3 / 4

第3話 もやもやした気持ち

そして次の日から、ディオン様は寝る直前まで俺を呼ばなくなった。呼ばれたとしても、俺が数フレーズ歌っただけで眠ってしまうので、部屋にいる時間も短い。 「これで少しは疑われなくなった、かな」 憧れのディオルフェン様が、俺のせいで悪く言われたり、嫌なイメージがついてしまうのは悲しい。だから、距離をとってくれるのは良いことだ。 …良いことのはず、なんだけど、寂しく感じるのはどうしてだろう。もやもやとした気持ちが拭えないのは、どうしてなんだ? 歌が終わり、部屋で時間を持て余しながら、自宅から持ってきた一冊の本を掲げる。何度も何度も読んだ本だから、ところどころ擦り切れているし、色も褪せている。ページをめくり、ゆっくりと文字を目で追う。 そこに書かれているのは、エルヴィス家の王子様が紅:(くれない)と対峙する話だ。 親は「どうしてその本が好きなの?」と不思議そうに何度も聞いてきた。確かにそうだ。紅の血を引く俺は、本当なら怖がってもいいはずなんだ。 「…カッコいいんだよなぁ」 諦めず、挫けず、強く優しい王子様。 彼は話の中で何度も何度も、紅を説得しようと会話を試みている。でも紅一族の者は聞き入れようとせず、侵略しようとしてくる。 武器を手に取る紅一族を前に、王子様はもはや会話すら成り立たないと感じ、この地から追放することを決める… そして本編は、王子様が紅一族に勝利したところで終わる。 俺は…紅一族と王子様が仲良くなる、なんて、その後の展開を考えたことがある。 「あるわけないのに」 どう頑張っても紅一族は他とは相容れない存在だ。どんなに時が経とうと、場所が変わろうと、同じにはなれない。 …何だか、もやもやした気持ちが増えた。 「あー!もう!」 すくっと立ち上がり、窓を開け放つ。 見上げると満点の星空で、月が一際強く輝いていた。 「ちょっとくらい外に行っても、バレないよな!」 俺はマントを羽織り、フードを目深にかぶった。実は、暇すぎて家を歩き回ったおかげで間取りはすべて頭に入っている。何なら、死角になりそうなところとか、抜け道っぽいところなども見つけてある。 メイドさんたちも寝ているだろうし…大丈夫。少しだけ外の空気が吸いたいだけだし。このもやもやした気持ちも晴れるかもしれないし。 俺は意を決して歩き出した。 ** 「静かだなー…」 しん、と静まっている住宅街を歩きながら辺りを見回す。街灯だけがゆらゆらと揺れて、何となく心細くなる。 「そこの兄ちゃん。こんな夜更けにどこ行くんだい?」 「え」 突然話しかけられ、勢いよく振り向く。 誰もいないと思っていたのに、街灯の影に男性が一人いた。暗闇に浮かぶようにぼんやりとした輪郭で、なんかちょっと怖い。 「ええと、散歩です」 「へぇ」 「あ、あの、じゃあ俺はこれで」 「まぁ、お待ちよ」 ぐい、と強い力で引っ張られる。 「私の話を聞いてくれないかい」 「け、結構です」 「そう言わず。ほら、例えば、エルヴィス家の坊っちゃんの話とか」 「えっ」 出てきた単語に思わず反応してしまう。 それを見た男は、にんまりと笑いながら握る手を強くした。 「興味があるだろ?」 「ち、ちなみに、どんな話ですか?」 「ああ、とてもとても、楽しい話だ」 明らかに胡散臭い。 絶対この人は危ない。 本能ではそれを察知してるのに、逃げられない。聞きたい、と思ってしまう。だってこんな危ない人がディオルフェン様の"何か"を知ってるだなんて、その事実からして、良くない。 ごく、と唾を飲み込みながら相手を凝視すると、男は大層嬉しそうに微笑んだ。 「エルヴィス家の坊っちゃんが、珍しい色の拾い物をしたんだってさ」 そして俺の意識は、そこで暗転した。

ともだちにシェアしよう!