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褒めて伸ばして 21
(だよなあ)
約束の店は地下階にあった。
階段を降り扉の前までは来てみたものの、開店までは30分以上ある。
ーーまあ、仕方がない。
どこかで時間を潰そうと踵を返すと、今まで見つめていた扉が開いた。
「あれ、敬吾?」
「え」
ーー後藤が立っていた。
「げ…………」
「げってお前」
敬吾はげんなりと顔を歪ませ、後藤は苦笑して腕を組む。
「なんもしませんよ!」
「分かっとるわ!」
とは言え歓迎できる事態ではない。
まさか逸がここを通りかかるなどということはないだろうが。
敬吾の薄い不安には気づかず後藤は飄々とした顔に戻る。
「なにしてんの、こんなとこで」
「あー、この店で待ち合わせしてたんだけど、来んの早すぎて」
「岩井くんと?」
「違うけど」
「お?浮気か」
「あのなあ」
敬吾は剣呑そうに睨みつけるが、後藤はからからと笑っていた。
やはり基本的にはさっぱりとした男なのだ。
何一つ気づけていなかった自分が偉そうなことは言えないがーーと敬吾が沈黙すると、後藤は笑みを潜めた。
やはり少々しこりを残してしまったらしいーーが、お互いそれなりに酷なことをし合ったのだからまあいいか。
繊細な機微などどんぶりの中に放り投げてやって、後藤は頭を切り替えた。
「まあ、それなら入ってれば?」
「え、開いてんの?」
「まだだけど、俺の知り合いの店だから」
そういえば今後藤はこの店から出てきたのだった。
「や、悪いってーー」
「大丈夫だよ」
言うなり後藤はまた扉を開け、店主らしき若い男に声をかける。
「なんか出してやって」
「うん、いらっしゃいませ」
「なんかすいません……」
敬吾が会釈すると、鋭い見た目に不釣り合いなほど柔らかく笑ってみせた。
「何にしましょ?」
「じゃあジンジャーエールで」
「飲まねーの?」
「俺はやめとく、連れは飲むと思うけど」
「ふーん、俺はビールー」
「はいはい」
すぐに供されたグラスを軽く当て、ひとくち飲む間に小さなココットが出される。
「ん!なにこれ凄いっすね」
「効くでしょー、自家製なんですよ。これ試作品なんで良かったら食べてみて」
勧められたココットに入っているのは一見ポテトサラダのようだった。
「うわうまっ」
「なんで俺には無いんだよ」
「お前はちょっとでやめとくってことができねえだろ」
「一口くれ」
むつくれた後藤に残りの半分ほど奪われて敬吾は半ば本気で落胆した。
それほど旨い。
「あーこれいいわ」
「だよな、何の酒でもいけそうな」
「あはは、あざす」
「にんにくと海老?」
「あとチーズも入ってるよ。その他ハーブなど」
「本メニューでいけるってこれ、今日から出せ」
「よっしゃ」
まさか本当にそうするわけではないだろうが店主が仕込みらしき作業に入る。
敬吾は、ここに逸を連れてきてみたいと思っていた。
がーーやはり、微妙なところか。
「ーーーご、敬吾!」
「えっ?」
「話聞けよ」
「あーごめん」
「お前なんか雰囲気変わったか?」
「んん?」
藪から棒な問ではあったが、後藤の表情は冗談めいてはいなかった。
それだけに敬吾は不思議そうに首を捻る。
「え、髪切ったとかそういう話か?」
「いや違う、……なあ、康紀こいつどう思う?」
康紀と呼ばれた店主が振り返る。
「?どうって?知的な感じ」
「そーじゃなくて……。なんかエロくね?」
「あぁ?」
敬吾は後藤の脛を蹴ったがリアクションはなかった。
「エロいって……失礼だろお前……。強いて言うなら、年離れたお姉さんいたら嬉しいです。」
「ああ、こいつ年上食いだから」
「食いってなんだ!普通に愛するだけだろうが!」
非常にどうでもいい情報だった。
終始苦笑いで敬吾はグラスを傾ける。
後藤はやはり真剣なようだった。
「あの子何も言わねえ?」
一応暴露にはならないように言葉を選んでいるらしい。
「言わねーよ」
厳密には言っているが、それは今に始まった話ではない。
「……………そうか」
そうは言ったが腑に落ちてはいないらしく、後藤は数秒敬吾を眺めてからテーブルに向き直った。
(……これは岩井くんは大変だろうなあ)
これは、まだ自分がそういう目で敬吾を見ているということなのだろうか、もしくはーー
「いらっしゃいませ」
「こんばんは……あ、岩居くん」
「おう」
敬吾が九条に手を上げる。
丁度良く空にしたグラスを置いて、後藤は席を立った。
「じゃ、またな」
「うん、どーもな……」
「?」
軽く会釈だけを交わして、後藤は店を出、九条は腰を下ろす。
「友達?」
「うんまあ」
「岩居くんそれ何飲んでんの」
「ジンジャーエール。うまいよ」
「あー、じゃあ俺も最初それください」
小さなフードメニューに目を落とす九条は、当然ながらごくいつも通りの表情をしている。
「フードなんか頼んだー?」
「いや、まだ」
「そっか、俺すげー腹減っちゃって。岩居くんは?」
「俺もなんか食おうかな」
「んん」
九条はメニューを敬吾に渡し、グラスに口を付けた。
驚いたように目を細めたのを見て店主が微笑む。
「すげ、辛い!」
「今日は暑かったですからねー、辛めです。スッキリしました?」
二人が笑い合うのもフードのメニューも、敬吾はいまいち頭に入ってこない。
後藤の言葉が引っかかっていた。
「なんにする?」
「えーっとじゃあチキンカレー」
「俺はピラフで……あとミックスピザください」
「はーい、少々お待ちください」
他愛ない話などしながら食事を待つうち、数組の客が訪れてきていた。
抑えめながらも賑やかに歓談が満ちてきた頃、敬吾がちらりと九条を見やる。
「ん?」
いつもながら鋭い男だ。
少し苦笑して、九条ならば適任だと敬吾は口を開く。
「変なこと聞くんだけどさ、俺なんか変わった?」
「んん?」
「なんだろ……雰囲気とか、そういう」
「雰囲気…………?」
九条は細い眼鏡の奥で瞬き、真面目な人柄そのままに真っ直ぐに敬吾を見た。
かなり長いこと。
「………ごっ、ごめんごめんやっぱいい、すげーナルシストみてえなこと言っちゃった」
「いやそんなことは思わないけども」
笑いながらもやはり九条は視線をそらさない。
そうして気を解くようにゆったりと背を伸ばした。
「いやあ?特には気づかなかったけどなあ。何かあったの?」
「別に何も……」
「お待たせしました、チキンカレーと、ピラフ。ピザもう少しお待ちくださいねー」
微かな安堵と困惑が、スパイスの香りで綺麗に洗われていく。
大盛りのカレーほど気持ちを軽くするものなど、もしかしたらこの世にないかもしれない。
「カレーの匂いって最強だよなあ……」
「だよねえ。頂きまーす」
「うーわうまっ」
「うまーい……」
ーーやはり。
(岩井も絶対好きだよなあこれ…………)
「あ。」
「ん?」
育ち盛りさながらカレーを頬張りつつ、匙を止めることもなく敬吾は横目で九条を見た。
九条はなにやら微笑んで敬吾を眺めている。
「今ちょっと思った、岩居くんなんか違うわ」
「んんっ?……げほっ、」
スパイスが喉にしみる。
ドリンクに癒しを求めるがジンジャーエールも辛かった。
「んな、なにが……」
「何がって言われると難しいんだけどね、なんだろ」
「いやいやもういいごめん、それだけ分かったら十分」
「なにそれ自分が聞いといて〜。なに、彼女でも出来た?」
「違う違う」
その辺りで狙ったようにピザが出てきた。
さりげなく水も添えられていて、敬吾が胸中に感謝を述べる。
「あっそうだ、すみませんピザってテイクアウトもありますか?」
「えーっとピザはできないんだけど、カルツォーネなら大丈夫ですよ。中身は、うちにあるものならなんでもお好みで」
「じゃあ……お勧めで3つくらい」
「ありがとうございます」
「彼女ずいぶん食うねえ」
「ちーがーうって!」
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