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第2章 集結、それぞれの想い 1

 頬を撫でるような柔らかな風を感じながら目が覚めた。窓を開けた記憶はなかったけど、と思いながら身体を起こすと、枕元に黒い人影が立っていて、驚きのあまり声が出そうになった。 「ア、アシュ……びっくりしたよ……」  仄明るい窓際でカーテンが風で揺らめいている。もしかして、そこから入ってきたのだろうか。部屋に鍵が掛かっていたからだろう。部屋の鍵は僕とイェルクしか持っていない。イェルクに合鍵をアシュレイにも渡すように頼まなければ。 「目覚めはどうだ」 「良いよ。……あんな騒動があったのに、無神経だよね」  心身共に疲れきっていたせいもあるが、兄が国外追放となる日の朝にこれほど晴れやかな気分であるのは、自分でも嫌になる。 「お前の兄を乗せた馬車がもうすぐ門の前に着く」 「え……?」  昨日の話では昼中だということになっていた。日が昇って間もないというのに、僕の知るところにないまま永遠の別れとなるというのか。 「伝えない方がいいというイェルクの判断だ。お前が心を痛めるのを分かっているからだろう」  ベッドから飛び降り寝巻きのままケープを羽織ってドアに駆け寄ろうとして、アシュレイが腕を掴んだ。振り返り、どうしてと問うような眼差しを送る。が、掴まれた腕を引っ張られ、開け放たれた窓のところまで連れて行かれる。 「今から馬を走らせたところで間に合わん」  と、そう言うと膝の裏と背中に腕を回し、ふわりと羽根のように軽々と持ち上げられてしまう。動転する僕を尻目に飛んで窓の縁に上った。 「高いところは平気か」 「う、うん」  真下に見える庭園を見て、アシュレイの服を強く握る。高いところから見る景色は平気だが、落ちるかもしれないと考えると恐ろしかった。 「掴まっていろ」  ばさっと大きな布か何かが広がるような音がアシュレイの背中から聞こえた。その瞬間、アシュレイが何の躊躇もなく窓から飛び降りた。  覚悟して目を固く閉じて衝撃に備えたが、何も起こらない。ただ、近くで大きな羽音が聞こえる。  恐る恐る目を開けて見えたのは、アシュレイの顔とその向こうに広がる青空、そして彼の背中で大きな黒い翼が羽ばたいている様だった。 「飛んでる……」  真下には城下に広がる家屋の屋根が見えた。人々も家も随分小さい。こんな景色を毎日見ていたら、人間なんてちっぽけなもののように思えても仕方ないだろう。 「もうすぐ城壁だ」  賊の侵入を阻むために数百年前に建てられた城と街を囲む高い壁、そしてそこに昼間は常時開放されている門が見える。早朝だと言うのに既に開門していた。もう、兄が到着している。  一瞬焦りを覚えたが、しかしアシュレイは驚くほど速く飛行し、すぐに壁の前に着いた。  降り立つと護送していた兵士たちがどよめいたが――恐らくアシュレイの姿に驚いたのだろう――、構わず兵に門の外に連れて行かれている兄の後ろ姿を見つけ、急いで駆け寄った。 「兄様!」  呼びかけると、光のない目でこちらを振り返った。一夜のうちにすっかりやつれてしまい、かつての傲岸不遜な面貌は跡形もなく、生気のない顔で虚ろな双眸が空を彷徨っている有様だった。 「兄様、お別れを言いに来ました」  その言葉を聞くと、瞳が僕を捉えた。そして認識すると嘲るように鼻で笑い、踵を返して自ら門の方に歩いて行く。  目が合った瞬間、光のない目の奥で、どす黒い炎がちらと揺らめいたように見えた。絶望の世界で、兄にとって僕への憎悪こそが、今を生きるための糧になるかもしれない。  彼が生きてくれるなら、それならば、僕は――。 「兄様、どうか僕を憎んでください。そして……強く生きてください」 「……お前は狡い」  足を止め、振り返ることもなくそう呟いた。彼の身体が微かに震える。 「お前は何でも持っているくせに、私が唯一持っていた王の冠を奪った」  何でも持っているなんて思ったことはなかった。兄を羨ましく思うことはあっても、兄からそんな風に言われるようなものなど何もない。  しかし、幼少から王として生きることを強いられ大人達に囲まれて友と呼べるものもいない兄にとって、城内にしか居られないとは言え、自由に生活する弟が羨ましく思えたのかもしれない。 「私はお前を弟だと思ったことはない。ただの疫病神だ。だから、憎むどころかお前を屠ることだけを考えている」  くるりと踵を返して真っ直ぐに近づいてくる。慌てて兵士が兄の両腕を後ろに引っ張って止めた。 「ニコデムス、今に見ていろ! 絶望を与えてやる! お前が私に跪き、懺悔と命乞いの言葉を泣き叫ぶその時まで、私は地べたを這い蹲り泥に塗れても、生きてみせるッ! 必ず!」  目を見開き醜く顔を歪ませ、口の端を吊り上がらせて叫んだ。目の奥に黒い炎がちろちろと燃え広がり、闇より深い暗黒が鈍い光を放っていた。  兵士に引き摺られて手錠と足枷をされたまま、門の外で待っていた国境まで向かう荷馬車に乗せられる。他に大臣たちの荷馬車も見られるが、共謀を防ぐため、それぞれ別の場所に運ばれることになっている。  地鳴りのような音が頭上から響いて、門扉が降ろされ、僕らの間を隔てた。憎悪を込めて僕を睨めつける兄の姿が、最後に見た彼の姿だった。 「会わない方がいいとのイェルクの判断は正しかったか?」  呆然と立ち尽くす僕の横にアシュレイが立つ。寄り添うでもなく、慰めるでもなく、だからといって全く気遣わないわけでもなく、その距離感が心地良かった。 「いや……兄が、生きると言ってくれたから、それだけで……会えて良かった」  生きていれば、きっと素晴らしい日がやってくる。そう信じている。僕らが出会うことは、もう無いのだとしても。 「帰るぞ。今頃イェルクが大騒ぎしているかもしれん」  容易に想像できる。大事になる前に城に引き返さなければ。 「みんな、お疲れ様。僕は一足先に帰るけれど、このことはイェルクには秘密にしておいて。知られたらすごく怒られるから」 「王様を怒る人に秘密にするのは恐ろしいですが、分かりました」  兵士の一人がそんなことを言うので、皆どっと笑いが起こった。昨日までの事が嘘のようだ。  アシュレイに抱えられて飛び立ち、兵士達に手を振った。あっと言う間に見えなくなる。 「お前の判断は正しかったと思うか」  唐突に質問を投げかけられて、きょとんとしてしまう。 「重臣達はもとより、王を処刑せずに国外に逃がしたことだ。他国に利用される可能性があることを考えなかったわけではないだろう。特に王はお前に私怨を抱いているのだ。自ら取り入るかもしれん」  アシュレイの言うことはもっともだった。当然その可能性は考えたけれど、それでも処刑することはできなかった。 「犠牲を出さずに王冠を戴くこと……それが僕の望むものだったから。ただのわがままに国を巻き込んでしまったね」  ふっ、と鼻にかかるような吐息が漏れる。アシュレイの顔を見上げると、微々たる変化しかないが、笑っているように見えた。 「善良なわがままだな。私は、嫌いじゃない」 「君がそう言ってくれるのなら、少し気が楽になるよ」  微笑みを返すと、アシュレイは急に真顔になって視線を正面に見える城に移した。何か、気に障るようなことを言っただろうか。  変な空気になってしまい、黙ったまま飛び出してきた僕の部屋に辿り着いた。  部屋に入って下に降ろしてもらったところで勢いよく扉が開き、酷く取り乱したイェルクが走り込んできた。 「ニコデムス様、一体どちらにいらっしゃったのです!」  アシュレイと顔を見合わせて苦笑する。やっぱり。 「天気が良かったから、アシュと空の散歩を楽しんできたんだ」 「空の、散歩?」  気付くとアシュレイの羽根は跡形もなく消えていた。出し入れが出来るとは便利な能力だ。しかし、吸血鬼が空を飛ぶというのは聞いたことがない。アシュレイにだけ備わったものなのだろうか。  イェルクは深い溜息を吐いて額に手を当てて項垂れた。またあまり寝ていないのか、目の下に隈ができている。 「本日はとても忙しいのですよ? 午後から略式の戴冠式を執り行いますし、国政に関しても様々な取り決めをして頂く必要があるのです。遊んでいる場合では――」 「ごめん、僕はもう王になったんだから自覚を持たないとね。今までみたいに遊んでいるわけにはいかない」  叱責の途中で謝られ何の言葉も継げなくなってしまい、ただ溜息を吐いて誤魔化すように笑う。 「まずは本日のお召し物にお着替えください。その後朝食を。難しい話は朝食の際に申し上げます」 「分かった。ありがとう」  イェルクはメイドを呼び、マリタとアイリが入ってくる。今日の戴冠式用に昨夜嫌という程試着して決めた服を持っていた。  寝巻きのボタンを外したところで、アシュレイがドアの方に向かい、 「私は外にいる」  と言って部屋から出て行ってしまう。男同士だし、マリタとアイリもいるのだから特に気にしないのだが。  脱いだ服をイェルクに渡して、マリタとアイリに服を着るのを手伝ってもらう。普段よりもきっちりした余裕のない服なので、袖を通すのも一苦労だ。  全身白を基調とした上着、膝丈のズボン、タイツで、華美に見えない程度に袖や襟、ボタンの周りに細かい金糸の刺繍が入ったものだ。戴冠式の時にはその上に代々受け継がれている、王のみに許された朱色のマントを身に纏う。今は服を汚さないように紺のローブを羽織った。 「やっぱり重いし動きにくいね……」 「礼服とはそういうものです」  スカーフを整えながら、イェルクが満足気に頷く。 「よく似合っていますよ。王の風格が感じられます」 「ありがとう。苦労した甲斐があったよ」  昨夜の事を思い出して苦笑する。イェルクは何のことか分からないといった様子だ。  昨夜は結局イェルクが良しとした着合わせに出会うまで何時間も着せ替えられたのだ。ここで似合わないと言われても困る。  部屋を出るとアシュレイは壁に寄り掛かって外を眺めていた。その横顔が寂し気に見えて声を掛けるのを躊躇する。しかし、すぐにこちらに気付いて僕の正面に立つ。 「ごめん、待たせたね」  眉ひとつ動かすこともなく、ただ真っ直ぐな瞳に見入られて動揺してしまう。 「陶器人形のようだな」  そう呟いた彼を見上げながら、それは褒めているのか、馬子にも衣装という意味合いなのかと考えてしまう。 「朝食を済ませようか」  真意を聞くのも恐ろしいので、彼の服の袖を促すようにちょっと引っ張って歩き出す。  広間に着くと、昨夜と同じ上座に促されるようにして座った。何だかまだ落ち着かない。  給仕係が甘いパンとオムレツとハムを並べ、紅茶をカップに注ぐ。朝は今までと同じでと頼んでおいたから、ちょうどいい量だ。  斜め向かいにアシュレイが座り、目の前に古ぼけたテーブルクロスが敷かれたかと思うと、皮付きのオレンジと葡萄がたんまりと置かれた。更にかなり大きなナプキンを手渡されている。昨晩の食事の際にテーブル周りが汚れたせいだろう。  ナプキンを首に巻いた後、やはり皮ごとオレンジに食らいつく。その豪快な食べっぷりに目を奪われていると、自分の食事を忘れてしまうので、慌ててオムレツを口に運んだ。  イェルクはアシュレイの食べ方に顔をしかめながら紙束を手に広間に入ってきて、僕の斜め後ろに立った。 「ご報告致します。現在過剰に徴発していた兵士と物資を各村に返還する作業を進めています。二、三日中には完了する見通しです。また、国境付近へ送った支援部隊が一両日中に到着の予定です。到着し次第病気の治療が始められるかと」 「うん、問題なく進んでいるようでよかった」  良い報告ばかりで安心しながら、その後に続いた各国へ送るユリウス王の退位と僕が即位することを伝える書状の文面を読み上げられる。代筆を頼んだので、誤った内容になっていないかを確認したいようだが、全く同じ内容を何度も繰り返されてうんざりした。  そうしているうちに、あっと言う間にアシュレイは果物を食べ尽くしていて、口に着いた果汁をナプキンで拭い取っている。  イェルクの報告が終わる前に、僕も食べ終わってしまった。 「最後になりますが――」  やっとか、と気付かれないように溜息を吐いてから、紅茶を飲む。 「バルタジとミヒャーレで起こっている戦争についてですが、やはりバルタジが登用している吸血鬼のせいか全く勢いが衰えず、ミヒャーレが降伏するのも時間の問題かと」  ミヒャーレは我がアレクシルと国境を接する国だ。ミヒャーレが降伏、占領されれば、次の攻撃の矛先は我が国となるだろう。 「ミヒャーレに援軍を送ったところで、僕等だけでは今更何の加勢にもならないだろうね……」  動くのが遅過ぎた。まだ戦力が拮抗している時であれば、ミヒャーレへの加担を表明し和平交渉に入ることもできただろう。大臣たちはこ文字(ルビ)の状況を知っておきながら、外交をまともに行わず、徴発ばかりを重ねて戦争への恐怖に震えていただけだったのだ。 「バルタジの吸血鬼の情報なのですが――」  重い空気が流れた後、イェルクが紙束を見つめながら口火を切った。 「『聖母の遺児(マザーズ・チャイルド)』……と名乗る三人組の男だそうです」 「『聖母の遺児』だと……!」  静かに聞いているだけだったアシュレイが突然ガタッと音を立てながら立ち上がった。その顔は引き攣っていたが、恐れではなく待ち望んでいたことがようやく訪れたかのように微かに悦びを覗かせていた。 「『聖母(マザー)』が関わっているとなれば……あいつが来るのも時間の問題か……」 「何の話……?」  ぶつぶつと呟き思案しているアシュレイを見上げる。目が合うと、彼はまた無表情に戻った。 「お前に、この国にとって素晴らしい味方がやって来るかもしれん」 「味方?」  『聖母の遺児(マザーズ・チャイルド)』と『素晴らしい味方』。何のことかさっぱり分からない。 「アリ――千年の時を生きる最強の魔女だ」  歴史に名を連ねるベルンハルト皇帝と七賢人、漆黒の幸福(フェリクス)。そして彼らと共に戦った魔女――アリ。  しかし、帝国成立以降、歴史の表舞台に一度も立つことが無かった。あれから五百年もの歳月が過ぎたが、彼女は生きているというのか。そして、僕の味方になるかもしれない、という。  かつて漆黒の幸福(フェリクス)と呼ばれたアシュレイが現れ、史上最強と謳われた伝説の魔女アリが現れるのだとしたら――歴史はここから、大きく動き出すかもしれない。  どくんどくんと高鳴る鼓動を感じながら、僕は膝に置いた震える拳を強く握った。 「我が軍とバルタジとの兵力差は歴然。アシュレイが参戦したとしても、向こうは吸血鬼を三人抱えています。しかしその中で対攻城兵器として戦果を残したというアリが加われば、持ち堪えることができるかもしれません」  振り返るとイェルクが見えた一筋の希望に目を輝かせていた。確かに今の戦力ではバルタジの五分の一ほどだ。戦争に対する装備や兵器の準備が出来ていない分、更に不利な状況だろう。しかし、伝説上の存在と思われた魔女が我が国に組するとなれば、絶望的な現状を打破できるかもしれない。 「持ち堪える、だと? 馬鹿を言うな」  明るい雰囲気を打ち捨てるようなアシュレイの鋭い言葉にイェルクの顔が強張る。 「必ず勝利する」  金の眼が好戦的な光を放つ。彼の吸血鬼としての血が騒ぐとでも言うように。 「しかしこの戦力差をどうするつもりだ」 「どういう計算をしているのか知らんが、私がその辺りの吸血鬼三人程度と同等とは笑わせる。それにアリが先の戦いで防衛に徹したのも争い事を好まぬだけのこと。本来はその程度の魔女ではない」  五百年前の戦争がどれほどのものであったかを知ることは容易ではない。歴史文書の多くは撒布し、それら史書を元にした伝記的小説もでたらめな説話や講談を含んでいて正確なものではない。ベルンハルト皇帝と七賢人は国を統治した者達であるため疑うべくもないが、漆黒の幸福(フェリクス)、魔女アリについては明確な記載が無く、多くは口伝をまとめたものだった。それゆえに英雄譚を輝かせるための伝説に過ぎないと存在自体に懐疑的な意見が多くあったのも事実だ。  アシュレイやアリがどれほどの力を持った存在なのかを計るには、僕やイェルクの知識では無理があるだろう。 「でもまだ、楽観はできない。アリが助けてくれる保証はないし、君や彼女の力を当てにして指を咥えて待っているなんてことは出来ない。僕等は僕等で敵を迎え撃つための作戦が必要だ」  まずはヴァルテリが探してくれている精鋭の傭兵集団の存在が頼りだ。我が国の騎士団は戦争経験者が少ない。数年前の賊討伐に参加した者もそれほど多くはないだろう。そう考えれば、著しく変わる戦況の中で指揮する隊長クラスには、経験者を据えることになり、そうすると戦況に応じて柔軟に動ける手練れの傭兵団の存在は大きい。  するとアシュレイが無言でドアの方に向かい、使用人が開けてくれる。 「どこに行くの?」 「騎士団の様子を見てくる。使えるかどうか品定めにな」  そう言って外套を翻し出て行ってしまう。食事も終わったことだし、僕も僕の仕事をしなければ。 「色々と雑事が立て込んでいるんだっけ?」  立ち上がりざまにイェルクを振り返ると、微笑みながら手に持っていた書類の一部を差し出す。 「ええ、法整備が急務ですから。今週中に草案を出して頂いて、今月中には制定に漕ぎつけたいところです」  書類を苦笑しながら受け取り、目を通しながら食堂を出て執務室に向かって歩き出す。 「書き出しているのはニコデムス様のご意見とアシュレイが夜中調査して見つけた問題点です。現在新しい大臣のヤーコブ様にも目を通してもらっています」  あの量の資料を睡眠が必要ないアシュレイは夜通し調査していたのか。きっと大変な作業だったと思うのに、そんなこと一言も言わなかった。 「ヤーコブの家系は先代の王の下で排されていた唯一信頼できる貴族だ。父王の時代には内政において貢献していたようだし、彼にはその分野での活躍を期待しているよ」 「そうですね」  貴族の階級に胡坐を掻かず、幼き頃から勉学に勤しんでいたというヤーコブは博識で知られている。彼の配下の政務官の選出も一任していて、名前の挙がっている人物達は皆父上の時代に活躍した名家の者達のようだった。堅実な人柄が現れている。 「外交には特にあらゆる問題が山積している。鎖国でもしていたのかと言うくらい、かつての同盟国であるカーロとの親交さえ全くと言ってない。門扉を閉ざして震えているだけでは狼に家ごと吹き飛ばされてしまうだけなのに」  この状態ではミヒャーレを除き、国境を接する唯一の国であるカーロとの同盟関係が継続しているとも言い難い。早期に使者を送り、同盟関係を強固なものとしておく必要がある。他の三国とも何らかの協力関係を築いておくのが、対バルタジを想定した場合、必要不可欠となるだろう。 「まだ間に合います。ミヒャーレが降伏してもしばらくはミヒャーレ内の統制とバルタジ本国の体制を整える必要がありますから。それまでにカーロと同盟関係の継続、もしもの時の援軍の要請を取り付けられれば、後顧の憂いもなく挑めるというものです」  今のカーロの王は二十半ばだと聞いている。国外貿易を発展させ、今では国の収益の半分を担うほどだという。  そのせいか国境を接する各国と同盟関係を結んでいるものの、常に中立の立場を取っており、どこかと特別親交が厚いということもないようだ。バルタジと他国との戦争に対しても静観しているようで、今のままではあまり協力は望めないかもしれない。  しかし、我々アレクシルが征服されたとなれば、次はカーロだ。そこに揺さぶりを掛けるしかない。  執務室に入ると既に机の上には書類が山積みになっていた。手に持っている書類の数倍もあって、気が遠くなるようだった。しかし、事態は一刻を争う。国内外のあらゆる問題を早期に解決し、来るバルタジとの戦争に備えなければ。 「さ、戴冠式まで僅かだけど仕事を始めよう」  僕が机の前に座すと、イェルクが引き締まった表情で力強く頷いた。

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