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第1話 さよなら、俺の王子様

「俺のために、歌を歌ってくれないか!」 そう言って彼が俺の手を掴んだ時、絵本の中の王子様が現実に飛び出してきたのかと、本気で思った。 ** 「世の中には、何であんな腐った奴らがいるんだ!」 眠気で意識が飛びそうになっていたら、ばん、と机を叩く音に引き戻された。 …あ、本が崩れた。あとで直さなきゃ。 「くそっ…大体なぁ、俺は頑張ってんだよ!それなのに、あいつらときたら代案も出さずにああでもないこうでもないって難癖つけることしか脳がないくせに、挙句の果てには『君は商売の才能はないのかもしれないねぇ』だと?ふざけんじゃねえ!!じゃあお前がやってみろ!!絶対できないって確信があるけどな!なぁ、おい、俺は何か間違ったことを言ってるか?!いいや、言っていない!」 せっかく綺麗な顔なのに、眉間にシワが寄っていてもったいない。キラキラと輝く金色の髪も、澄んだ森を映し出したかのような美しい瞳も、そんな表情をしたら台無しに、 …いや、前言撤回。そんな様もカッコいいです。 「おい、ロシェ。呆けているが、ちゃんと音は遮断しているんだろうな? 今の恨みつらみがあいつらの耳に入ったら、さらに面倒なことになる」 だったら言わなきゃいいのに、という言葉は飲み込んだ。その代わり、一層魔力を強めて、より強固な膜を張った。 俺の練りに練られた魔力によって、今この部屋の会話は、外には確実に聞こえていない。こういう時、魔力が尽きない体っていうのは便利だよなぁと思う。普通だったら魔力切れを起こしてぶっ倒れているはずだ。 というか、俺の体質を知っているとはいえ、そこまで酷使するってどうなんだ? 勤め始めたばかりだけど、職場を変えた方がいいかもしれない。 …と、内心でちょっとだけ不満を述べてから、俺はにこりと目の前の主人に笑いかけた。 「はい、もちろんです。ディオン様。どうか安心してください。エルヴィス家のディオルフェン様ともあろう方が、とんでもない悪口雑言を吐くような実は性格最悪の腹黒野郎だなんて、俺は絶対外部に漏らしませんから」 「おい、息を吐くように俺を貶めるんじゃない」 「悪口じゃなくて事実です」 「雇い主に向かって随分生意気な口を利くなぁ?ロシェ」 ディオン様がひきつった顔で俺を見る。 本当なら俺みたいな無礼な奴、すぐに牢屋に放り込まれそうなものだけど、ディオン様はわざわざ俺を、正確には俺の魔法を、必要として雇っているからクビにはできない。 「誇り高きエルヴィス家の嫡男、ディオルフェン様の体裁を守るためなら何でもします。みんなの憧れの存在を壊すなんて無粋な真似はしません。というより、そんなことになったら俺が耐えられません」 「お前は本当にエルヴィス家が好きだな」 「違います!ディオルフェン様が好きなんです!ディオルフェン様のためなら身を粉にして働く所存です!俺の魔法はすべてディオルフェン様に捧げたい!!」 「…熱烈な告白をどうも」 「違います!あなたのことではありません!!」 「おい」 「俺の中のディオルフェン様です…!間違ってもこんな、こんな、王子様とかけ離れた人ではありません…!!」 「悪かったな」 エルヴィス家といえば、悪名高き魔法使いの一族「紅(くれない)」をこの地から追い払った英雄の子孫。子どもでも知っている一般常識だ。 俺はその英雄譚が描かれたおとぎ話を、何度も何度も読み耽った。そこに出てくるエルヴィス家の王子様が勇敢で、カッコよくて、優しくて…俺は大好きだった。 でも、それと同時に畏怖の対象でもあった。 ちらりと室内の鏡に目を向ける。 鏡に映った自分の短く切り揃えられた髪は、紅色。 そう、俺はそのおとぎ話に出てくる紅一族の血を引いている、…らしい。 両親は普通の人だったのにな。 「お前こそ、俺の思っていた紅一族とはずいぶん違う」 「そうですか?俺、他の紅に会ったことないんで分からないですけど」 「俺はお前の一族を追い出した者の末裔だ。怖くないのか」 「うーん、ディオン様は絵本の中の王子様に似ているだけで、実際ディオン様が追い出したわけじゃないですし」 大体、紅一族云々の話は大昔のものだ。 迫害とか差別が激しい時代はあったみたいだけど、それもまた、昔の話。よほど閉鎖的なところでなければ、火炙りにされることはないし、道を歩いていても石を投げつけられることもない。 まぁ、避けられたり嫌がらせをされることはあるけど、そこはもう慣習やら言い伝えやらが根付いてしまっているから仕方ない。割りきるしかない。俺は25年かけて諦めることを覚えた。 「…まぁいい。俺はもう寝る。歌え」 「分かりました」 ディオン様がベッドに横たわる。 その傍らの椅子に座り、そっと目を閉じ、深呼吸をして、集中。そして、優しい旋律の子守唄を丁寧に歌う。 紅の俺を雇う理由…それは、この"歌"だ。 俺は音魔法が得意で、歌が好き。 何でも、俺が口ずさんでいた歌をたまたま聞いたディオン様は、不眠症だったのにぐっすり眠れたそうだ。そして、俺の家に突然来て「俺のために歌を歌ってくれないか!」と口説いてきた。 で、話を聞いてみると、お給料もいいし、待遇もいいし、何より絵本の中の王子様とそっくりだったことが決め手となり、快諾した。 (本物はこんなんだったけど) 俺が音を遮断できると聞いた初日から、ディオン様は仕事の愚痴を延々と言い始めるようになった。 そして俺の中の"王子様像"は、ガラガラと音を立てて崩れて落ちることになる。 「顔はいいんだよ、顔は…」 すやすやと寝息を立て始めたディオン様の顔をまじまじと見る。整っている。笑顔も素敵なんだぞ。仕事も有能だし。今は辺境伯だけど、王家の血筋でもあるし。 何だかそこだけ聞くと、本当に絵本の中から飛び出してきたみたいだな。 ぼんやりとそんなことを考えていたら、俺も眠くなってきた。明日も朝が早い。とっとと寝よう、と思い、部屋をあとにした。

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