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第2話

批評会が始まるまでにもう一度部誌に目を通しておく必要があった。 深山は部室の奥にある革張りの古いソファに腰かけた。 部員の書いた小説を読むのは好きだ。普段接してる分、文体にギャップがあったりすると面白い。特に斉木の書く怪奇小説はひそかなお気に入りの一つである。今回のはなかなか面白い。 沼に住む魚人が自分にひどい行いをしてきた村人の子孫を虐殺していくという話だ。 斉木の書く物語は本人の穏やかな性格とは裏腹にいつも何処か加虐的だ。けれどその中には悲哀や愛情が確かに表現されている。 しかし本人の強烈な見た目が影響してか、彼の文章について触れたり評価する部員は少ない。 斉木の小説の良さに気付いているのは自分だけだと深山はひそかに自負していた。 感想を伝えたくてパイプ椅子に座っている斉木を見やるが、当の本人は新入部員に夢中なようだった。 「橋田君は小説とか書く?」 紙コップの中のコーヒーをグッと飲み干すと斉木が喰い気味に聞いた。半年に一回刊行される文化サークル部誌の誘いだろうと思った。年々、参加者が減っているのだ。 投稿者の確保に歴代会長はてんやわんやである。斉木も例外ではなかった。 橋田は少し考えて答える。 「書いたことはありません。でも興味はあります」 「それで文芸部に?」 「特に理由はなくて……何となく、衝動的に」 「そうかそれはうん、素敵だね」 斉木は橋田の一挙手一投足全てをほめたたえる。深山はなんだかそれが面白くなかった。  「会長、これ面白かったです。」 深山は二人の会話を遮るように斉木の投稿を指差して言った。一瞬虚を突かれた斉木がそれを見るや否やみるみる笑顔になる。セミロングパーマのあやしい男が子供みたいに笑うのがおかしくて深山も思わず破顔した。 斉木はパチンと指を鳴らして言った。 「それ、結構自信作なんだよね」 「え?そうですか?初めて聞きましたけど…」 茶化すように深山が言うと斉木はいひひと嬉しそうに笑った。  「俺も読んでいいですか」  いきなり橋田が大きな声を出したものだから、深山は驚きに目を見開いた。 橋田は深山の手元の部誌を睨み付けるように見つめていた。まるで親の仇でも見るような顔に瞠目する。  「……ああ、ごめん批評会前に読んでおきたいよな」  理由に思い当たり軽く肩をすくめる。考えてみればそうである。部員たちの投稿を批評し合うのにそれに目を通さずに参加などできるはずもない。気が回らない自分が嫌になる。新人いびりだとか思われたらどうしようーー、一瞬不安になり、ちらりと橋田を見つめた。 しかし橋田は気にしたそぶりは見せず、ありがとうございますと部誌を受け取ると深山が指差した斉木の投稿を真剣に読みはじめた。 「同学年で同い年なんだし、タメでいいよ」 拍子抜けしながらもそういえば橋田は分かりましたと言った。本当に分かったのか謎だ。 ふと斉木をみると面映ゆそうにそわそわとしている。そりゃそうだろう。自作の小説を初対面の相手に目の前で読まれているのだから。 「ちょっと自販行ってくるかな」 耐えきれなくなったのか斉木はガタリと立ち上がり部室を退室した。 ついて行こうかと思ったが何となくタイミングを逃して橋田と二人きりになってしまった。 急に気まずくなって深山は視線を彷徨わせた。 「……毒が効いてて面白いなこれ」 しばらくの沈黙のあと斉木の小説を読み終わった橋田が神妙に言った。斉木の話をそう表現する人は稀である。深山はうんうんと頷くと笑った。 「それだけじゃなくてよく読むと魚人への愛がにじみ出てるんだよな……。どんだけ魚人が好きなんだろうな、あの人」 「ふうん。深山くんは何か書いてんの?」 興味なさげに橋田がページをパラパラめくりながら言った。 タメでいいと言ったのは自分なのにいざ自然な流れで親しげに話されると妙に緊張する。 自分のコミュニケーション能力の低さにウンザリした。深山は思わず口ごもった。確かに書いたには書いたが、斉木に頼み込まれてないものを絞り出して書いたような話だった。竹本が褒めてくれたのが意外なほどだ。 「俺のはいいよ。穴埋めで書いたやつだし、つまんねぇもん」 早口でそう言ってるうちに、橋田のページを捲る指が止まった。嫌な予感がして視線をやると案の定、深山のページであった。 「読みたいんだけど、いい?」 真っ直ぐな目で橋田が見上げてくる。突っぱねようとしたのに見えない力に阻まれている気がした。覚えのある嫌な感覚だと深山は思った。中高生のときよくあったことだ。スポーツの得意な、いわゆる『活発な』連中が冴えない奴に頼みごとをする。それを断ることはほぼ不可能だった。無言の圧、みたいなものがあって大抵はヘラヘラ笑って受け入れるしかないのだ。 今の橋田には、そんな圧があった。 「いや……いいけど……」 流されるままに頷く。 いいと言ったのに、妙に納得できなかった。 もちろん部誌に載せた時点で見て欲しくないなんてことは言えないのは分かっているのだが。 なんだか気まずくて深山はコーヒーを淹れるとすごすごと定位置のソファに戻った。 まずいインスタントコーヒーをちびちびすすりながら深山はゆっくりと瞳を閉じた。 この時点で浮かび上がった確信が、深山の中で揺るぎないものになっていた。 俺と橋田ーーこのスポーツマンもどきはーー絶対に馬が合わない。どうやったって仲良くやっていくことは無理だ。 狭い部室に秒針の音が鳴り響く。 不意に、橋田がアハハと堪えきれないように笑った。読んでいるのは、深山の投稿だ。 (会長、竹本…だれでもいい。だれでもいいからはやく来てくれ…) ジュースを3人分買ってきてくれた斉木が戻るまでの五分間、二人きりからの解放を願って深山は強く念じ続けた。

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