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俺はお前が好きなのに

 若葉に手首を掴まれクラブから引きずり出された。 「い、痛い。若葉……」  若葉の手を外そうとするが何をどうしても外れない。馬鹿力め。 「いてーってば! 聞いてんのかよ」  あんなところを見られて恥ずかしい、なんて感情は吹っ飛んだ。今はせっかくの出会いをパァにされて腹が立っている。しかも、一言も口をきかないでずんずん歩いていく。 「若葉! 痛いって言ってんだろ! 若葉! 若葉ってば!」  何なんだよこいつ。  急にしゃしゃり出てきて。  逃げられないまま引きずられて連れてこられたのは最寄り駅ではなく、ラブホテルの前だった。  訳がわからない。 「な、何でここ? 若葉!」  何も言わない若葉が俺をロビーに連れ込もうとする。  どうして若葉が俺をこんなところに連れてくるのかわからない。何を考えているかわからなくて怖い。手首が痛い。変な汗が出てくる。  若葉がパネルの前に立って勝手にチェックインしてしまう。 「う、嘘嘘っ嫌だ、ふざけんな!」 「ふざけてない」  やっと若葉が口を開いたかと思ったら、見たことがないほど目が怒っていてぞっとした。  何で怒ってんだよ。  俺、怒られるようなことしてねえし。  エレベーターへ行こうとする若葉に逆らって精一杯踏ん張った。でも、右足に力が入らなくて結局、引きずられる。  こんなに若葉との間に力の差があるとは思わなくて本格的に怖くなってきた。  抵抗したら止めてくれるような雰囲気でもない。さっきの男の方が断然安全に思えてきて、エレベーターに引っ張り込まれた段階で涙が出てきた。  怖い。  でも、さすがに泣けば少しくらい力を弱めてもらえると思って若葉を見た。  若葉は睨むように俺を見た。 「俺のこと泣くほど嫌なの? お前」 「そ、そうじゃね、けど……」 「じゃあ何なの」  何で怖いのかわからない。相手は若葉だ。若葉がラブホテルに俺を連れ込むなんて、妄想でしかあり得なかった。本当なら嬉しいはずなのに。  エレベーターの扉が開くと、若葉が俺の手を離した。 「……帰れば」 「え」 「嫌なんだろ。手首、ごめん」  手首は赤くなっていて、未だにずきずきする。だけど、嫌とかそう言うわけじゃねえし、ただどうしてこんなことをしたのか知りたい。  若葉がエレベーターを出る。  閉まりかけた扉をこじ開けて警告音と一緒に外に出た。  びっくりした顔で若葉が俺を見る。 「え、帰らないの?」 「……何でこんなところに連れてきたんだよ」 「こんなところって……クラブの誰が使ったかわからないような部屋でヤろうとしてたくせに」 「そ、それは……つか、そう言う意味じゃねえし……」  若葉が、俺を、ラブホテルに、連れてくる意味がわからなかった。 「廊下で話したくねえ」 「わかった」  若葉が部屋に向かう。  その後ろをついて俺も部屋に入った。狭くも広くもない。簡素な内装で、ビジネスホテル的な雰囲気がある。ただ、部屋の大半をベッドが占めていた。  若葉はベッドに腰かけて俺を見上げる。  もうさっきほどは怒ってないように見えた。 「俺さ」  若葉が口を開く。 「凪人が帰ってこないから心配で、あちこち心当たりを探したんだよね」 「……悪かった、連絡入れなくて」  ダメだと思っても若葉が心配してくれたんだと思って嬉しくなる。未だに痛みを訴える手首を擦りながら若葉の隣に座った。  若葉は「あと……」と話を続けた。 「あと、さ。凪人は忘れてって言ったけど、俺忘れられなかった」 「忘れてって、何の話だよ」  バッと若葉がこっちを向く。明らかに怒った顔で俺を睨む。  びっくりして手を後ろについた。 「な、なに」 「俺はあの時、お前の特別にしてもらえると思って喜んだのに!」 「へ……」 「お前が忘れろなんて言うから!」  一瞬だった。気づいたら若葉に押し倒されていた。胸元をぐっと押さえつけられる。 「わ、若葉……」 「俺は!」  お前が好きなのに。  若葉が振り絞るような声で言った。  ただ、俺は頭が真っ白で、全く理解できなくて焦る。 「え、ま、待てよ」  好き? 若葉が? 俺を?  あの時って、忘れろって……。  考えることを放棄しそうな頭でやっと思い出した。  若葉を好きだと言ったあの日。  若葉が困っていたように見えて、だから忘れてと頼んだ。なかったことにしたかった。 「……学校で、話しかけて来なくなったのは……」 「忘れろって言われて俺なりに考えてたんだよ。 凪人は元々人気者で、部活辞めてもモテたし、俺に告白したのは気の迷いだったのかもとか。 だとしたら、俺みたいなパッとしないやつとはもう話したくないだろうなって……。 でも、諦めきれなくてダメ元で転がり込んだんだけど、お前怒ってばっかだし。 やっぱり嫌われてんのかって」 「そ、そんなこと思ってねえ!」  若葉だけだ。  俺は若葉だけがずっと好きだった。若葉がいてくれたお陰で俺はあの時の自分を誇ることができる。まともに走れなくなった体も悪くはないと。 「俺、お前が俺を好きだなんて、知らなくて……」 「なんだそりゃ。じゃあ、無駄にすれ違っただけ? でも、じゃあ、何でさっき」 「お、お前が俺に興味なさそうだったから、も、もう諦めようって……」  それを聞いた若葉がぎょっとする。 「うっわ。危機一髪じゃん」 「も、元はと言えばお前の反応が紛らわしいから……! 昨日だって、ふ、普通、好きなやつの前であんなだらしねえ格好しねえだろ!」 「え、あ、ごめんて」  苦笑いする若葉。  その顔に胸が苦しくなる。  あの若葉が、俺を好きだった。  ちゃんとずっと俺を好きでいてくれた。だらしなくて野暮ったくて、料理は下手くそだけど、ちゃんと俺のこと……。 「また泣いてる」  若葉が俺の涙を指で拭い、頬にキスしてくれた。離れてほしくなくて頭に手を伸ばす。若葉も俺の頭を撫でながら、今度は唇にキスをくれる。  若葉が俺の涙を指で拭い、頬にキスしてくれた。離れてほしくなくて頭に手を伸ばす。若葉も俺の頭を撫でながら、今度は唇にキスをくれる。  すごい、俺、今、若葉とキスしてる。  クラブにいた男よりずっとぎこちないのに、痺れるくらい気持ちがよかった。 * 「まっず……」 「えっ。本の通りに作ったんだけど……まっず! 苦いっ」  若葉が「水、水!」とキッチンに駆け込む。  正直、若葉の料理の下手さを甘く見ていた。強火弱火の加減もできなければ、調味料の適量も知らないし、猫舌だから味見も面倒くさがってやらない。  料理本を買ったのに。それを見て作ったフレンチトーストのはずなのに。食パンは焦げて苦いし、それを抜きにしてもそこはかとなく塩っぽくて油臭い。  好きな相手に美味しいものを作ってあげようと努力して出来上がったのがコレなら、もう天才的としか言いようがない。 「……なあ、若葉」 「ごめん! 次はちゃんと作るから」 「いやさ」  頬杖をついて、キッチンの若葉を見た。  寝癖がついた頭。くたくたのシャツ。襟のところから昨日、俺がつけた赤い印が見えている。 「俺、本当にお前の奴隷でもいいよ」 「え? な、何の話?」 「こっちの話」  若葉は変な顔で俺を見た。  今夜はコロッケを作ってあげよう。  どうやっても美味しくないフレンチトーストを食べながらそう決めた。

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