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俺はお前が好きなのに
こんなやつの何がいいんだ。
春。高校を卒業したら一人暮らしを始める、と何かの拍子に言うには言ったが、まさか転がり込んでくるとは思わなかった。
俺のアパートの部屋でぱんいち。しかも、ぺらっぺらの安っぽいトランクス。そんな格好で床に座り、テレビを見ている。洗濯したらしく、物干しには今日着ていった服が干されていた。風呂上がりだからか、洗濯したからか、部屋中いいにおいがして、理不尽な衝動を呼ぶ。
つい、手に持っていたペットボトルを無防備な背中に投げつけた。キャップ部分が背中にヒットする。
「痛っ! な、なんだ凪人(なぎと)か」
若葉(わかば)が背中を抑えて振り向く。
顔立ちとしては目立つ方ではない。背は高く、体は元野球部らしい引き締まり方をしているが、髪型は坊主だったのをそのまま伸ばしただけなので野暮ったいし、黒髪。
「おかえり。これ、土産?」
ペットボトルを拾い上げて俺を見てから「って、んなわけないか」と目を伏せる。
「今日は何で怒ってるんだ?」
この野郎。俺だって好きで毎日怒ってるわけじゃねえし。
つか、昨日は昨日で焦がした鍋放置しやがって。その前は風呂に湯じゃなく水を張った。その前は、と遡れば切りがない。
その中でも、今日のは最悪だ。
「自分で考えろ」
「え」
「死ね。ばぁーか」
二ヶ月前。俺は卒業前に若葉に告白した。教室に二人きりになったから、今しかないと思って。
勝算はなかった、と言ったら嘘になる。俺は少なからず若葉が俺に友だち以上の好意を寄せてくれているものだと思っていた。
だから告白なんて馬鹿なことをしたんだ。
『俺、若葉が好きだ』
『……え?』
若葉の引き吊った顔。
血の気が引くと言うのはああいうことを言うんだろう。
『やっ、やっぱり、何でもない……』
『凪人』
『わ、忘れろ』
馬鹿なことをした。終わりだ。最悪。最悪だ。頭の中で何度も自分を罵った。若葉が都合よく俺を好きでいてくれるなんてあり得なかった。全部俺の妄想だ。
若葉は告白以降、俺と話さなくなった……のだが、どういうわけか卒業したら元通り友だちのように部屋に入り浸っている。
毎日、地獄みたいだ。何が楽しくて失恋相手と毎日のように顔を付き合わせなくちゃならないのか。
俺はキッチンに立ち、戸棚からレトルトのカレーを取り出して電子レンジに放り込む。
それを見ていた若葉が「え、レトルト?」と声を上げた。
「今日の夕飯はお前が作るはずじゃ……」
「知らねえ。つか、文句言うなら食えるもん作れるようになってからにしろよな」
「いや、それとこれは話が別だろ。レトルトだって俺が買ったやつだし。ってか、食えるもんってなんだよ。昨日は俺が作ったやつ食ってただろ、お前」
「……はあ」
食ったよ。食うだろ、そりゃ。好きなやつが作ってくれた飯だぞ。そう簡単に残せるかよ。
若葉は馬鹿だ。
温め終えたレトルトカレーを調理台に置いた。
「じゃあ、ほら。食えば」
「そういうことじゃ……」
やってらんねえ。
キッチンから廊下に出て、追いかけてくる若葉を切り離すように寝室に入って扉に鍵をかけた。
そのままベッドに倒れ込み、目を閉じる。
本当は、コロッケを作ってやるはずだった。昼休みに戻ってきて種の準備はしてある。後は衣をつけて揚げるだけだった。
若葉がコロッケ好きなせいで週に一度は作っている気がする。
でも、別に俺がわざわざ作ったコロッケじゃなくても、あの男は喜んで口の周りをテカテカさせるんだろう。そう思うと本当に馬鹿らしいし、忌々しい。
デリカシーがなさすぎる。
普通、失恋させた相手の前でぱんいちになるか? ならないだろ。もう吹っ切れたと思われてるとか? それとも、最初から本気にされてないとか。
思い当たった考えがあまりにも絶望的で能天気なあいつの顔をタコ殴りにしてやりたくなる。
俺のこんな葛藤は我ながら不毛すぎるし、若葉にしてみれば俺は終わった話をいつまでも引きずる空気の読めないやつだ。
だけど、好きなんだからしかたがねえだろ。
胸が痛い。情けなくて目頭も熱くなる。
こう言うことは始めてじゃない。前も下着でうろつかれたり、薄着のままリビングで寝ている時もあった。
何でこんなに腹が立つのかと言えば、俺がどれだけ努力しても、結局、恋愛対象として見てもらえないからだ。
そりゃ、普通の男は男に興味がないから仕方がないと言えばそれまでだが、自分に告白してきたやつを相手にする時くらい恋愛のスイッチを入れてくれてもいいじゃないか。
悶々としながらふて寝してしまい、起きたら夜中の一時。
ワックスやら皮脂やらで頭が気持ち悪い。
着替えを持って風呂に向かう。
あのぱんいち男には毎日毎日、本当にうんざりさせられる。俺は若葉が部屋に来るようになってから、だらしない部屋着を全部捨てた。高校時代にバイトで貯めた金すっからかんにして下着も新しくしたし、休みの日でも朝起きて飯作るし、髭剃って髪もセットする。
掃除だって昼休みに戻ってきてしてるし、ゴミも曜日ごとに俺が捨てていて……。
「腹立つ!」
バスルームの壁を殴った。
考えれば考えるほど腹が立つ。
何がって、あいつに遠慮してることだ。
俺だって風呂上がりは楽な格好がいい。寝る時は裸がいいし、掃除とか片付けなんて週一で十分だろ。何で俺がモデルハウス並に部屋をきれいにしなくちゃならないんだ。一人暮らしをしたら、好きなだけオナニーできるはずだった。バイトで金を貯めたのは上等なディルドがほしかったからだ。
見もしないやつのために下着なんか新調して馬鹿みたいじゃねえか。
何でこんなに俺だけ振り回されなくちゃならないんだよ。
服着ろ! ゴミ出せ! 掃除手伝え!
「俺にうまいもん食わせろ」
その努力をしろ。努力してもいいと思えるくらい俺を好きになれ。
そうしてくれたら俺は若葉の奴隷でも構いやしない。毎日コロッケだって作るし、苦手な掃除もする。
本当に、こんなに俺ばっかり若葉を好きで、馬鹿みたいだった。
本当に嫌だったら追い出せる。そうしないのは、結局こんなにつらくても俺は、若葉と同じ部屋にいたいんだ。
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