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行く末 11
「敬吾さん、おまたせしましーーーーたっ……………」
「おー、行くか……………なに?」
アパートのエントランス前にて。
敬吾が振り返るなり、逸は目も口もぱっくりと開けて、ぱんとその口を覆った。
「めっ眼鏡っーー」
「眼鏡っつーかサングラスな。運転の時眩しいとダメなんだよ俺…………なあ、顔がうるせえんだけど」
「にっ似合うっ………!やばいやばい凄い似合う」
「うるせえなぁ行くぞー」
「はぁい……!!」
「…………。」
ぱやぱやと浮かびそうな足取りと顔つきでついてくる逸をやや強引に無視しながら、敬吾は隣の一軒家へと向かっていった。
「そういえば敬吾さん車ってどこ停めてたんですか?敬吾さんちもしかして駐車場付き?」
「んなわけないだろ」
二の句を継ぐことなく敬吾が呼び鈴を押す。
小さい返事とともに玄関が開き、出てきたのは逸には見覚えのない女性だった。
「おはようございます」
「あら、おはようございますー、ごめんね今お父さん留守なのよー」
「そうですか、じゃあ……今日で車出しますんで、よろしくお伝え下さい。これ良かったら皆さんで」
「あらー気を使わせちゃって……ありがとうねー」
「いえいえ、ありがとうございました」
敬吾と逸は踵を返したが、女性は長いこと見送ってくれていたようで戸の閉まる音はかなり遅れて聞こえた。
そこでやっと逸が口を開く。
「えーっと大家さんちですよね?」
「うん、今の人娘さんな。裏に車停めさせてもらってた」
「あーなるほど……」
「ちょっとアイドリングしてくぞ。バッテリー上がってなきゃいいけど」
「ずっとこのまま?」
「いや、何回かは動かしたけど……」
敬吾の母のものだという軽の四駆は、懸念とは裏腹に機嫌よくエンジンを始動させた。
「お、良かった」
「マニュアルですか!」
「えっお前限定か」
「いや免許自体まだ無いんですけどね、友達は限定多いですよ」
「へー、俺の地元結構雪降るからなあ、普通にマニュアル強いわ」
「お母さんもこれ運転するんですもんね、すげえ」
「うん……そろそろ行くかー、エンストしたらごめん」
「全然……」
敬吾はそう断ったが、車はごくスムーズに動き出した。
ガソリンを詰め、高速の乗り口に向かう辺りで逸が少々暇を持て余す。
ちらりと敬吾の横顔を見て、その足に手を乗せた。
「……おい」
「はいっすみませんっ」
地の底から這い出すような敬吾の声に、逸がビクリと手を引いた。
「事故ったらお前のせいだからな。ペーパーが高速の合流どんだけ怖いか分かってんのかコラ」
「申し訳ありません………」
敬吾が無口だったのはそのせいなのかーー。
神妙に膝を揃えて反省し、逸はぴりついた敬吾の横顔を眺めるに留める。
幸い交通量は多くなく、ほとんどの車両が走行車線は空けてくれている。
かと言ってもたついていいわけでは決してなく、軽のエンジンは唸りに唸っていた。
「け敬吾さん音すご……」
「やべこれ何速だ、ごめんちょっと揺れるぞ」
敬吾が言った通り大分回転数を上げてからの立て続けの変速は少々ノックしたが、つんのめるようなものでもなく逸はむしろ敬吾に見惚れていた。
「あー緊張したっ」
「やべえ敬吾さんかっこいいー……これあれですか、男のギアチェンする手にキュンと来るとか言う……」
「お前どこの女子高生だ」
「もう俺抱かれたいっす」
「あ?言ったな?本気だろうな」
「……………」
黙りこくった逸の頭を敬吾は容赦なく張り倒す。
その上で逸は謝罪した。
「すみません…………」
「適当なこと言う奴嫌いだわー。」
「ううっ……ごめんなさい……」
その後の道程はごくごく平穏で変速の出番もなく、逸がその針の筵のような沈黙に耐えてしばし。
徐々に速度が下がってきた。
「渋滞?ですかね」
「ぽいなあ……げ、もしかしてあのトラックハザード出した?」
「出てますね……あ、事故ですって。表示出てる」
「うわマジかよ……あ、ここ入っとけ入っとけ」
車はやや急ハンドル気味にサービスエリアに入る。
タイミングが良かったのか同じような渋滞避けの車もそれほどおらず、駐車スペースはすぐに見つかった。
「お前視力いいな」
「ですね、敬吾さん目悪いんでしたっけ?」
「いや普通だけど。やーしかしついてねーなー」
「詰まってるってほどじゃないですけど、やっぱノロノロしてますね」
「まあ急ぐわけじゃないからいーか……」
背後の道路を木々の間から見透かしつつ敬吾はコーヒー、逸は軽食を買い求めてテーブルにつく。
天気も良く、風の通るイートインスペースは開放的だ。
思いがけない雰囲気の良さに逸は笑ってしまう。
穏やかな逸の微笑みに、敬吾は気づかないふりをした。
逸の顔を見るまでもなく、これは敬吾も意識せざるを得ない。
自らやれと言われたら絶対にこんなことはしないが、こうも不可抗力的に実践させられてしまうとーー
ーー悪くないから困る。
(つってもこれがカフェとか洒落たレストランだったらどうだよ)
それは心底寒気がするのみ。
結局のところいつも通りの乾いた気持ちに戻ってコーヒーをすする。
特にこだわりはないが旨かった。
「敬吾さんそれで腹減らないんですか?」
「うん、いやお前が食い過ぎなんだよ」
ひとつひとつは軽食とはいえ、焼きそばだアメリカンドッグだ、シェイクだクレープだと手数が多い。
「もしかしてまだ成長期とか……」
「かも知れないです」
「えー………」
これ以上の体格差は御免被りたい。
げんなりした敬吾の顔に苦笑して、逸が言う。
「俺も食う方ですけど、敬吾さんも敬吾さんで食わなすぎですよ?」
「そうか?」
「ほっそいもんなー」
「食うけど太んないってだけで食ってないわけじゃねーよ」
「俺としてはーーあ、」
「なに」
「いえ、なんでもないです」
空咳をしながら逸が視線を逃がす。
危うく口を滑らせるところだった。
常々、もう少し脂肪が乗ってくれたらなーーと、助平な考えを持っていることを。
敬吾は訝しげに首を傾げる。
「あっ!敬吾さん!車結構流れてますよーー」
「お、おぉ……」
不自然なほどあからさまに話を変えて逸が言った。
敬吾も同じ方向を見てみると、時折覗くだけの車の影は確かに軽快そうに過ぎていった。
こちらは本心から、逸は食べる手を早めだす。
敬吾がふと噴き出した。
「そんな急がなくてもいいって。ゆっくり食ってから行こう」
微笑んだままコーヒーを飲む敬吾をぽかんと逸が見やる。
「ーー……はい、」
くしゃりと笑って、逸はまたのんびりと箸を進める。
つかの間のデート気分は、ごく穏やかで多幸感にあふれていた。
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