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第3章 決戦 2

 昼食を取り、執務室で普段着に着替えたオルジシュカとヴァルテリに作戦の説明を終えると、二人は真剣な表情で地図を見詰めていた。 「正しく背水の陣ってやつだね。こんな大胆な、馬鹿げた作戦を立てる酔狂な奴に、今まで出会ったことはない」 「オルジ、王に向かって何という言い方を――」  咎めようとしたヴァルテリはオルジシュカの狂気すら感じる嬉々とした表情に言葉を飲み込んだ。この難しい、失敗の許されない、失敗すれば全てを失う作戦に、彼女は胸躍らせている。戦好きというより、戦闘狂と言う方が正しいだろうと思えた。 「兵の配分や選別をあんたら騎士団と共に詳しく練る必要があるね。騎士団のどれくらいを別働隊に割くのか、残りの奴らのどれくらいをあたし達に任せてくれるのか」  ちら、とヴァルテリの様子を窺う。前線の総指揮はオルジシュカ、後方を叩く別働隊の指揮はヴァルテリが担うことになる。オルジシュカには騎士団の一部を紅獅子団の傘下に置いてもらわなくてはならない。 「別働隊には馬術に長けた兵を優先的に選ぶことになるだろうから、熟慮が必要だ。更に経験不足の兵がほとんどである我が騎士団は、どうしても紅獅子団に負担を強いることになってしまう。そのことについても、合同訓練を経て少しでも解決したい」  今頃騎士団と紅獅子団は訓練を開始している頃だろう。アシュレイと各隊長が指示を出しているのではないだろうか。 「騎士団とあたしらの事は戦までにどうにかするけど、問題は胡散臭さしかないあんたらの秘密兵器達がどれだけやるかだよ」  秘密兵器達、とは吸血鬼の三人、アシュレイ、アリ、ロビンのことだろう。前線で奮闘することになる紅獅子団にとって、自分達と騎士団と共に戦うことになる者達にどれくらい敵を預けて良いか知っておくのは、著しく変わる戦況の中で命の危険を回避するのに最も重要な事だ。 「アリは攻城兵器を無効化する防御壁を城に巡らすので手一杯だし、戦闘には参加しない。アシュレイは僕も実際のところよく分からないけど、一人で吸血鬼三人を相手に戦うつもりでいるようだ。ロビンは今頃ソニャさんと訓練中だから、その様子から実力は測れると思う」 「アシュレイには吸血鬼相手に戦ってもらうとして、そのロビンって奴が多少使えるかどうかであたしらの戦い方も変わるな。ちょいと覗いてくるか」  オルジシュカが立ち上がったのに、僕とヴァルテリが続き執務室を出た。  城の敷地内にある兵舎には、あまり出向いたことが無い。王になる前は全く用が無かったのとクーデターを恐れていたからか騎士団に近付くのを兄が制限していたからだ。王になってからはほとんど自室と執務室の往復で、兵の事はヴァルテリとアシュレイに任せていた。  見慣れない建物の向こう側に広い平地が広がっている。そこで両兵士が剣や槍を振るって手合せをしているのが見えた。  そして他兵士と距離を取って豪快に戦っている二人組をアシュレイとノエが眺めている。二人の側に駆け寄ると、その凄さがびりびりと肌に伝わってきて息を呑んだ。  全身を外套で覆いおよそ人では持つだけで苦労しそうな二メートルを超す大斧をロビンが、ソニャに全力で、それ以上は無理だという速度で横に振るった。が、ソニャはダガーを持ったまま、柔軟な身体を両足を開いて地面にぴたりとつけて斧を避けると、遠心力ですぐに体勢を整えられず隙の出来た一瞬、一気に間合いを詰めソニャのダガーが喉元に突き付けられる。 「間合いに入られてんじゃねえぞ! ロビン、お前今ので三回死んでるからな!」  ノエが煽るように叫ぶ。しかしどう考えても相手が悪い。ソニャの俊敏さは常人を遥かに超えている。対応できるとすれば吸血鬼以外には居ないだろう。ロビンも吸血鬼だが、武器を握ったことも無い彼では明らかに不利だ。  再び距離を取ったソニャが息も切らさずダガーを構える。ロビンが大きく息を吐き出し、戦斧を握り直す。  そして次は片手で斧を真上から振り下ろした。それをソニャは簡単に横に飛び避ける。斧は地面に深く突き刺さり、それを抜いて次の攻撃に移る間に攻撃を受けると思えた。  その隙にソニャが距離を詰めた瞬間、ロビンの空いていた手がソニャのダガーを持つ手を掴んだ。そして足で斧の柄を蹴り上げ抜き取ると、すぐさま攻撃態勢に入る。ソニャの負けだと思った、が、彼女は掴まれた腕を起点に身体を捻り、後ろ蹴りをロビンの腹に見舞った。  倒れたロビンにすかさず馬乗りになって首にダガーを振り下ろそうとした。しかし彼女は動きを止めた。真上からロビンの顔を覗き込んだ体勢のまま。 「……すまない」  ロビンの低い空気が抜けるような声に、目を丸くしたままソニャが退く。フードを被り直し、身体を起こしたロビンはソニャの右腕を擦った。 「強く握り過ぎた」  腕を見ると赤く手の形の痣が出来ていたが、ソニャはそれを見て「何でもない」と言うように首を振った。そして今度はロビンの腹に手を置くと、具合を窺うように首を傾げる。 「俺は平気だ。傷も痛みもすぐ治る便利な身体だから」  その答えに不思議そうな顔をして、顔があるはずの暗闇を見詰めた。 「ロビンに触るな!」  後ろから唐突に放たれた怒声に振り返る。いつから居たのだろう。アリが怒りに身体を震わせて立っていた。 「訓練だ、アリ。吸血鬼に対抗する術を持たなければならないんだ」  その言葉に怒りの中に悲しみが入り混じったような表情になってロビンを睨み付けると、そのまま城の方へ飛んでいってしまった。 「なんだありゃ」  ノエの驚きとも呆れとも取れる声に混じってロビンの溜息が聞こえる。 「ソニャ、気にしないで続けよう」  ロビンの言葉に無表情のまま踵を返すと、真っ直ぐにオルジシュカの元に走ってきて何かハンドサインのようなもので話し掛けている。呆然と立ち竦むロビンに、オルジシュカが声を上げて笑った。 「あの子はあんたの伴侶だろう、放っておくなってさ。あたしもあんたの力を見れたから充分だし、今日はこれくらいにして、さっさと追い掛けな」  アリが去っていった方を見て、斧を片手に「すまない」と肩を落として走り去っていった。それを見送って、ノエがぼそりと「あの女の子可愛かったな」と言ったので、僕とヴァルテリが同時に噴き出した。 「アリは男だよ、ノエ。それに彼は千年生きている吸血鬼の魔女だ」 「げ、あいつ男かよ! ……の上に年寄とか、吸血鬼ってのはとんでもねえな」  げんなりした顔で頭を掻くノエを見てもう一度笑ってしまった。確かに彼を初めて見て伝説の魔女アリだと認識できる者は何処にもいないだろう。 「さて、他の奴らも見ていこうか、ヴァルテリ」  そう言ってオルジシュカとヴァルテリは他の兵士の指導をしているモーリスのところへ向かって行った。残されたノエは腰に提げていた双剣を抜き、ソニャにどうだというように見せる。それに頷き、距離を取ってダガーを構えた。 「どうする、まだ仕事があるだろう」 「ノエの戦っているところ、興味あるよ。あとオルジとモーリスさんも」  ノエの剣は片方が短くもう片方が長めのものだった。短い方の剣を上段、長い方の剣を下段に構えている。 「来いよ、それともこっちから行こうか」  余裕綽々の様子で短い方の剣を片手でくるくると回してみせる。ソニャが短剣を構えたまま動かないのを見て肩を竦め、そしてにやっと笑うと走り出し、長い方の剣を振り下ろした。  その一撃をダガーで受け止めた瞬間、ソニャの腹目掛けてもう片方の短剣を突き出す。勢いを弱める素振りも見えず、最悪の結果を予想したが、ソニャはぎりぎりでその一撃を身体を反らして避け、ソニャの剣を押し返すと詰められた間合いを後ろに宙返りして距離を取った。  息を吐く間も無いほどのあまりに早い攻防に、肝が冷える。このまま二人を見ていたら心臓に悪い。  ちらとオルジシュカとヴァルテリが向かった方に目を遣ると、十数人の兵士が同時に吹き飛ばされるように倒れた。 「何をやっているんだ、腑抜けめッ!」  男の大きな声に驚いてそちらを見ると、槍を構え仁王立ちしたモーリスが鬼の形相で兵士達を怒鳴りつけている。その隣ではオルジシュカが兵士と同じ訓練用の剣で容赦なく騎士の一人の剣を弾き落としていた。 「握りが甘い! この程度の攻撃であんたらの命と同等に大事な騎士の誇りを土で汚してんじゃないよ! 戦場で落としたら、その先には死しかないんだからね!」  二人の物凄い気魄に苦笑いしながらアシュレイを見上げる。 「後は君に任せて帰った方が良さそうだ。ここに居たら僕まで剣の手ほどきを受けそうで恐ろしいよ」 「それがいい」  アシュレイが一瞬笑った気がしたが、気のせいだろうか。執務室に戻ったと言っておいて、とアシュレイに伝えて逃げるようにその場を後にした。  執務室に向かう階段を上ったところで、目の前をロビンが横切っていく。その方にはアリとロビンが使っている客室があるはずだ。何となく気になって後を追い掛けてみると、部屋の前でロビンが肩を落として立ち竦んでいる。 「どうしたの」  近付いて声を掛けると、僕の顔を見て溜息を吐いた。フードの奥の淡い緑の双眸が揺らいでいる。 「締め出されてしまった。今までこんな風に怒ったことは無いんだ。何が気に入らなかったのか……」  持っていた斧を廊下の壁に立て掛け、背を付けて寄りかかった。先程アリが叫んでいた言葉を思い出す。「僕のロビンに触るな」。 「……多分ソニャが君に触れたのが、恐らく君がソニャに触れたことも、嫌だったんじゃないかな。更に自分を無視して訓練を続けようとしただろう。その気持ちを分かってもらえなかったことが、一番傷付いたんじゃないかな」  もしアシュレイが他の誰かと仲良くしているところを見かけたら、あまり良い気持ちはしないと思ったから。と、そこでどうしてアシュレイが出てくるのか、自分でもよく分からないが。 「それは……どうだろうか、俺も似たような思いをしても怒ることは無い」 「えっと、それは……」  いつだろう、と思い返すが、そういえば初めて会った時僕にキスをしようとしたりしたこともあった。最近ではよくアシュレイに絡んでいる。他の者達とも、特に隔たり無く自由に話をしている。その姿を少し離れて見ているロビンが、いつも優しい眼をしていたから、勝手に悪い感情は抱いていないのだと思い込んでいたけれど、本当はそうではなかったのだ。 「ずっと、二人きりだった。俺は元々他人に受け入れられる人間じゃない。ただアリだけが、俺を受け入れ求め愛してくれる。それで充分だった」  七百年。ただ一人アリだけを想い、愛し、支えにして生きてきたのだ。その間の生活がどうだったのか、僕には知る由もないが、身体が大きいこともありできるだけ人目を避けようとするロビンは、他人との交流はほとんど無かったのではないだろうか。アリは赤い眼と髪が目立つが、そこを上手く隠せれば、普通の子供とそう変わらないだろう。 「しかしここには、アリにはアシュレイというかつての仲間が居る。お前も城の者達も、アリには寛容的な態度を取る。それで思い知った。彼は受け入れられようとしなくても受け入れてもらえる、そういう存在だと。俺はアリの傍に居るだけで何の役にも立たない、彼の血を糧に生き永らえる化物でしかなかったのだと」  ロビンがアリの反対を押し切ってまで戦争に参加すると言ったのは、そういった想いが関係しているのだろうか。もしかしたら先の訓練の件も、彼がアシュレイに頼んだのではないか。  悲しげに目を伏せたロビンの腕をローブ越しに掴み、暗闇に浮かぶその瞳を見詰めた。 「ロビン、君は化物なんかじゃない。少なくとも僕の知る限り君はとても優しくて温かい人だ。例え君がその布の下に覆い隠しているものが何であっても、それは決して変わらないよ」  自分も同じだった。魔女の眼だと、化物だと言われてきた。その言葉を恐れて片目を隠してきた。しかし、今は隠すことはない。見た目がどうであったとしても、僕が僕でなくなる訳ではない。皆受け入れてくれた。それは初めから、僕が、怖がっていただけだったのだから。  目を大きく見開かれた瞳が、やがて細められ柔らかな色を湛える。そして、彼は決意したように僕の正面に立った。 「アリ以外に見せたことは無いんだ。しかし、お前なら」  下を向きフードを脱ぐと、息を吐き出しゆっくりと顔を上げた。  淡い緑の瞳と白金の美しい髪、目鼻立ちの整った顔。それは顔の片側だけのものだった。顔の左側半分は、皮膚が融け落ちたように無く、肉が剥き出しになっている。更に唇は半分ほど無くその部分の歯と根元が露わになっていた。  何も言えないままでいると、ロビンは優しく微笑んでその向こう側にアリがきっと居るだろうドアを見詰めた。 「この俺を、アリは綺麗と言ったんだ。だから、アリは……俺のすべてだ」  アリの目が見えないからではない。しかしそれ故にすぐに気付くことができた。決して両目に映ることはないロビンの心に、アリは一番初めに触れることができた。その美しさを曇りのない眼で、視ることができたのだ。  ロビンの淡緑の双眸は、七百年という途方もない時の中でも、変わらない慈愛と思慕に彩られて美しく輝いていた。 「ロビンっ……!」  声と共に大きな音を立ててドアが開き、泣き腫らした目のアリが飛び出してきた。そして、そのまま駆け寄ってロビンの身体に抱き付く。 「うぅっ……ごめっ、なさい……! ロビン大好き、なのに……あんなっ……」 「うん、俺も悪かった。許してくれるか」  アリを片腕で抱きかかえ涙を指で拭いながら微笑む。大きく何度も頷いたのを見て、ロビンは額、瞼、鼻先に口付けた。 ロビンの首に腕を絡ませ頬に頬を寄せながら、幸せそうに笑うアリを見ていると、こちらまで胸が温かくなる。 「二人とも、美しいよ。そういう伴侶に出会えた二人が、とても羨ましい」  不意に出た言葉に、アリはロビンと顔を見合わせて首を傾げ、そして二人同時に笑い出す。 「すぐ傍に居るかもしれないよ。気付いていないだけで」  考えてふっと浮かんできた顔と共に噴き出しそうになった感情に蓋をして、「そうだといいな」と呟いた。  二人を見送り、執務室に向かう。誰もいない部屋に入り、ふうと息を吐き、机の上に山積みになっている書類を見て苦笑いをしながら、席についた。半分ほど片付けたところで報告書類の束を抱えて部屋を訪れたイェルクを見て、頭を抱えるしかなかった。

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