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第10話

「こんなものか」  本日は学校も、コンビニも、オニィオネェさんのお店も、家庭教師のバイトも休んで普段は寝にしか戻っていないボロアパートで、本庄は珍しく朝から台所に立っていた。  ピンポン。  最後に煮豆を盛り付けて蓋をしたところに来客を知らせるチャイムが鳴る。  来た。 「はい」 「ごめんくださ――君か。」  低い声に扉を開ければ、待ち人来る。が、ナゼか向こうは大層驚いた顔をしていた。理由が解らず、首をかしげながら本庄は相手を見上げる。  どこかで聞いた事のある腹に響くような美声、一度は目を見開いたもののすぐに真顔に戻ったスキンヘッド。 「……お、お客さん?!」  いつものサングラスはなく、黒スーツが袈裟(けさ)と衣に変わっているが。そして今は真夜中のコンビニではなく、真昼間の本庄の自宅である。 「お坊さんだったんですか?」  尋ねればわずかに引かれる顎に唖然としたまま見つめる。  どこが危うい仕事の人間だ。  こっそりと心の中で後輩であり同僚でもある男を罵倒する。 「一周忌と三回忌法要と聞いたが」 「あ、はい。お願いします」  入り口を塞いでいた事に今さらながらに気付いて、中に誘う。 「……珍しい。」  差し出した茶で口を潤した彼は、線香や焼香などの準備をしてから改めて位牌(いはい)に向かい、そして本庄を振り返って経本を手渡した。 「はじめさせてもらう」 「お願いします」  (おごそ)かで凛とした低い声に導かれながら、本庄も母と祖母に経をあげて自分なりにも彼らを供養することができた気がする。自己満足でしかないが、彼が居てくれたことによってそれも大分違う。ドッシリと構えてくれている僧侶だからだろうか。今まで得体の知れなさによって周りが(うそぶ)くように、もしや履歴書に書けない職業の可能性も捨て切れなかったので、現金といえばそうなのだろう。人間見た目でないのに。  自分の浅ましさに落ち込みながら、それを相手に悟られぬよう顔を上げる。 「ありがとうございます。あの、何か変でした?」  新しく淹れた茶を口にする男を見上げながら、本庄は気がかりだった事を質問してみた。バイト中ではないので聞いても問題ないだろう。 「ああ、霊供膳(れいくぜん)が正しく配置されていると思ってな」  仏壇にあげられた二つの膳を示される。 「どこの家も大概間違えてあげられていることが多い」  まぁ、注意深く見なければどれも同じ器に見えて、まずどれが器か蓋かの判断も難しい。 「――そうか、凪子(なぎこ)さんの息子だったか。言われてみれば、よく似ている」 「母をご存知ですか?」  昔を懐かしむように、細められる目に不覚にもドキッとする。 「同じ道場で散々扱かれた」 「はは……」  乾いた笑いしか出てこない。  彼女は相当剣道の腕前があったが、同じくらい立ち居振る舞いから厳しい人だった。そんな人間に扱かれていただなんて恐ろしすぎる。それこそ本庄は心の中で手を合わせた。 「あ、じゃあ、お客さんはココの人ですか」  しかし、本庄が法事の打ち合わせに庫裡(くり)を訪れたときは一度も見かけたことはない。ちなみに庫裡とは、厨房があったり住職やその家族が住む場所のことだ。  内心首を傾げたのに気付いたのか、今まではサングラスに隠れていた視線が鋭く本庄を捉える。 「しばらく僧堂――勉強や修行に出ていたからな。これからは親父たちとも分担していくだろう。しかしその『客』ってのは、どうにかならないのか」  言わんとしている事が解らなかった。  キョトンとして首をかしげた本庄はぼんやりと相手の顔を眺めて、そしてハッとする。 「……し、信楽(しがらき)、さん?」 「――ああ。ひとりか」 「天涯孤独になっちゃいましたから」  相次いで祖母と母が他界し、父も他の親族も知らない。就職したら給料で今まで苦労していた彼女らにちょっとした贅沢でも、と考えていた夢は本当に夢になってしまった。親孝行、したい時には親はなしとはよく言ったものだ。 「そうか。ごちそうさま。行くか」  いつのまに荷物をまとめたのか、卒塔婆(そとば)を持った彼は腰を上げて本庄をこれからの予定へと促す。この後は安置されている墓地と本堂でお経をあげてもらう。 「一人なら一緒に乗っていくか」 「……え、」 「目的地は変わらんし、送るくらいはする」  通された助手席に本庄は目を(しばた)かせた。

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