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第3話 もやもやした気持ち
そして次の日から、ディオン様は寝る直前まで俺を呼ばなくなった。呼ばれたとしても、俺が数フレーズ歌っただけで眠ってしまうので、部屋にいる時間も短い。
「これで少しは疑われなくなった、かな」
憧れのディオルフェン様が、俺のせいで悪く言われたり、嫌なイメージがついてしまうのは悲しい。だから、距離をとってくれるのは良いことだ。
…良いことのはず、なんだけど、寂しく感じるのはどうしてだろう。もやもやとした気持ちが拭えないのは、どうしてなんだ?
歌が終わり、部屋で時間を持て余しながら、自宅から持ってきた一冊の本を掲げる。何度も何度も読んだ本だから、ところどころ擦り切れているし、色も褪せている。ページをめくり、ゆっくりと文字を目で追う。
そこに書かれているのは、エルヴィス家の王子様が紅:(くれない)と対峙する話だ。
親は「どうしてその本が好きなの?」と不思議そうに何度も聞いてきた。確かにそうだ。紅の血を引く俺は、本当なら怖がってもいいはずなんだ。
「…カッコいいんだよなぁ」
諦めず、挫けず、強く優しい王子様。
彼は話の中で何度も何度も、紅を説得しようと会話を試みている。でも紅一族の者は聞き入れようとせず、侵略しようとしてくる。
武器を手に取る紅一族を前に、王子様はもはや会話すら成り立たないと感じ、この地から追放することを決める…
そして本編は、王子様が紅一族に勝利したところで終わる。
俺は…紅一族と王子様が仲良くなる、なんて、その後の展開を考えたことがある。
「あるわけないのに」
どう頑張っても紅一族は他とは相容れない存在だ。どんなに時が経とうと、場所が変わろうと、同じにはなれない。
…何だか、もやもやした気持ちが増えた。
「あー!もう!」
すくっと立ち上がり、窓を開け放つ。
見上げると満点の星空で、月が一際強く輝いていた。
「ちょっとくらい外に行っても、バレないよな!」
俺はマントを羽織り、フードを目深にかぶった。実は、暇すぎて家を歩き回ったおかげで間取りはすべて頭に入っている。何なら、死角になりそうなところとか、抜け道っぽいところなども見つけてある。
メイドさんたちも寝ているだろうし…大丈夫。少しだけ外の空気が吸いたいだけだし。このもやもやした気持ちも晴れるかもしれないし。
俺は意を決して歩き出した。
**
「静かだなー…」
しん、と静まっている住宅街を歩きながら辺りを見回す。街灯だけがゆらゆらと揺れて、何となく心細くなる。
「そこの兄ちゃん。こんな夜更けにどこ行くんだい?」
「え」
突然話しかけられ、勢いよく振り向く。
誰もいないと思っていたのに、街灯の影に男性が一人いた。暗闇に浮かぶようにぼんやりとした輪郭で、なんかちょっと怖い。
「ええと、散歩です」
「へぇ」
「あ、あの、じゃあ俺はこれで」
「まぁ、お待ちよ」
ぐい、と強い力で引っ張られる。
「私の話を聞いてくれないかい」
「け、結構です」
「そう言わず。ほら、例えば、エルヴィス家の坊っちゃんの話とか」
「えっ」
出てきた単語に思わず反応してしまう。
それを見た男は、にんまりと笑いながら握る手を強くした。
「興味があるだろ?」
「ち、ちなみに、どんな話ですか?」
「ああ、とてもとても、楽しい話だ」
明らかに胡散臭い。
絶対この人は危ない。
本能ではそれを察知してるのに、逃げられない。聞きたい、と思ってしまう。だってこんな危ない人がディオルフェン様の"何か"を知ってるだなんて、その事実からして、良くない。
ごく、と唾を飲み込みながら相手を凝視すると、男は大層嬉しそうに微笑んだ。
「エルヴィス家の坊っちゃんが、珍しい色の拾い物をしたんだってさ」
そして俺の意識は、そこで暗転した。
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