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第1話

「ねえ、西沢(にしざわ)くん。明後日のことなんだけど」  そんな話を同居人であり恋人の(あずま)が持ち出してきたのは、少し蒸し暑い日の夜、ベッドの中でのことだった。  引っ越してきたばかりの部屋の中はまだ段ボールだらけだけど、ベッドだけは初日からしっかり使えるようにしてある。その理由はもちろん恋人の東。  念願の同棲を始め、なにはともあれベッドを整えたのは当然時間を気にせず抱き合うためだ。  表向きはルームシェアでも恋人同士が一緒に住めばそりゃ真っ先に思いつくのはそれで、荷物は多少の服と仕事に必要なものが入った段ボールくらいしか開封していない。  そんななにもない部屋の真ん中に置かれたベッドの上で、華奢ではないけれど男にしちゃ細い肩に口づけ、そこが汗ばんでいる理由ににやつきながら名残を惜しむ。  俺の恋人東は、いつもは夏でも暑苦しく思われないくらい爽やかな営業マンで、出来すぎて「顔で仕事を取る」と揶揄されるほど整った顔をしている。本来なら俺と同じきつい目つきになるはずの目元も「切れ長」で涼やかに感じるのは、全体的なバランスがいいからだろう。その顔で綺麗に笑う東は、結構思ったことをずばりという顔に似合わない性格をしているけれど、今は疲れから来る眠気のせいで喋りがとても緩い。  身長の高さに見合わない少し高めの甘い声でゆるゆる喋られるとまるでとけたマシュマロに包まれているようで、こちらまでとろけそうになる。  そんな声で持ち出されたのは、明後日、土曜日のこと。実を言うとその日は俺の誕生日だ。  今年はうまいこと土曜日に当たったから、一日中家でごろごろしようか、それともどこかでデートをしようかと色々考えていたんだ。だから普段は意識しないその日付にもすぐにぴんときた。  今それを持ち出すと言うことは、サプライズな話だろうか。 「なに、デートプランでも教えてくれんの?」  仕事中は女子社員の憧れのキラキラリーマン東も、俺と二人きりの時にはとろけるようなエロい顔を存分に晒してくれて、今もそれを堪能し終わった後。  シングルの狭いベッドの上だから抱き合うか上下に重なるかしかなく、せっかくだからもう一回ぐらい頑張りましょうかと下にある東の頬を撫でて窺う。 「あの、さ、土曜日、夕方くらいまで外出ててくんないかな?」  すると、返ってきたのは予想外の要請。 「……は?」  思わずにやにやが引っ込んで真顔で東の顔を見つめた。  困ったように寄せられた眉の形まで整った綺麗な顔は、冗談を言って楽しんでいる様子ではない。 「……あー、それは、なんだ。俺一人でってことか?」 「うん。どっかで時間潰しててほしいんだけど」  外出てて、という言い方はつまり、東と一緒じゃなく俺だけでってこと。せっかくある時間を潰せと言うのは、一体全体どういうことなんだ。 「……サプライズパーティーとか、いらねーけど?」  俺がいない間にパーティーの用意をするとかなら、申し訳ないけど断らせていただきたい。  みんなでわいわいと楽しむのも嫌いじゃないけど、せっかくの誕生日くらい、恋人と二人っきりで過ごしたい。もちろん少しも時間を無駄にすることなく朝から晩まで。  そういうことだからその謎の提案を取り下げてはくれまいかと引きつった笑いを浮かべて聞いてみるけれど、東はいつもの無邪気な感じには戻らず。 「そういうんじゃなくて、ちょっと……用があって」  俺から目を逸らし口ごもる様は完全に訳ありって感じで。  なんだそれは。恋人の誕生日に用を作るなんて意味がわからない。 「なに、浮気とかすんの?」 「……は? なんでそうなるの」  俺のいない間に誰か男でも引き入れるのか、と半ば本気で聞けば、東は眉間にしわを寄せて不愉快そうな表情を作る。東はすぐ顔に出る奴だし、この顔からいって浮気の可能性はなさそうだ。少しでもその気があるのなら、さっきみたいに目を逸らす。でも今は俺がなにを言っているのか本気でわからないといった風に逆に目を覗き込んできたから、頭の中に少しもそんな考えがなかったって証拠だ。  でも、だったらなにを隠してる? 「とにかく、お願いね」 「おい」  そう言い残すと、東はそそくさと俺の下から抜けて自分の部屋へと戻っていった。  とはいえドアは開いたままで、東の部屋もすぐそこなんだから、追いかけようと思えば追いかけられる。同じ家の中。だから問題は距離じゃない。  あの様子じゃこれ以上問いただすのは無理だろう。無論、無理に聞き出すという手もあるし、そんな提案飲まないのも簡単ではある。  ただここでごねてもいい結果は得られないだろうことは想像がついたから、ため息をついて抵抗を諦めた。  さっきまでの甘く濃密な空気はすっかりと霧散してしまった。一人取り残された俺には、段ボールだらけの部屋が余計殺風景に見える。  まだ引っ越してきて間もない、同居後初めての俺の誕生日。  それなのになぜか東はその日を無駄に潰せという。  一番考えられる可能性は、手料理とかそういうものの用意があるから時間をくれってことだろうけど、それだったら東の性格からいって最初から素直に言うと思う。自信満々に、そのすらりとしたスタイルによく似合うエプロンをつけて、あまり得意じゃない料理に勤しむ様を俺に見せるだろう。それさえもプレゼントだとでもいうように。  となると、やっぱり間男を引き入れようとしてるとか……。いや、現実的に考えれば、俺と同居していることを教えていない友達を招くということもありえる。でも、なにもわざわざ俺の誕生日じゃなくたって。 「……ま、考えても仕方ねーか」  考えたところで答えを知っているのは東だけだし、実際の話東が浮気ってのも考えづらい。  だから東なりに、なにか考えがあるんだろう。俺に言えないなにかを、俺の誕生日にしたいから、俺を追い出す、と……。  納得しづらいこととはいえ納得するしかなくて、もやもやはしつつもとりあえず寝ようと布団をかぶった。こんなことで寝坊して遅刻でもしたらシャレにならないし。  ……そうやって眠りについたけれど、次の日の寝覚めが少々悪かったのは否めない。

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