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第1章 邂逅、そして誕生 3
目を覚ました時には外は茜色に染まっていた。寝過ぎたと勢いよく身体を起こすと、背中が引き攣るような鈍い痛みが走る。すっかり怪我のことを忘れていた。
頬の腫れがあまり気にならなくなっていたこともあり、明日取っていいと言われていたけれど、煩わしかったので取ってしまった。
ベッドを降りよろよろとポールハンガーに掛けられた洋服に着替え、ケープを羽織ってドアの外に出る。と、目の前に立ち塞がる大きな影に驚いて一歩後退った。
「……なんだ、アシュレイか……びっくりしたよ」
金色の眼の男の顔を見上げて苦笑する。しかし、彼の方は表情を変えることなく鋭い視線を僕に注いでいた。
「一つ聞きたい事がある」
「何?」
「……お前が王になったら、この国をどうしたい」
唐突な質問に目を丸くする。王になるなんて、考えたこともなかった。いや、考えたことはあっても、無理だと何度も諦めただけだ。
「……そうだね。今は早急に国境界隈の病人の治療と病の蔓延を食い止めて、難民を保護する、かな」
「目先の事ではない、大望、野心を示せと言っている」
強い語気にはっとして考え込む。考えたところで、「野心」なんて持ち合わせたことがなかったことに気付かされるだけだった。王としての器としては、僕はあまりにも小さい。
「……具体的なことは、何も無い」
その言葉にアシュレイの眉がぴくりと動く。真っ直ぐに見下ろすその眼に軽蔑の色が浮かぶ。
「……でも、あえて言うなら――」
僕は微笑んで彼を見詰めた。表情が、一瞬緩んだように見えたけれど、気のせいだろうか。
「国が富み栄え、皆が笑顔でいられて幸福で溢れている……そんな国にしたいな」
「……あまりに凡庸。そして、閉口するほどの絵空事」
何も言い返せずに「はは」と笑って、頬を掻いた。しかし、彼の金の瞳に淡い光が揺らいで、ほとんど崩していないはずの表情が優しく感じられる。
「しかし、あまりに理想的」
そう言って、右手を左胸に添えた。まるで、臣下のような振る舞いに驚いて目を見張る。
アシュレイはちらと僕の方を一瞥し、歩き出した。付いてこいということなのだろう。慌てて追いかけてその横を歩く。
「王を含め城の者達を集められるか」
「兄様も……? 一体どうしたって言うんだ?」
その問いに、アシュレイは目を細めるだけで何も答えなかった。けれど、何かをしようとしていることは分かる。
「……兄様を呼び出すのは僕では無理だけど、もうじき夕食だから、二階の広間に現れると思う。いつも通り近臣も連れてるはずだし……城の皆は僕やイェルクが呼び掛ければ集まってくれると思うよ」
「ならば早急に、お前の従者を呼び出して広間に集めてもらえ。王が食事を始める前に」
強い口調ではあるが、命令というよりは提案のように感じられる。僕は頷いて、イェルクの部屋に向かおうとした時だった。ちょうど廊下の向こうから歩いてくる銀髪の見慣れた男の姿を捉えた。
「ニコデムス様、と……アシュレイ。どうなさいました」
一瞬隣に立っている異形の大男を見てから、僕の方に居直る。少し休んだおかげか、顔色が大分良くなっていて安心した。
「ちょうど良かった。イェルクのところに行こうとしていたんだ。頼み事があって」
「……頼み事、ですか」
大体いつも僕の頼み事は良い事ではないせいか、嫌な予感がしたのだろう、訝しげな表情になる。
「これから兄様が広間で夕食を召し上がると思うんだけど、その前に広間に城の人達を集めて欲しいんだ」
「それは……どういったご用件なのです?」
「アシュレイが、そうして欲しいって」
その言葉に眉根を寄せて彼の顔を見上げたイェルクだったが、何か思うところがあったのだろうか、何かを言い掛けてやめ、ただ真剣な眼差しをアシュレイに向けて深く頷いた。
「……分かりました。すぐに人を集めますので、ニコデムス様とアシュレイは先に広間へ」
「ありがとう」
イェルクが一礼を返して足早にその場を立ち去ると、アシュレイもまた広間に向かって歩き出す。もう場所も分かるほど城内を歩き回ったのかと、まるで子供のように無邪気だなと笑ってしまった。
「……何が可笑しい」
「いや、君は見た目ほど怖い人ではないんだなと思ったから」
「人……か」
そうぼそりと呟いた後、何か決意のような光が、金色の瞳に宿ったように見えた。どくんと心臓が跳ねる。彼の横顔に、昨夜会った時に感じた予感めいたものを再び思い起こされる。
二階の広間に付くと、既に給仕係が揃っていて、王の来室を待っているところだった。
「ニコデムス様、如何なさいました?」
問題が起こるのを避けて、食事は別々に取っているので、広間に来るわけのない人物を不審に思ったのだろう。老年の給仕長が駆け寄って来る。
「ごめん、皆に伝えてもらえるかな。今からここに城中の人を集めるつもりなんだ。多分、食事は……延期になると思う」
「……何をなさるおつもりです」
長くこの城に勤めてくれているから、今からただ事ではない何かが起こると直感している様子で、顔が一気に青ざめる。
「それは僕にも……。客人の、アシュレイの頼みなんだ」
フードで顔を隠した大男を見上げて、給仕長は顔を引き攣らせたが、一つ深呼吸すると「畏まりました」と他の給仕達の元に戻ると指示を出す。
しばらくすると、あちこちから掻き集められた使用人や衛兵たちが姿を現した。皆訳が分からない様子で、僕に理由を尋ねてくるが、僕も苦笑するばかりで何も答えられない。
「ニコデムス様、出過ぎた真似かと思いましたが、王国騎士団も連れて参りました」
イェルクが広間に入ると、後ろから屈強な男達がぞろそろと広間に入ってくる。ちょうど訓練中だったのか、平服で汗だくの状態だった。
「王子、ご説明を願えますか」
茶の髪と瞳、端正な顔立ち、健康的に日に焼けた小麦色の肌。平均的な成人男性の背丈ではあるが、鍛え抜かれ引き締まった身体の男が、困惑した表情で駆け寄ってきた。彼こそ数年前、賊の討伐の際に一人で百もの首を上げたという我が国随一の剣士であり、現在騎士団長となったヴァルテリだ。容貌の美しさも相まって、国中の娘たちの憧れの的となっている。
「それが……僕も彼に集めてくれと言われて、そうしただけなんだ」
隣に視線を移した瞬間、ヴァルテリが提げていた剣に手を添えて、アシュレイを鋭い眼光で睨み付けた。
「貴様、何者だ? お前は――」
一気にその場が凍りついた時だった。複数の足音が、廊下を早足で近付いてくるのが分かる。
「何事だ!」
怒りを露わにして広間に入ってきた王の姿に皆怯んで、隅の方に避けていく。そして、僕の前に真っ直ぐにやってくると、掴みかかろうと襟ぐりに手を伸ばした。
しかし、彼の手は届く一歩手前で止まった。いや、止められたのだ。アシュレイの手が、彼の手首を掴んでいた。
「何をする無礼者! 皆の者、この男を捕らえよ!」
王の声に騎士団も衛兵も動こうとした。が、アシュレイが兄上の手を離し、ケープを脱ぎ捨てた瞬間、全員が動きを止めた。
波立つ漆黒の髪、金の眼、褐色の肌、帝国時代を思わせる古びた黒い貴族の服、尖った耳、鋭い牙。その姿を一目見て恐れない者はいないだろう。
その姿を正面から仰ぎ見た兄は、目を逸らすことも出来ず顔を強張らせて固まっている。
「我が名はアシュレイ。かつての名を名乗るなら、ヘルフリート、テオドロ……最も知られている名は、フェリクス」
「……やはりそうか!」
その名を聞いた瞬間、後ろに控えていたイェルクが静寂を切り裂くように叫んだ。彼の声は歓喜にも畏怖にも似た声色だった。
「まだ我が大陸に王が居なかった頃、烏合の衆を束ね一大帝国を築いた皇帝ベルンハルト――かの御方の傍に仕えたという吸血鬼の名が……フェリクス」
王の傍に居た近臣の一人が、顔を真っ青にして震え出し、奥歯をかたかたと鳴らしながら、口を開く。
「……血涙帝の、漆黒の幸福 ……金眼の蝙蝠……」
まるでうわ言のように、言葉をぽつりぽつりと零し指を差しながら、そのまま脱力するように床に座り込んでしまった。
「愚王の側に多少の教養がある者が居たのは運が良い。話が早そうだ」
ゆっくりと周りを見渡し、そして目の前で弱々しく震える国王を猛禽類のような双眼で見据える。
「ユリウス王に申し渡す。そなたを臣民とし、永久に王を冠する権利を剥奪する。そして、新たな王を、正当な王位継承権を持つ――ニコデムスとする」
何を言っているのか分からなかった。アシュレイと兄様の横顔を交互にただ呆然と見上げながら、目の前の光景と彼の言葉とを理解しようとする。
「なっ……そのようなことを何故お前が――」
アシュレイによろよろと掴み掛ろうとした兄王の手をいつの間にか歩み寄っていたイェルクが軽く制した。王に対してそのような無礼極まりない行為を自らするはずのない男である。王は怒りよりも事態を把握し始めているのか、恐怖に顔を歪めていた。
「ベルンハルト皇帝は、晩年フェリクスを傍から遠ざけた事を悔いて、後に七つの国に分かち王となる七賢人に命じた。『彼の者の言葉は我が言葉、彼の者の成す事は我が成す事。其れ永久の理とす』」
国の歴史を学んだことがある人なら誰もが聞いたことがある有名な一文を雄弁と謳うように語る。そのイェルクの姿を聴衆となった城の者達は、感嘆の表情で聞き入っている。
ベルンハルト皇帝が亡くなった後、七賢人の一人で我が国の始祖であるアレクサンテリも『漆黒の幸福 は永遠に帝の代弁者である』と発したとされる。それは王家の者にとっても絶対の命に他ならなかった。
しかし、兄はがたがたと震えながらもイェルクの胸倉を掴んで、血走った眼で睨み付けた。
「真偽さえ不確かなそのような大昔の戯言を、よもや今持ち出すなど、世迷いごとと切り捨てられる今のうちに止めておけ。今なら命だけは奪いはせぬ」
「……七賢人の血を継ぐ者なら、永久不滅の大号令を無視する事が如何に愚かなことか分かっているはず。もし拒絶すると言うなら、貴方は臣民ですらない」
「煩い! 早くこの二人を捕らえ首を刎ねよ! そして――お前もだ、ニコデムスッ!」
兄の指先が僕を指し示していた。憎悪を湛えた瞳の奥に、どす黒い炎が蠢いているように見え、背筋が冷たくなるのを感じた。
「お前のような愚弟、即刻打ち首にしておけば良かったのだ! いや、忌子など生まれてすぐ殺しておくべきだったッ! 父王は晩年耄碌していて当然すべきだったことを見落としてしまったらしい! その唯一の汚点を私が今取り除いてやる!」
その瞬間、ヴァルテリが剣を素早く振り下ろした。太刀筋が見えないほどの動きに、息を呑んだ時にはその切先が向けられた者が誰なのかを知った。
「我が王への罵言雑言、無礼な振る舞い、許すまじ。それ以上何か申してみよ。我が剣の切先が貴様の心臓を貫くことになるぞ」
ユリウス王は自分の目の前に突き付けられた光る金属物と、かつての臣下であった男の冷徹な眼差しに言葉を失い、そして理解したのだろう、ぽろぽろと涙を零しそのまま膝から崩れ落ちた。
ヴァルテリが剣を収め、静まり返った広間に金属質な音だけが響いた。事態を静観していたアシュレイは王の後ろで青ざめている近臣たちに視線を移す。
「もう一つ言い忘れていた。ユリウス王の近臣たちも同様の処分とし、貴族の階級を剥奪、王と共に即刻退城せよ」
「そ、そんな! 私達は王に選ばれ重職を賜っていただけでございます! 王の愚行を止められなかったのは痛恨の極みでありますが――」
その言葉に、膝を折っていた兄はわなわなと震え、男を見上げ何かを言葉にしようとするが、そのまま拳を強く握って床に叩きつけるだけだった。忠誠を誓っていると信じていた者達からの裏切り。もう兄を守ってくれる者はいない。
「お前達には、王族殺しの罪を追及しても構わないのだが……さて、どうする」
アシュレイの言葉に、今まで黙って聞いていた使用人や衛兵達がざわつき始める。そして、一人の年長の近臣が嘲笑を湛えて彼に対峙した。
「……何を言ってる? そのような根も葉もない嫌疑を掛けられて、我々が黙っていると思ったのか? 証拠も何も――」
「無いであろうな。ニコデムスの母も、先の王も、王妃も、お前達の息の掛かった医師に病死として処理させたのだから」
――親父はどうしても助けられなかった――
ラッセの言葉が思い起こさせられる。もしかして、彼はこのことを言っていたのだろうか。だとしたらラッセは、次々と亡くなった王族の死の本当の理由を知っていたのだろう。
「……始まりは、王妃が寵愛を受ける妾……スティナ嬢に嫉妬するあまり、懐妊中に毒殺を謀ったことからだ」
震える声でそう発したのは、予想もしない人物だった。
「……イェルク……?」
呆然と声を掛けると、彼は弱々しく微笑んで、そして覚悟を決めた表情で語り始めた。
「少量しか口にしなかったためか、御子も一命を取り留め無事出産を終えたスティナ嬢は、倒れた原因を医師から心労からくる病のせいだと告げられたものの、真実を知っていたのだろう。私にニコデムス様の御命だけを望まれて、数日の後に再び不明の病に襲われこの世を去った」
イェルクがあまり母の話をしたがらなかったのは、このことを知られまいとしたからなのだろうか。もしこのことを知っていたら、僕は兄や王妃に対する憎悪を抱いて日々を生きることになってしまったかもしれない。それを、母も望んでいないと思って隠し通して来たのだとしたら――彼に、多くを背負わせてきてしまったことを謝らなければならないだろう。
「それから数年して、恐らく王は王妃のかつての企てを知ったのだろう。慌てた王妃と近臣たちはすぐに王を同じ方法で葬り、更にユリウスが王に立てられてから国政に口出しするようになった王妃を疎ましく思って、近臣たちは同じく亡き者にしたのだ」
背筋が凍りついていくような寒気を覚えた。暗計に次ぐ暗計――我が王家にこれほど黒々とした闇が渦巻いていようとは、思いもしなかった。
「……妄想だ! 何処にも証拠はない! あるのならば言ってみよ! 出してみよ!」
焦燥を隠しもせずに老臣が叫ぶ。じっとイェルクを見詰める聴衆の前に、アシュレイが一歩歩み出る。
「証拠など要らぬ。何故なら――決めるのはこの者達であるからだ」
使用人や衛兵たちは、恐れながらも目の前に立つ異形の男を力強い眼差しで見上げた。
「……スティナ様は素晴らしい方でした。お倒れになった時も気丈に振る舞われ、それどころか看病する私のことを心配して下さった……。そんな御方になんて……なんて惨い……」
涙ぐみ肩を震わせながら、メイドのマリタが語り始めると、周囲から「そうだ!」「人殺し!」「奸臣め!」などの野次が飛び始める。
近臣たちにこの状況を収束させるだけの力はなかった。力なく頽れたユリウス王を今更奮い立たせることはできない。そればかりか、先程王を切り捨てる発言をしたばかりだ。
逃げようとした彼らを王国騎士団が取り囲み、ヴァルテリがその行く手に剣を振り下ろす。鼻先をかすめた男が、悲鳴を上げながらその場に座り込んだ。
「スティナ嬢、先王、王妃……我が忠誠を誓いし王族に手を掛けた罪――その血で注いでもらおうか」
がたがたと震え涙を浮かべて、命乞いをし始める元貴族達には、もうプライドなど微塵もないようだった。
「……王よ、如何する」
「王」と呼び掛けたアシュレイの視線が自分に向けられていることに心臓がどくんと跳ねる。その声に、イェルク、ヴァルテリら王国騎士団、使用人や衛兵達は、何かを期待するように、希望するように、僕を見詰めた。
ああ、僕は、王になったのだ、とそう思った。目の前で蹲り、恥辱にまみれ涙を流すかつての王である兄を視線の端に捉えながら、深呼吸して一歩前に歩み出る。
「先王ユリウス、および大臣並びに近臣に対し王として申し渡します。財産、権利一切を放棄すること。また国外退去処分とし、本日をもって今後一切の入国を禁じます」
「そ……そんな……」
老臣が力なく膝をついて仰ぎ見る。兄が顔を上げ、こちらを見ている。周囲はざわざわと騒ぎ始める。
「その処分、軽過ぎはしまいか? 父王、王妃、貴方の母君を闇に葬り、更に長期に渡って我が身可愛さに民草を苦しめた者達への罰が、その命以外にあって良いのか」
アシュレイの言葉に、聴衆も疑問を抱いたのだろう。不満の声が漏れ聞こえてくる。
「貴方は王だ。命をもって償えと、死刑という厳罰を与えることなど容易。先王ユリウスは、都合が悪いというだけで全ての命を奪ってきたというのに」
「……同意です。国政においてだけならまだしも、この者達は王族殺しの大罪人なのです。生かしておく理由がありません」
ヴァルテリが剣の切先を近臣たちに向ける。青白く刀身が光り、悲鳴を上げて全員が地に伏せ、祈るように手を組んだ。人々の憎しみと怒りの視線が注がれる。
「僕は、そうは思わない」
その言葉に、聴衆が静まり返る。一瞬、アシュレイが笑ったように見えた。
「今まで与えられるだけ与えられ肥えてきた者達が、食べる物も住む家も失い、全てを奪われ野に放たれて、果たして生きていくことができるだろうか。今まで見殺しにしてきた者達の怨恨を想えば、死をもって終わらせるのではなく、永劫に続く地獄の中生かされる方がより厳罰であると思う」
想像したのだろう。食べる物もなく、寒空の下、寂れた街の片隅で物乞いをして過ごす日々を。慟哭し、震えながら「神よ」と呟き、子供のようにいやいやをしながら暴れ、それぞれが今までしてきた悪行を悔いたことだろう。
「……化物……いや悪魔だ」
声の方に振り返ると、嘲笑を浮かべながら、兄が光の無い虚ろな眼で僕を見上げていた。割って入ろうとしたイェルクをアシュレイが止める。
「……お前はやはり忌子だ。お前が生まれなければ、お前の母親は死なずに済んだ。父上も、母上も……誰も犠牲にならずに済んだのだ。……分かってるんだろう、お前が、全ての元凶だってことを」
身体が芯まで冷えていくようだった。突き付けられるまで、考えないようにしていた。
母上が殺されそうになったのは、僕を身籠ったことが原因だった。その後僕が生まれ、母上は殺された。王が殺されたのは、母上を殺害したことを知ったためだし、王妃は王亡き後台頭したことが要因だ。僕自身はイェルクが何らかの対策を講じてくれたことと、容姿と常軌を逸した行動が目に付いて疎まれたことで生き永らえている。
――お前が、全ての元凶――
否定するだけの何かが、無い。
それでも、僕は犠牲の上に王になった。その意味をこれから示していかなければならない。
「三人の命を奪ったのは、僕です」
「……馬鹿め、お前は本当に風狂なのか? そんなことを言ったら、一緒に国外追放だ」
「それは……できません」
冷たい眼で射るように見詰める兄を見下ろしながら、胸を締め付ける痛みに耐える。
「僕が生まれたことで三人の命が奪われました。そして、幼い貴方を孤独な王にした。それ故、国が奸臣の玩具と成り果て、衰退することになった……そう言われれば、そうだとしか言えません」
静まり返る広間に、兄の笑い声が反響する。腹の底から可笑しいと言わんばかりに大口を開けて嘲笑するその姿を見て、目を閉じる。覚悟を決めて、瞳を開く。冷えた心臓に、火が灯るのを感じた。
「ならば、僕はその罪を背負い、王として国のために生き、一生を終えることを選びます。誰も苦しまない、平和で幸福に溢れた国にするために」
兄の目に、僕はどのように映ったのだろう。目を見開き、畏怖に近い表情で微かに震えて目を逸らした。それきり、言葉も発することが無かった。
「ニコデムス王、万歳!」
突然アシュレイが叫んだ。胸に手を当てて、金色の瞳を輝かせながら。それにつられて、イェルクも騎士団も、使用人達も、みなその言葉を叫んだ。希望と期待に胸を膨らませながら、幸せを祈るように。
僕は、王になった。それは、アシュレイと出会って翌日のことだった。
自らの命以外何も失うものが無かった十五歳の少年は、王という大きな業を背負う準備の無いまま、玉座に座る――。希望に満ち溢れた人々の想いをこの身に受けて、息苦しさを覚え、目が眩んだ。
ふらついた僕を大きな身体が支えた。見上げると、アシュレイが何か面白がるように僕を見下ろしていた。
「お前のつくる国が、楽しみだ」
包み込むような温かいその体温を布越しに感じ、不意に笑みが零れた。僕は独りじゃない。そう思ったから。
「君と、つくる国だ」
アシュレイの金色の美しい虹彩が収縮する。そして、目を細めると、微かに口元を緩めた。その顔があまりに優しく、美しかったせいだろう。鼓動が早まり、顔が熱くなる。
「……君をアシュ、と呼んでもいい? 僕の事はニコと」
「それでは王と臣下とは思えないが……しかし、お前が私を同志と考えているのなら……悪くはない」
騎士団が兄と奸臣たちを連れて行く。引き摺られるように連れて行かれる者達の中で、自分の足で歩いて広間を出て行く兄の後ろ姿を見詰めた。姿が見えなくなる一瞬、振り返った彼の眼に怨念が宿っているのを見逃さなかった。
「ニコデムス様――いえ、ニコデムス王」
笑みを湛えて、イェルクが近付いてくる。彼の慈愛に満ちた微笑みに、波立つ感情が穏やかになるのを感じる。
「王なんて呼ばなくていいよ。いつも通りで。そうでないと息苦しくて仕方ない」
その言葉に苦笑した後、急に真剣な表情になる。
「では、ニコデムス様。これからさっそくではございますが、戴冠式の準備と国政の刷新に取り掛かりましょう。戴冠式は一先ず簡易的に執り行い、すぐに先の者達の処分を明確に文書にしたためて国内に宣布する必要があります。また同時に新しい大臣の任命と――」
「待て、その前に食だ。私は昼もろくに食べずにいたのだ。それ相応の量の果実を用意してもらわねば」
真顔で言い放つアシュレイに、イェルクが小言を言おうとした瞬間、僕の腹の虫が大きな音で鳴いて固まる。その時ようやく朝から何も食べていなかったことに気付いた。
「……ごめん、イェルク。僕も夕食を先にしないと駄目そうだ」
また呆れられると思ったが、イェルクは笑いながら「分かりました」と言って、メイドや使用人達を退散させ、衛兵達に城内で良からぬ動きが無いよう見張るように指示を出し、そして給仕長に兄や近臣に出す予定だった料理の配膳を頼んだ。
「気の合う王で良かった」
アシュレイがぼそりとそういったのが可笑しくて、声を上げて笑った。今まで生きてきて、初めて心から笑えた瞬間だった。
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