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第4話 その音は
ディオン様が俺を初めて見たとき、俺は歌を歌っていたらしい。真夜中の、しかも人の気配のない森の中なんて、誰もいないと思ったのにな。
『君が歌うその歌は…初めて聞いたな』
『ええと、精霊が好む歌みたいですよ。恋する気持ちを表してるみたいで』
「俺のために歌ってほしい」なんて言うディオン様の手を、俺は気付いたらとっていた。そのまま屋敷に連れられて、ふわふわした気持ちのまま勤めることになった。
まぁ、すぐに現実を知ることになるんだけど。
「…紅っていうのは、高く売れるんだ」
過去のことをぼんやりと思い出していたら、足で体を小突かれた。何てことをするんだ。仮にも商品として売り出そうとしてるのに、待遇が悪すぎないか。ぐるぐる巻かれた紐のせいで、みじろいでも少ししか動けない。
それでも、ぼやける頭で何とか思考を巡らせる。
「俺を、どうするんだ…?」
「紅ってだけで、愛でたい奴から食いたい奴、いたぶりたい奴まで、裏の世界には酔狂な連中がたくさんいるのさ」
「…。」
基本的に紅の扱いはこんなもんだ。
俺は25年間で諦めることを覚えた。
どうしたって俺たちは、平穏無事には暮らせない。ディオン様のところで働くまでは、俺は町から離れた一軒家に家族とひっそり暮らしていたんだけどな。
こんなところで生涯を終えることになりそうだなんて悲しすぎる。父さんや母さんに悲しい思いをさせてしまいそうだ…せっかく快く送り出してくれたのに。
「ディオルフェンの奴、俺たちみたいな奴を警戒してなのか、お前のことを屋敷で囲っちまってなぁ。のこのこ出てきてくれて助かったぜ」
「…。」
瞼が重い。
ディオン様は俺がいなくなっても、たぶん困らない。数週間しか一緒に居なかったし、そもそも俺はあまり役に立っていなかったし。
無反応の俺がお気に召さなかったのか、男は俺の髪をぐい、と引っ張り、顔を上げさせた。痛い。
「なぁ、ディオルフェンの弱味のひとつでも教えたら、少しは待遇を良くしてやってもいいぞ」
その言葉にかちん、とくる。
ディオン様の弱味?
確かに色々ある。
でも、俺が簡単に口を割ると思われたなんて心外だ。俺が何年、絵本の中の王子様を想っていたか知らないくせに。
居場所のない俺をいつか助けてくれるんじゃないか、なんて、ずっと思っていたことを知らないくせに。
「確かに…あの人は、色々と、あるけど」
「それを言えばいい」
ふ、と笑って相手を見ると、相手が下卑た笑いを向けてきた。ああほんと、嫌になるよなぁ。
「残念だけど、あの人はお前たちに売るほど、安くないんだよ!」
言い切ると、男の顔がさっと変わり、怒りを刺激してしまったことが分かった。男は手を振りかぶり、俺は衝撃に身構えて目をつむる。
すると、耳をつんざくようなガラスを割る音が響き、思わず体が縮こまった。
「え?!な、何…?!」
「ディオルフェン!てめぇ、何でここが!」
「貴様ら、ロシュから離れろ!」
逆光で最初はシルエットしか見えなかったけど、俺はすぐに誰だか分かった。間違えるはずがない。あれは、
「ディオン様…?!」
ディオン様はつかつかと歩いてきて、とにかく向かってくる奴を返り討ちにしてはぶん投げ、返り討ちにしてはぶん投げ、を繰り返した。
俺のことを掴んでいた男も雄叫びを上げながらディオン様に向かっていったけど、軽く捻られ、昏倒させられた。
「無事か」
「ディオン様、どうしてここが?」
「お前の服には居場所が分かる魔法がかけてある」
「…そ、そうなんですね。知らなかった。でも、なんで追いかけてきたんですか?」
「は?お前のことが心配だからだろうが」
「…心配…?」
「するだろう。お前がいなくなると困る。今はまだ苦しいことも辛いこともあるかもしれないが、耐えてくれ。紅なんて、そんなものに縛られないようにしてみせる。約束する」
ディオン様は俺を座らせ、縄をほどいてくれた。そして膝をつき、俺の手をとって…
そっと手の甲に口付けた。
「つまり、俺はお前のことが…」
「…い、今の…」
「ん?」
「すごく王子様っぽかったです!!」
興奮気味にそう伝えると、ディオン様はがくり、と項垂れた。
「あれ?どうしたんですか?」
「…ふ、ふふ…そうか、分かった。もう分かった。お前はどうしても俺を"理想の王子様"にしたいんだな?」
「ディ、ディオン様?あの、なんか顔怖いですよ?」
「いいか、よく聞け、ロシュ」
「うぎゅっ?!な、なに、しゅるん、でしゅか!」
油断して脱力していたら、頬を思いっきり掴まれた。何だっていうんだ!
「俺はお前の理想にはならない」
「え…っ!」
「この素のままの俺に惚れさせてやる。覚悟しておけよ」
そのまま強引に口付けられ、にやりと笑われた。とても王子様とはいえない極悪面だ。それなのに、俺の胸はドキドキと、今だかつてないほどに高鳴った。
え? なんで?
「とりあえず、どうして外に出たのか、どうして捕まっていたのか、どうしてそんなに鈍いのか…聞きたいことは山のようにある」
「鈍い、とは」
「そういうところだ」
ますます意味が分からない。
眉間に皺を寄せると、指でぐにぐにと押された。
「な、何なんですか!突然拐われるし、ディオン様はカッコいいし…!心臓がドキドキして滅茶苦茶うるさいし!!」
「心臓?」
「変なんです!すごくすごく音が響いてます!」
「変じゃない」
「なんで言い切れるんですかっ」
俺が好きなのは理想のディオルフェン様であって、間違ってもこんな狂暴な顔をする人ではなくて、それなのに、どうしてこんなに嬉しいんだろう。どうして、こんなにもドキドキするんだろう。
それが"恋の音"だと気付いたのは、だいぶ後の話だ。
終
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