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最後の最後に

 いくら謝られても、職場の上司にむやみによそよそしくされたショックは消えない。  俺のほうはむしろ、あのときのおかげで距離が縮まったみたいで、嬉しく思ったのに。  なのに、同期の男には朗らかな表情を見せておいて、俺には怯えを紛らすように突っぱねてくる、なんて。  そんなの、悲しいし、嫉妬もする。 ……だからこれくらいの嘘っぱちは、許してほしい。 「……実は俺、あの日、何があったのか実はあまり覚えていなくて」 「……え?」 「よければ、理由をお伺いしても……?」 「……」  下から顔を覗きこむようにして、いかにも無害そうに眉をさげて首をかしげる。  彼は躊躇うように、うろうろと視線を彷徨わせてから、意を決したようにドカッとベンチに座る。  それから心なしか、隣にいる俺に身体ごと向けて、目は合わないまま、訥々と口を開いた。 「本当に、覚えていないのか」 「全く、というわけではないですが。うろ覚えな感じですね」 「……俺が、お前にしたことも?」 「何かされたんでしょうか……? あなたとたくさん話せて嬉しかった、という記憶しかないんですよね、俺には」 「……悪い、色々と迷惑をかけた。俺は、酒に弱いくせにほとんど覚えているんだ。年甲斐もなく、部下のお前に醜態をさらしたことを本当に申し訳なく思っている」 「でも俺、全然いやな印象が残ってないんですよ。だから課長も、もう気にしないでください」 「……あ、あぁ」 「それより、良かったあ……。俺、課長に嫌われたと思ってて、ほんとすごい寂しくて」 「……」 「でも、そうじゃなくて良かったです。って……、どうかされましたか? ぼんやりして」 「……いや、あの、そんなふうに思ってたなんて、意外だと……。てっきり、俺のほうが気味悪がられてもおかしくないと思ってたからな」 「そんなこと、あるわけないですよ」  どこか茫然としている課長に笑顔で言うと、彼も少しずついつもの平静を取り戻したのか、やっと表情が和らいでいく。   「言ったじゃないですか、あなたは俺の憧れだって」 「……え?」  俺はベンチから立ち上がりながら『そろそろ業務に戻りますね』と、課長に伝える。  こちらを見つめる課長の顔は、あのときの無防備な子どもみたいだ。 「ところで、課長」  言葉が見つからないのか、呆気にとられたような彼に、さらに続ける。 「いつ行きましょうか、猫カフェ」  どんどん血の気が引いていく課長に、俺は優しく微笑んだ。  忘れたなんて、言わせないですよ。 fin.

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