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第1話「出会い」
————大丈夫ですか?
初めて話しかけたのはそんな言葉だった。
平静を保っていたけど、本当は息が詰まるほど緊張した。
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「あっつ……」
照りつける太陽が肌を焼く。
梅雨だというのに、今日は真夏のような暑さだ。
降り注ぐ熱は渦巻くように体に溜まり、体中から汗が吹き出してくる。作業をしているとさらに暑くなり、排気ガスの匂いも相まって意識が朦朧としてきた。
汗は拭いても拭いても後から流れ落ちてきて、段々イライラしてくる。
早く終わってくれと思うが、焦りが増すだけで運んでいる荷物は一向に減らない。
とりあえず、トラックに乗り込んでエンジンをかける。車内はクーラーが点いていて少しだけ気持ちも和らぐ。
しかし、今度はプスンという音と共に、トラックのエンジンが止まった。
「え?……」
予想外の事態に焦る。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」
一瞬で頭が真っ白になって、トラックと同じように固まってしまう。
車は仕事の必需品だ、これがないと何も出来ない。
俺は、慌ててキーを捻ってもう一度エンジンをかける。
しかし車は気の抜けた音を出すだけで、先ほどと同じく止まってしまう。
何度か試すが手ごたえのない音が繰り返されるだけで、状況は変わらない。
「マジかよ……」
俺は、ハンドルに突っ伏して頭を抱える。
俺の名前は佐川清 日本でも一・二を争う大きな運送会社、香川運輸の配送員だ。
体力があってスポーツが得意なので、この仕事についた。
昔は少しヤンチャをしていたが、高校で柔道にハマり。運動神経の良かった俺は、そこそこの実力をつけ、大会ではそれなりの成績を残した。
そのまま大学はスポーツ推薦で入り、柔道漬けの生活をおくった。
ただ、柔道で食べていけるほどの実力もなかった俺は早々に柔道には見切りをつけた。
大学を卒業した後は普通に就職し、この仕事をしているというわけなのだ。
この仕事は、ブルーのしま模様が特徴のユニホームも相まって、爽やかなイメージで有名だ。
しかし仕事はハードでなおかつ忙しく、働いているこっちは爽やかさなんて考えている暇は無い。
しかも、最近はネット通販が多くなり、配送物は毎日山のように積み上がっている。
今は不景気のせいか共働きの家も多い。昼間誰も家にいなかったり、一人暮らしの家も多いので、配達しても再配達が多い。そうなると配達員は何度も家に向かわなければならなくなるのだ。
時間はいくらあっても足らない。
今日もトラックいっぱいの荷物を運び、暑いなか配達をしていた。
そんな中でズラリと並んだ某密林会社のあの箱。その箱にプリントされたニヤニヤ笑ったようなロゴマークがこちらをバカにしているように見えて、余計腹が立ちイライラが増してくる。
気温は暑く、昼間はどの家も窓を締め切り、室外機が全開で風もない。
——そんな時に、追い打ちをかけるように車が動かなくなったのだ。
トラックの荷台にはまだ未配達の荷物が半分ほど残っている。
実は俺がこの仕事を始めたのは、三ヶ月前からなのだ。正直慣れているとは言えない。
最初は教えてもらいながらだったが、一人で任されるようになって二ヶ月ほど。そこそこ慣れてはきたものの、まだこんなアクシデントにすぐ対応出来るほど経験も無く、焦るだけで何も思いつかない。
幸いなことに車は少ないここは閑静な住宅街だ。
トラックは道の真ん中で止まってしまったが、とりあえず今すぐ誰かに迷惑をかけることはないだろう。
とはいえあまり長い間、ここに停めておくことは出来ない。
「とりあえず、トラックを移動させないと……」
頭はパニック状態だったが、これ以上の最悪な事態になることは避けなければ。
俺は車を出て、熱せられたアスファルトの上に戻る。
さらにむわりとした熱が体に纏わりつく、それだけで一気に体力が奪われる。
焦りつつもハンドルを操りながらドアから車を押す。
車は小さめの二tトラックなのだが、荷物も積まれているからかなり重い。
「っく!……」
力一杯押すと汗がボタボタと顔から滑り落ちる。
暑さで体力が落ちている時にこれは辛い。
しかも、トラックはビクリとも動かなかった。
絶望的な気持ちになってきた。しかもこのトラックを動かせたとしてもその先はどうしたらいいかわからない。
そう思い至って、さらに焦ってくる。
荷台に乗った荷物は今日中に運ばなければならない。他の人間に頼めるほど人は多くないし、荷物も少なくない。そもそもこの動かないトラックはどうしたらいいのか、当然修理なんてできない。
そんなことを考えているとさらに頭がパニックになってくる。
「……ヤバイ……」
ぼんやりと呟く。
止まったままの車に止まることのない時間、悪循環だ。
その時だった、後ろから声がしたのは。
『大丈夫ですか?』
少し優しげだけど、透き通った声だった。
**********
あれから数日——
「!っあ!シロネコさん!」
俺は、気が付いたら道の真ん中でそう叫んでいた。
探していた人を見つけて呼び止めようとしたのだが、よく考えたら俺はその人の名前を知らない
一瞬迷った後、どう呼んでいいかわからず思わず、彼の所属する会社名で呼んでしまったのだ。
駆け寄って、自分の顔を指差す。
「あの、この間の……覚えてますか?」
「?あ、ああ。この間の……」
話しかけられた相手は俺の顔を見ると、少し驚いた顔をした後。気を悪くした感じもなく顔を綻ばせそう言った。
あの暑い日トラックが動かなくなって立ち往生していた時、声をかけてくれたのは彼だったのだ。
シロネコさんと言ったのは、彼の所属する会社の名前がシロネコダイワという名前なので、俺は咄嗟に通称であるシロネコさんと言ってしまったのだ。
あの時、彼は立ち往生していた俺に話しかけ、助けてくれた。
俺はその時のことを思い出す——
彼は少し心配そうな声色で、こう話しかけてきた。
『どうしたんですか?大丈夫ですか?』
『え?』
焦っていたせいか、誰かが近づいていたことも気がつかなかった。でも話しかけるその声は優しげで安心するるような声色だったのを覚えている。
しかし、振り返って驚いた。声をかけてきたのは、俺の働く会社の一番のライバル会社の制服を着ていたからだ。
同じ業界で業績も同じくらい、値段やサービスでなにかと比較されることで有名な会社だ。
とはいえ現場で働く人間にはそれはあまり関係が無かったりする。
俺たちはとりあえず荷物を運ぶのが仕事だし、集客は営業の仕事だ。
少なくとも俺はその配送員に対して、そこまで強くライバルだとか意識して考えたことはなかった。
だから驚いたものの同業者でもある彼の『どうしました?』という言葉には素直に答えられた。むしろ、同じ立場なら何か助言をもらえるかもと思ったのだ。
少しつっかえながらも状況を説明すると。
『……なるほどエンジンが……わかりました。とりあえずこのトラックは移動させないといけませんね、俺も移動を手伝います!あなたはハンドル持って誘導してください』
彼はそう言ってテキパキと指示を出す。彼は直ぐにトラックの後ろに回ると車を押し始めた。
俺も慌ててもう一度トラックを押しつつハンドルを握る。
先ほどはビクともしなかったが、さすがに男二人が押すとトラックは少し動いた。
『う、動いた……』
それだけで俺は、ほっとして嬉しくなった。
トラックは少し動くと、慣性の力で緩やかだがそんなに力を入れなくても動く。そして、なんとか俺たちはトラックは道の端に移動させることができた。
運のいいことにすぐ近くに公園があったので、そこの柵の近くに停める。
人の少ない時間帯というのもあるのか、酷く日が照ってるせいか公園には誰も居なかった。
これならあまり迷惑をかけることもないだろう。
『……さてと、集荷場には連絡しました?』
トラックを移動させ終わると。彼は間髪入れずに、テキパキそう言った。
『え?あ!……ま、まだです』
『じゃあ、早いとこ連絡して相談した方がいいですよ。僕はJAFに連絡しますので』
『あ、は、はい』
俺は言われて始めて、自社の集荷場に連絡をすればよかったんだと気が付き、慌てて仕事用の携帯を出し電話をする。
彼も携帯を出すと手際よく操作して、慣れた感じでJAFに状況を説明し始めた。
さっきまであんなに焦って絶望感すらあったのにいたのに、あっという間にことが進んでいく。
とはいえ、考えてみれば簡単に解決できることだった。焦っていたとはいえ自分の馬鹿さ加減に呆れる。
電話をすると当然のように上司に怒られた。
しかしすぐに予備のトラックを手配してくれ、さらには近くの配送地域の配達員にも、手伝ってもらえることになった。
そのおかげで残りの荷物も配送してもらうことになった。
しかし、そうやってなんとか解決に向かっている間に。気が付いたら助けてくれた彼はいつの間にかいなくなっていたのだ。
いない事に気がついて探したのだが、彼が乗っていたトラックも無くなっていた。
そう言えばと電話をしている間に何か言われて、曖昧に返事をして手を振ったのを思い出す。
思えばあの時、彼は仕事に戻ると言っていたような気がする。
ちゃんとお礼を言うべきだったのに、出来なかった。
しかし、後悔しても後の祭り。
だから俺はその後も仕事をしながら、助けてくれたシロネコの彼を探していたのだ。
とはいえ名前も聞かなかったし、わかっていることは男でシロネコの配送員だということだけ。
手がかりはあの時にあの場所にいたという事は、配送地域が重なっているということだ。
だから俺はそうあたりをつけて、配送中も目を皿のようにしながら仕事をしていたのだ。
特に車が止まってしまった場所を通る時は少しゆっくり走ったりしながら探していたりもした。
そして探し始めて三日目。
配送地域が重なっているという俺の読みは当たり、ついに俺はそのシロネコの彼を見つけることが出来た。
改めて目の前の彼を観察する。
助けてもらった時は帽子をかぶっていたせいもあってよく見えていなかったのだ。
その顔は少し線が細く、穏やかな雰囲気。全体的には整っていて見返すその瞳は声と同じく優しげだ。
彼はあの時のことを思い出したのか。俺の顔を見てふわりと笑った。
その時、何故か俺の心臓はドキンと高鳴った。
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