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日野浦との出会い

 個人的なトラブルで勤めていた出版社を辞めざるを得なくなり、つてを頼ってどうにか再就職できたのは、歴史関係の書籍専門の小さな出版社だった。  前の会社では若い男性向け情報誌の編集部にいたため、仕事内容も職場の雰囲気も以前とはかなり違っていて戸惑うことばかりだ。  それでもこうしてまた本に関わる仕事に就けたのは幸せなことだと思うから、早く慣れようと毎日奮闘している。 「貞森(さだもり)くん、ちょっと」  応接スペースから顔をのぞかせた上司に呼ばれてそちらに向かうと、上座には40才前後に見える細身の男性が座っていた。  グレーのスーツを着慣れた様子と柔和な顔立ちは、この出版社でよくお世話になっている歴史学の大学教授たちの雰囲気と共通するものがある。  けれども同時に、歴史学の教授にしてはちょっと顔が良すぎるなとも思う。 「日野浦(ひのうら)先生、彼がさっき話した貞森です」  上司の言葉で、俺は男性の正体を知る。  日野浦──日野浦有紀(ゆうき)はこの出版社から本を出している人気の歴史小説家だ。  もともとは歴史学者だったのだが、専門である古代史を一般の人にもっと知ってもらおうと歴史小説を書いたところ人気が出て、作家の方が本業になってしまったという人だ。  本業は作家だが今でも大学の客員教授でもあるので、俺の推測も間違ってはいない。  日野浦に挨拶をし名刺交換を終えると、上司が口を開いた。 「実は日野浦先生が今書いていらっしゃる小説を、誰か歴史にあまり詳しくない人に読んでもらって感想を聞きたいとおっしゃってね。  ちょうどいいから貞森くんに頼もうかと思って」 「それは責任重大ですね。  気合いを入れて読ませてもらいます」  俺の返答に、日野浦先生はくすっと笑った。 「やる気になっているところ申し訳ありませんが、できればあまり気負わずに読んでいただけるとありがたいです。  今回は『歴史に詳しくないけど何となく手に取ってみた』というような読者さんの意見を聞いてみたいと思っていますので」  そう言った日野浦先生のまなざしは優しく、まるで転職したばかりで気負っている俺を微笑ましく見守るかのようだった。  きっと彼は、大学教授だった時は同じように何人もの学生たちを見守り導いてきたのだろうなと思うと、初対面の作家さんにそんなふうに思われてしまった自分の未熟さが少し悔しく、けれども同時にそうやって思いやってもらえることがくすぐったいような嬉しいような気持ちにもなった。

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