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バレンタインss6

医務室でアオキが目を覚ましたのは、営業時間がとっくに終わった頃だった。 あの後、紅鳶を呼びに休憩室に入ってきたスタッフにあわや目撃されそうになったのだが、紅鳶が上手いことかわしてくれたおかげで何とかばれずにすんだ。 体調が悪いということにされたアオキはそのまま医務室に連れて来られると、少し休むよう言われたのだ。 イベントで忙しい中一人休ませてもらうのは気が引けたが、内心有り難かった。 とても仕事に戻れるような精神状態ではなかったし、何より紅鳶と顔をあわせるのが酷く気まずかったからだ。 そのまま医務室のベッドの中で悶々としているうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。 布団からのそのそと起き上がると、アオキはぼんやりと宙を見つめた。 瞼は腫れぼったく、重たい。 散々泣いたせいだ。 けれど頭はすっかりと平静さを取り戻している。 ずっと胸に秘めておくはずだった。 想いを打ち明けて紅鳶との関係が気まずくなるくらいなら、自分の中にずっと閉じ込めておく方が賢明だと思っていた。 一緒の職場で働けて、毎日姿が見れる。 それだけでアオキは充分幸せと思っていたのだ。 しかしずっと押し留めていた想いは積もりに積もり、いつの間にかその許容量を超えてしまっていたらしい。 一度溢れ出したそれは決壊したダムのように次から次へと溢れ出て、アオキ自身でさえ止めることができなかったのだ。 みっともなく泣きじゃくりながら告白してしまった事を思い出し、アオキは一人真っ赤になると再び布団の中に潜り込む。 羞恥でどうにかなってしまいそうだ。 きっともう二度と、紅鳶とまともに顔を合わせられないだろう。 どうか今日の出来事が全部全部夢であって欲しい… 祈るような気持ちで丸まっていると、医務室の扉がノックされた。 布団の中から小さく返事をすると、誰かが部屋に入ってくる気配がする。 ベッドを仕切るカーテンが引かれる音がして、アオキは誰が来たのか確かめるため布団から顔を出した。 そこには… たった今もう二度と顔を合わせられないと思っていた男が立っていた。 アオキの視線に気づいた紅鳶はバツの悪そうな顔をすると、持っていたものを見せてくる。 それはアオキの着替えや荷物だった。 休憩室に戻る手間を考えて持って来てくれたのだろう。 「ありがとう…ございます」 気まずさを感じながら受け取ると、紅鳶がポツリと呟いた。 「悪かった」 その声にはいつもの覇気が全く感じられない。 「お前を泣かせるつもりはなかったんだ。ただ、その…お前が誰かに…と思ったら頭に血が上って…あぁ…言い訳がましいな…」 紅鳶は困ったような表情でくしゃくしゃと頭を掻くと、深くため息を吐いた。 そのまま何かを考え込むと、再びアオキへと視線を戻す。 「もしお前が許してくれるなら…さっきお前が言ってくれた事の返事をさせてくれないか」 紅鳶の言葉にアオキは慌てて布団から飛び出した。 「返事なんてい、いいんです!!お、俺…あの、その…本当に…すみませんでした…迷惑ですよね、急にあんなこと言って…」 あはは…と笑いながらも、また目頭の奥が熱くなってくる。 泣くな。 アオキは自分に言い聞かせた。 紅鳶は優しい。 きっとアオキが傷つかないよう断る言葉を慎重に選んでいるに違いない。 なのにここでアオキがメソメソと泣いてしまったら、今からアオキをふる紅鳶がますます罪悪感に苛まれてしまう。 なんともないをしなくてはいけないのだ。 これから、同じ職場で顔を合わせていくためには、そうしないといけない。 アオキは今にも折れてしまいそうな心を奮い立たせると、涙を堪えその時を待った。 しかし、紅鳶の口から出た言葉はアオキの想像していたものとは全く違うものだった。 「俺も、お前が好きだ」 腫れぼったく、重たかったはずの瞼が一瞬で持ち上がる。 アオキは瞠目すると紅鳶を見つめた。 好きだと聞こえた気がしたが聞き間違いだろうか。 だってそんなことは絶対に有り得ない。 憧れていたあの紅鳶が、ただのしがないウェイトレスであるアオキのことを好きだなんて有り得ないことだ。 からかわれているのだろうか。 アオキはふと、そう思った。 しかしこちらを見下ろす紅鳶の表情はいたって真摯で、とてもアオキをからかっているようにはみえない。 「え?あ、…あの…」 ついさっきまで、この世の終わりだったアオキの胸中は一気にバラ色へと変わリ、そのあまりにも大きな変化に思考が全く追いついていかない。 絶句するアオキに向かって紅鳶が不安げに訊ねてきた。 「やっぱり…さっき俺のことを好きだと言ってくれたのは聞き間違いだったか?」 そんなことあるはずがない。 アオキは目を見開くと口をパクパクとさせながら懸命に絞り出した。 「本当です!!聞き間違いなんかじゃありません!絶対に本当に本気なんです!!」 言ってしまった後で、自分の必死さとおかしな日本語に気づき恥ずかしくなってくる。 「良かった…これでようやくお前を手に入れた」 紅鳶はホッとした表情でそう言うと、アオキの身体を力一杯抱きしめてきた。 心がふわふわと風船みたいに浮き上がって何処かへ飛んで行ってしまいそうだ。 バレンタインという日に好きな人と結ばれるなんて、映画やドラマだけの中だけの話だと思っていた。 特にアオキが想いを寄せている人とは絶対に一生有り得ないと思っていたのだ。 さっきまで夢であってほしいと思っていたのに、今度は夢であってほしくないと願っている。 紅鳶の広い背中に手を回し、その胸の中で幸せを噛みしめているとふと、鞄の中にしのばせたチョコレートのことを思い出した。 今ならきっと胸を張って渡せるはずだ。 「あの…俺渡したいものが…」 しかしアオキの言葉は紅鳶の唇によってあっという間に奪われた。 開いた唇から潜り込んできた舌はすぐにアオキのものと絡み、その舌戯に甘く蕩かされていく。 それはどんなチョコレートよりも甘く濃厚だった。 end.

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