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俺はお前が好きなのに

 一年の時、野球部だった。  二年の夏に歩道に突っ込んできたバイクから子どもとその母親を庇って轢かれた。 『お前、空気読めよな』  見舞いに来た仲間はユニフォーム姿だった。土だらけで、泣いた顔をしていた。  俺は術後で目が覚めたばっかりだった。 『試合前にヒーローぶって馬鹿じゃねえの』 『お前のせいで初戦敗退だぞ!』 『東高に負けるとか。恥ずかしくて先輩の顔見れねえよ』 『ご、ごめん……』  確かに俺は登板予定のピッチャーだった。試合のことを考えたら怪我をするなんてあり得ないことだ。 『だ、だけど、俺がいなかったら』 『は? 何? 知らないやつなんかどうでもいいだろ!』 『え』 『負けたんだぞ! お前がいたら勝てたのに』 『あ……』  俺が悪かったのか。  母親と手を繋いでいた子どもがのとこにバイクが突っ込んできて、何も考えず飛び出した。二人を庇うためにバイクの間に入って……。  いいことをした気でいた。  仲間が出ていった後、気まずそうに医者が入ってきた。俺はその時、どれくらいで退院できるかとか、いつからリハビリで、どうやったらすぐ練習に混ざれるのかばかり考えていた。  失望させてしまった。迷惑をかけた。あの時だって別に俺が飛び出す必要はなかったのかもしれない。何も考えなかった。もう少し仲間のこと考えたらよかったのに。早く復帰して、謝らないと……。  入ってきた医者は『親御さんには電話で連絡したけど』と話を切り出した。 『右足なんだけどね』  端的に言えば、以前のように走るのは難しいと言う話だった。 『え、でも俺、野球部で』 『残念だけど』  頭が真っ白になった。まだ何度かに分けて手術も必要で、入院も短くて二ヶ月。  野球部の仲間は最初の日以来、誰も見舞いに来なかった。  そんなもんかと思った。俺が余計なことをしたから見放されたんだと。  だけど、若葉だけ違った。元々、それなりに仲はよかったが、特別親友と言うわけでもなく、初めて若葉が顔を出した時は驚いた。 『これプリント』 『え、あ、わりぃ……』  驚いたのは、見舞いに来てくれたこともあるが、顔を腫らしていることの方が気になった。 『お前、その顔』 『凪人のせいだからな』 『え』 『みんなお前のこと悪く言うからさ。お前、なんにも悪くないのに。つか、それどころかスゲーことじゃん。なのにさあ……で、頭来て殴ったら殴り返されたわけ』  若葉はズレてると思った。  親にさえ見舞いに来てもらえず、仲間からも見捨てられた俺なのに。 『凪人?』  胸が一杯になって、急に涙が込み上げてきた。 『い、いやいや、泣くなよ。俺、変なこと言った? なあ、凪人。凪人くーん?』  思い返せばあの時に惚れたんだ。  泣いて袖で目を押さえながら、若葉の優しさに救われていたんだ。 「ね、奥行かない?」  体の芯まで響く大音量。暗い中で光が棒状に伸びてフロアで踊る男女を不規則に照らし出す。  バーカウンターに寄りかかってその様子をぼうっと見ていたら声をかけられた。  一つか二つだけど、年上に見える男。紺色っぽいツーブロックの頭で、口にピアスをしている。 「俺に言ってんの?」 「凪人くんでしょ。時々、ここで歌ってる」 「ああ……」  歌ってると言っても今まで二回だけだ。しかも大学の友だちの代打。  男はにこにこして「俺、東助って言うんだけど」と名乗る。 「見かけたら誘おうと思ってて」  このクラブにはヤり部屋が出現する。第二木曜だけ。その日は治安的に不安だからと大学の友だちはこの場所を敬遠している。俺も普段なら来ない。  でも、昨日の今日で、何となくアパートに帰りたくなかった。今朝も早く出て顔を合わせなかったし。 「ヤり部屋があるのは聞いてたけど男から誘われるとは思わなかった」 「じゃあ、女の子も誘う?」 「俺、ヤりに気たわけじゃねえから。時間潰しだし」  若葉が寝た頃に帰ろうと思っていた。  東助は「ふーん」と俺にくっつくように立ち、腰に手を回してきた。 「やめろって」 「俺、うまいよ。病気もないし。本番嫌なら最後まではヤんなくていいし……。ほら、お試しってことでさ」 「嫌だって。好きでもないやつとなんかしねえよ」  東助がきょとんとして黙った。それからニヤっと笑った。 「好きな子いるんだ? でもつき合ってないんだろ? なんで? ふられた?」  しまった。余計なこと言った。  東助が更にしつこくなり帰りたくなる。でも、家は嫌だし、ただぼうっとするだけならここが一番だと思ったのに。 「脈なしにこだわってもしょうがなくね?」 「うるせえな」 「俺、尽くすよ? 凪人くんめっちゃタイプだし」 「ヤリチンのくせに」 「そうだけど、俺結構、尽くすの好きだしさあ。ね、気持ちよくしてあげるから、一回だけどう?」  東助が体をくっつけて来て耳元で話す。腰の手が尻を撫でる。 「凪人くん」  若葉は脈なし。わかってる。  東助が耳に唇をくっつけて来て、軽く舐めながら俺を呼ぶ。なんか、欲しい欲しいと言われてる気がして、悪い気分はしない。  だって俺のことなんか誰も欲しがらねえし。  待てど暮らせど若葉は振り向かない。それなら、ここで俺に尽くしたがってるヤリチン引っかけてもいいような気がする。  なんか、耳にキスされるの気持ちいいし。  俺の気持ちちっともわかってねえ若葉が家にいるせいで満足にオナニーもできねえし。  東助の服を掴むと「奥行く?」とじんじんする耳に囁かれ顎を引いた。  だって若葉は俺のこと好きになってくれねえし。俺がどんなに好きでもしょうがねえんだもん。俺のこと好きになってくれるやつがいるなら、若葉じゃなくても……。  東助に手を引かれ、フロアのすみを移動してカーテンで仕切られた奥へ行く。  でも、あーあ。  初めてはやっぱり若葉がよかった。  そんなどうしようもないことを考えたら、後ろからものすごい力で服を引っ張られて東助の手を離した。 「え」  東助が驚いた顔をしている。  俺も、俺を引っ張った犯人を見て全身が冷たくなるほど驚いた。 「凪人なにしてんの」  若葉だった。

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