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第1話

仮題  「え、お前マジで配信とかやってたの?」 2限終わりの込み合った学食に稲村の甲高い声が響いて深山司はきょろきょろとあたりを見回した。幸い周りの学生たちはおしゃべりに夢中で自分たちに注目している様子はなかった。そのことに安心感とちょっとした寂しさを覚えながら曖昧に頷く。 「高校の時夜寝る前に1時間くらい毎日やってたよ。動物の猥談をしたり、アニメの話とかしてさ」 「動物の猥談?」 「トドのハーレムは寝取られ地獄とか、ライオンは姉妹丼食い放題とか」  今となっちゃ黒歴史だけどと言い訳のように言い足すと稲村はげらげらと笑った。 深山は手元の肉うどんを掻きこむと、一息に嚥下した。節約のために弁当を持って行くつもりだったのだが睡魔に負けていつも学食だ。 張り切って2合炊いた米はラップにくるまれて冷凍庫行きだろうな、などとめどなく思う。 高校生の頃、無料の配信アプリで音声ラジオのようなものをやっていた。きっかけは単なる暇つぶしと好奇心だった。 深山のラジオはいわゆる過疎配信でリスナーは多くて5人、たいていは一人居れば万々歳と言った具合であった。 しかし何度も続けていくと常連で来てコメントを残してくれる人がぽつぽつと現れ始める。それが案外楽しくて、すぐに飽きてしまうと思っていた配信は1年近く続いた。結局クラスメイトに配信の事がばれてそうになって泣く泣く終了してしまったが。 (あの人、元気かな) 不意に初期の方からいつもコメントをくれた人がいたことを思い出す。名前は忘れてしまったけど妙にリアルなワニのアイコンが印象的だった。  本当に恥ずかしい、青臭い過去は決して人に話せないものだ。ましてや笑い話になんて決してできない。稲村には話さなかったが深山のラジオにおいて動物の猥談や好きなアニメの話はあくまでおまけでその実は自分の考えや感情、あるいは空想を熱っぽく語ったり、数少ないリスナーと議論したりするものだった。自分が考えた美少女キャラクターを絵に描いてそれをサムネイルにしたこともあった。 思い出しただけで叫びだしたくなるが、そんな深山に最後まで付き合ってくれたのがワニのアイコンの人だった。  (青春ってやつだったのかな)  ぼんやりと器の中の出汁を啜る。 昆布だしが効いていて旨い。  「おれそろそろ行くわ。今日サークルのオーディションがあってさ」 スマートフォンをポケットにしまい稲村が言った。  「演劇サークルの?」  「万年人員不足だから楽勝」  稲村はにっと笑うとさっさと行ってしまった。広い食堂に一人になる。深山はのこりのうどんを食べてしまうと食堂の窓からぼんやりと外を眺めた。 4月上旬の北海道は冬だ。ときおり春を思い出しかのように気温が上がっても、次の日には直ぐに雪雲におおわれる。雪が解けアスファルトが出るのはもう少し先だろう。春はいつ来るのだろうか。毎日が淡々と過ぎていく。 夢中になれるものが見つからない。 所属している文芸サークルには何となく入った。楽しくはあるが情熱は無い。他の大半の部員と同じだ。熱心な部員を傍目にただ惰性で続けている。深山はいてもいなくても大して変わりないような、そんな透明人間のような部員だった。ときおり、やるせなくなる。演劇に没頭している稲村を正直うらやましく思った。  「あっ深山くん」  「竹本さん」 ふいに柔らかいソプラノが聞こえた。見ると向こうから小柄な女子がぱたぱたと近づいてくる。 パステルカラーのワンピースがまぶしい。かすかに香るシャンプーの香りにドギマギして、あまり彼女の顔を見ることが出来ない。 「何か用?」  サークルで他の男子部員たちと一緒になって話すことはあるが一対一は初めてかもしれないと深山は思った。緊張をなるべく表に出したくないのに、ついつい声が固くなる。 意識している子の前だとそっけない態度を取ってしまうのは悪い癖だと知りつつも、ずっと直すことが出来ないでいる。  竹本芳香は深山がサークルに顔を出す理由の一つであった。誰にでも愛想がよくて親切でおまけに小動物の様にかわいらしい。 彼女は文芸部の女神だった。 竹本はうすピンクのグロスの引かれたくちびるをきゅっとあげて笑った。  「この間の部誌に載っていた小説すごく面白かったから、批評会の前に伝えたくて」  「おう」  「深山君今日の批評会出る?」  深山は内心あわてて携帯を取り出しスケジュールを確認するふりをすると、そっけなく言った。  「出れたら行くわ」  「うん、じゃあ」  竹本がくるりと後ろを向いた瞬間、深山はばれないように小さくガッツポーズをした。部誌の空きを埋めるために短編を書いてくれと会長に頼み込まれた時はどうしようかと思ったが、無いネタを絞り出して書いた甲斐があった。竹本に褒めてもらえたのだ。 ――いや、面白かったからと言ってわざわざ感想を述べに来るものだろうか?  (もしかしたら竹本って……)  おれに気があるのではないか。そこまで考えて深山はあわてて首を振った。妄想が先走ってしまうのも悪い癖だった。  大学の図書館は広々としていて使い勝手がいい。加えて昼休み直後という時間帯のせいか、ほぼ貸切状態だった。深山は借りていた本を返却すると早足で長机の席についた。 竹本の件で浮かれていて、4限目に提出しなければいけない課題があったのをすっかり忘れていたのだ。 深山は鞄を隣の椅子に置くと、プリントとペン入れを取りだした。 手書き提出可のレポートで本当に良かったと思いながら課題に取り掛かる。  しばらく夢中になってレポートを書いていると、ななめ向かいに誰かが座る気配がした。 空いている席はいくらでもあるのにと、怪訝に思いながらちらりと様子をうかがう。 静かに大きな図鑑を開いて調べものをしているようだった。ふと視界の隅にアニメのファイルが映る。数年前の放送当時深山が大嵌りした学園物アニメだ。  (懐かしいな……) 持ち主が気になり視線を上げる。 深山は瞠目した。 整った顔立ちの精悍な青年だった。 服の上からでも程よく筋肉が付いているのが分かる。さっぱりとした短髪に、VネックのロングTシャツとジーンズを履いている。左手首には防水加工のシンプルな腕時計がしてあった。何かスポーツをしているに違いないと思った。 その風貌に一昔前のアニメのファイルがミスマッチだ。てっきり自分と同じような奴かと思ったのだが。 似合わな過ぎるだろと心の中で突っ込みを入れつつ、そのちぐはぐさにどこか親近感を覚えた。 一体どんな経緯があってこいつはあのアニメを見るようになったんだとか、最終話のひどすぎる展開についてどう思っているんだとか気になることが泉のように湧き出てくる。 ――もしかして話しかければ会話も弾むかもしれない。  好奇心につられるように深山は青年に話しかけるべく口を開こうとした。 (いや、もし知り合いにもらって使っているパターンだったら?) ふと湧いた思考に硬直する。 使うものに無頓着な人間は世の中に一定数いる。もし、目の前の青年に話しかけて「いや、知り合いからもらった奴なんで」などと  返されたらとんだ赤っ恥だ。 幸い青年は調べのものに没頭しているようで、こちらの挙動を不審に思っている様子はなかった。 深山は視線を手元に戻し一呼吸おくと、中途半端になってしまっていた課題に再び取り掛かり始めた。  広い校内のわりと目立つところに文科系部室棟は建っている。80年代に建てられた建物は何処にでもあるような造りではあるが、目を凝らすと歴代の先輩方が残した傷や落書きがところどころにあったりする。  演劇部が練習に使用している第二会議室の前を通ると稲村のはきはきした声が聞こえてくる。オーディションかと思い、心の中でエールを送る。 そのまますぐにある階段を上って二階の奥にひっそりとたたずむ深山は文芸部のドアをくぐった。 部室の棚には歴代の先輩方が置いていった漫画本や部誌、小説同人誌がぎゅうぎゅうに 詰められている。 古本の匂いとインスタントコーヒーの匂いが混じりあった馴染の空気を深山は気に入っていた。 「おう、深山」 入室した深山に気付いた会長の斉木が軽く手を挙げる。斉木は代替わりしたばかりの新しい会長だ。彼は高い背をまっすぐに伸ばして深山を見た。マイナーなSF小説の主人公に憧れて伸ばしているというセミロングのパーマヘアーが油でぺったりとしていて今日も迫力がある。 「会長、お疲れ様です」 軽く会釈をして返すと斉木は上機嫌に言った。 「わが文芸部に季節外れの新入部員がきたぞ。お前と同学年同い年なんだと」 斉木の陰からぬっと出てきた人影に、深山は思わずあっ声を上げた。高い背に均整のとれた身体、精悍な顔立ち――。 図書室の男が目の前にいた。 「何、知り合い?」 斉木の問いかけにどう返したらいいのか一瞬、分からなくなる。知り合いかと言われるとそうではないが先ほど近くに座っていたのは確かだ。かといってろくに会話もしてないのに『さっき図書室で一緒だったんです』というのも気が引けた。もし相手が覚えていなかったらなんだこいつと思われるかもしれない。 「はい、知り合いです……すこしだけ」  深山が迷っているうちに声を発したのは新入部員だった。 「橋田修一です。よろしくお願いします」 橋田はじっと深山を見つめて言った。

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