、有るよ、たぶんいっぱいね。でもそりゃ俺にだってある事だろうよ。別にカイちゃんだって、俺がただの良い人だと思ってるわけじゃないだろ? だけど好きなんだよ、判る? だから俺も、カイちゃんが自分をどう思っていようと好きだよ」  可哀想になあ、愛された事も無いし、愛した事も無いんだろうなあ。そう言いながら、頭を撫でてやる。カイはしばらく黙っていたが、やがておずおずと、遊馬の頬に唇を寄せた。それはキスにさえならないものだったが、その不器用さが愛らしくて、遊馬はカイにまた深くキスをした。  今までしてこなかった事をたくさんした。それは遊馬が愛撫する事から。いつもカイが任せていろと言うから、あまり触らなかったので、出来るだけ丁寧に身体中を撫でる。カイはずっと困ったように眉を寄せていた。胸に触っても女のそれとは違って、あまり過敏には反応しない。それについてカイは「調教すればそれなりになるそうですよ」と言っていたが、そういうとんでもない事をサラッというのが、カイらしいと思った。  つまり調教されたいの? と尋ねると、カイは一言、冗談じゃないと、それだけ答える。真意は定かでは無かったが、今日の所は大した事にもなりそうになかったので、胸にこだわりはしなかった。  そして今日は、カイをうつ伏せにさせなかった。戸惑うカイを仰向けにして、そのまま愛撫を続け、中に押し入る。カイは最初苦しげにしていた。後ろからよりは少々苦労した。慣れてからはカイは困ったように落ち着き無く視線を何処かにやって、それから自分の顔を腕で隠した。ああ、恥ずかしいんだなあ、と遊馬は微笑ましく思う。  いつも素っ気ない、感情の見えないカイの心が見えるのは、とても楽しい。愛しい。だから隠している顔に向かって、「かわいい」と言ってやると、「よしてください」と震える声。ああ、可愛い。可愛くて仕方ない。  腰を揺すってやれば、ア、と甲高い声を出して、それから慌てたように口を手で塞いだ。ああ、縛り上げて好きなように喘がせてやりたい、と少しだけ思う。が、今日の所は許してやろうと思う。あまり苛めていたら、ヘソを曲げてしまいそうだ。  脚を抱え上げて、カイの好きなようにしてやる。ゆっくり腰を引いて、ぐいと奥まで戻るを繰り返す。その度にカイは「んーーっ」と手の中で声を上げた。気持ち良いんだなあ、と思いつつ、何度も、何度も。次第に耐えられなくなったのか、カイは身を捩ったり、片方の手でシーツを掴んだり。ややして、シーツに寄せられていた手は、遊馬の体に。  ああ、甘えてる。いつもそうだった。カイは遊馬にだけ甘える。それが愛しい。独占出来る優越感かもしれない。いずれにしても、遊馬にとってカイは愛らしい存在だった。とてつもなくワガママな猫のようだ。そのくせ一人だと寂しくて、家に帰ると玄関で飛びついて来るような、そんな。  ぎゅう、と抱き締めて、激しく腰を揺する。カイの手が遊馬の背中に回って、縋りつくように指で引っかく。その痛みまで愛しい。気持ち良い。耐えきれなくなったカイの声が、耳元で漏れる。それがたまらなく嬉しい。遊馬は夢中でカイを貪った。カイもまた、遊馬にずっと縋りついて、好きなようにされ、鳴いていた。  また一眠りしていたようだ。横を見ると、カイが近くで、こちらを向いて横になっている。カイも疲れ果てて眠っているようだったが、こちらを向いているのは初めてだ。それでも引っ付いてこないところが、妙に可愛くて、遊馬はそっと抱き寄せてやった。  ああ、重症だ。どうかしてるよ、俺達。  苦笑して、そっとカイの髪に口付ける。それでもまあ、今はいい。歪んでいる関係も、いいだろう。人はえてして何かが欠けているのだから、二つがくっつけば何処かに必ず歪みは出来るものだ。歪んでいない関係等、無いのだ。  だから、遊馬はしばらくはこのままでいいと思った。

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