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これから始まる
郁人はデートだと言っていたはず。
晶が帰宅しようと駅に向かっていると郁人から連絡が入った。
『大事な話があるから、今時間大丈夫?』
いつになく深刻な声──
晶はそのひと言で「ああこれで終わりなんだ」と吹っ切れた気持ちになった。
ちょっとだけいい思いができた。好きだった人と、ほんの一瞬だったけど恋人同士になれたんだ、俺は幸せ者だ……悲観することはない。大丈夫だ……そんな事を考えながら晶は郁人に指定された場所へ急ぐ。
「なんだよ……それはちょっと無いんじゃない?」
晶は動揺を隠せなかった。目の前には郁人の横に立つあの女の姿。その姿を見たらもう晶は我慢ができなかった。
「え? 待って…….晶、なんで泣いてんだよ。え? ちょっとどうした?」
大粒の涙を零した晶を見て驚き慌てた郁人が駆け寄った。
「俺にその女を紹介するのか? もう俺とは終わりなのはわかってるけど……デリカシーってもんはねえのかよ。あんまりだ」
僅かに聞き取れるくらいの小さな声で晶はそう訴える。泣くなんてみっともないとわかっていても、どうしようもなかった。
「待って! 何言ってんの? 終わり? どういう事? 嫌だ、なんなの? 晶、泣き止んで」
とりあえずこっちに、と連れてこられたのは不動産屋の入っているビル。郁人まで泣きそうな顔をして、晶を奥の商談スペースへ連れて行く。訳がわからないまま見せられたのは幾つかの物件情報だった。
「いや、更新日も近かったしさ……」
そう言った郁人は晶の頬を濡らす涙を指先でそっと拭った──
「え? 付き合うことになったって……え? だってあれ、ハロウィンの時にネタバラシどーん! ざまあみろ! で終わりじゃなかったの? なんで? 晶だよね? え? 同棲? 朱鳥として? え?」
一人大混乱する輝樹を前に、郁人が晶と同棲をする事になったと報告をする。郁人は友人同士のルームシェアではなく「恋人と同棲」という言い方をした。少しでも晶の不安な気持ちを少なくするため、そしていつも一緒にいたいが為に不動産業の父を持つ友人の女に、晶に内緒で相談をしていたのだった。
晶が郁人に片思いをしていてやっと念願が叶ったんだと打ち明けたら、輝樹は途端に両手を挙げて祝福をした。水臭いだの、なんで相談しなかったんだだの散々文句を言っていた輝樹は、晶の今までの苦悩を思ったら今度は泣けてきたらしくメソメソと涙を零す。元々は郁人はノンケだし、これからきっと繋ぎとめておくのに苦労するからその時は相談に乗ってくれと言われた輝樹は泣きながらうんうんと大きく頷いた。
「もう突然部屋に来て邪魔なんてすんなよな!」
「わかってるって、ごめんって……知らなかったんだもんよ」
「それに苦労なんかさせねえから、晶もそんなこと言うなよ」
「うん……」
愛し合うのに男も女も関係ない。恥ずかしいのは理解できるけど卑屈になることはないからと言って郁人は晶の肩を抱く。少しづつでいいからもうちょっと信用してくれと言って郁人は笑った。
自信がなく身を引こうと思ってしまった。それでもこんな大胆な行動を示してくれた郁人に晶は確かな愛情を感じることができた。これからも小さなすれ違いや喧嘩もするかもしれない。でももう大丈夫。
「いい男すぎて惚れ直した。ありがとう、郁人……」
これから始まる新しい生活。
晶はもうデートの時に人目を気にして女装をすることもなくなった。
end
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