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偽りのα 第7話

 入学式当日。  薫と碧は、ちょうど今現在、薫が生徒会室の窓から見下ろしている桜の下に、真新しい制服に身を包んで肩を並べて立っていた。  碧は愛想がないとか可愛げがないとか言われるが、その実、情感が豊かだ。  ふと黙り込むから「どうかしたのか」と問うと、ウグイスのさえずりにそっと耳を傾けていたりする。それが蛙の鳴き声だったり、車の走る音だったり、空にたなびく雲の色だったり……対象となるものは、その時々によって違うけど。  すぐ上の兄である望が芸術家肌なのでその影響かとも思うが、たぶん本人の資質でもあるのだろう。  整っているからこそ余計に表情の乏しい顔は愛想がなく見え、ともすれば仏頂面にさえ見られがちだ。笑顔も少ない。  怒っていないのに怒っている…なんて怖れられることもしばしばで、ときにへこんでいる姿を見かける。  だけど――、 「俺は、桜は散りぎわが一番好きだ。まるでピンクの花びらで世界を祝福しているように見えないか? つい時間を忘れ、見惚れてしまう」  なんて真面目くさった顔で風流なことを自然と口にのぼらせる牧歌的な人間だ。……(なご)むし癒される。 「俺は桜なら桜餅が好きだな」 「花より団子か」  凛とした他を寄せ付けない端正な男らしい顔が、ほんのりとこちらにむかって笑み崩れるのを見るのが、好きだ。  ――αだと思っていた親友が自分の大嫌いなΩだった。  岬と密約を交わしたものの、正直、戸惑いは大きかった。  自分は、今までと変わらぬ態度を碧に取ることができるのだろうか…。  そんな不安を感じないわけではなかった。  そして、それは実際、会ってみないことにはわからなかった。  話を聞いても不思議と碧に対して忌避感が沸き起こることはなかったが、顔を見て会話して――Ωだと実感したときに、自分の感情がどう動くのか、自分でも想像がつかなかった。万が一、嫌悪感を抱いてしまったら…? 今でもΩを忌み嫌っているのだ。むしろ、嫌悪を覚えない方がおかしいとすら思えた。  春休み中に会うこともできたが、そうしなかったのは、……誰よりも近くにいた友を失うかもしれない恐怖に怯えていたためだ。  ――だから、高等部入学の日、碧に会うその瞬間まで、らしくもなくひどく緊張し、身構えていたことを覚えている。  それでも入学式が始まる前にその姿を探したのは、もはや長年の習慣によるものだったのだろう。  そして薫は桜の木の下にいる碧を見つけた。  碧が自分を見て、「おはよう」と屈託なく挨拶をし、「なんだかしばらくぶりな気がするな」と首を不思議そうにわずかに傾げ、クラス分けの話をし、そして…、  桜を仰ぎ見た碧に薄桃色の花弁が降りしきる春の光景を――自分は一生忘れないだろう。  薫にとって、なにも変わることなく碧は碧だった。  αでもΩでも。  たとえβでも。  その事実に、隣に立つ自分がどれほど深く安堵したか。情けなくも涙ぐんでさえいたのだと、……きっと碧は一生知ることはないだろう。  これは薫の胸の内だけにある、誰にも明かさぬ秘密である。  薫にとって、碧が「運命」でも「運命」でなくても、  それが碧であれば、それでいいのだ。  薫は葉桜から室内へ視線を戻し、窓を閉めた。  十分に換気したため、鼻につくΩの香りはほとんど消えている。……いずれは痕跡も思い出せぬくらいに、跡形もなく消え去るだろう。  窓の桟に腰を預け、さきほど自ら傷つけた掌の傷をぺろりと舐める。 「さて、と」  欲をかいたΩに、身の程を教えた上で、自分が何に手を出そうとしたのか思い知らせ、罪を(あがな)ってもらわなければ。  愚か者には愚か者に相応しい末路を用意する。 「……俺の番は人気者で世話が焼けるな」  しかし、番のために一肌脱ぐのはちっとも苦ではない。  むしろ喜びである。 (残念だったな、園原)  薫の唇に艶美な微笑が浮かぶ。 「『運命』はとっくの昔に決まってる」  他でもない、――この俺がそう決めたのだから。 「誰にも邪魔はさせねぇ」  それが、たとえ番本人だとしても――。 「もうすぐだ。……もうすぐ、おまえを手に入れるよ」  薫は甘い飴玉を舌で転がすように口の中で愛しい番の名を呼んだ。いずれその舌で、番の肌を味わう日を夢見て――……。 END

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