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第3章 決戦 1

 ヴァルテリと紅獅子団を迎えるため、一階に下りると、既に城の大扉が開かれエントランスに数名の兵士の姿が見えた。その中に銀の甲冑を身に纏った騎士を見つけて駆け寄る。 「ヴァルテリ、長旅ご苦労様。そしてありがとう。『紅獅子団」を連れてきてくれて」 「勿体無き御言葉、恐悦至極に存じます」  兜を手に持ち、頭を深々と下げる。彼の腕を掴み、驚いて顔を上げたヴァルテリに微笑み掛けた。短期間での長距離の移動であったため疲れが見えるが、本当に嬉しそうな笑顔を返す。  そして懐に持っていた紅獅子団との契約書を差し出した。我が国が提示した書面に一切の訂正が加えられていない。ただ力強い字で『紅獅子団団長オルジシュカ』と書かれていた。ヴァルテリに書簡を送った者の筆跡と同じものだ。 「オルジシュカ団長を紹介致します。王、こちらへ」  そう言って金色の甲冑に赤いマント、想像よりも小柄な――と言っても平均的な男性と変わらないくらいの身長だが――、背中に身の丈よりも大きな剣を背負った者の前に誘導される。 「あんたが王様? 随分子供なんだねえ」  僕と目が合うなり放たれたその言葉に、ヴァルテリと後ろからついて来ていたイェルクが何か言いかねないような空気を感じ、慌てて手で制した。わざと挑発的な物言いをしたように思える。僕を試すつもりなのだろう。ヴァルテリが一息吐いて冷静さを取り戻した。 「彼女が、紅獅子団を率いるオルジシュカ団長です。バルタジとの戦争に怯まず、我が国との契約に応じました」  ――彼女。  すると、被っていた金の兜を取りその顔を露わにした。火に焼けた肌に大きな菫色の瞳、真っ白の長髪、整った顔に無数の小さな傷痕が残っている。その顔は正しく二〇後半くらいの女性だった。睨め付けるような威圧的な視線に彼女の団長としての風格を感じずにはいられない。 「これから宜しくお願いします、オルジシュカ団長」  手を差し出すと、呆気に取られたように瞬きをして僕をじっと見詰めている。微笑を返すと、「はあ」と聞こえるくらい深く溜息を吐いて片手で頭を掻きながら手を握った。 「あたしのことはオルジで良いし、団長は要らない。敬語も不要。っていうか、あんた王様だろう? こんな戦好きの猿どもの頭にその態度は可笑しいって」  城内でしか生活したことがないため、平民である彼女のその話し言葉がとても新鮮だったのと、自分達を「戦好きの猿」と称したのが可笑しくてつい笑ってしまった。 「うん、じゃあオルジ。決して楽観視できる戦じゃないけれど、僕等も国を守るために君達と共に命を賭して闘う。宜しく頼むよ」  握り返す硬い手の平に力を籠めて、オルジシュカはふっと息を吐くように笑うと、彼女の後ろに控えていた三人を顎で示して呼びつける。 「あたしのことを女だからって侮らなかったのはあんたが初めてだよ。そこの騎士団長さんが言ってたように、少々お人好しだが、本当の賢さってのが滲み出てる。あんたみたいなのが王様なら、安心して命を賭けられるってもんだ」  ちらとヴァルテリを見上げると苦笑いをしていた。僕の事を「お人好し」なんて思ってたんだなと、笑いが込み上げてくる。 「あたしの団の隊長を三人紹介する。向かって右からモーリス、ノエ、ソニャだ」  モーリスと呼ばれた三〇半ばほどの黒い甲冑を纏い大槍を手にした男は、立派な体躯を持ち古傷が顔など露出しているところ全てに見えるほど歴戦の猛者といった風貌の男だった。  しかし、ノエと呼ばれた男は身長も自分より少し高いくらいで大きいとも言えず、何より顔がまだ幼く自分とそう歳が離れていないように見える。長い白髪を何本か編んでいる独特の髪型で、好戦的な菫色の瞳を向けている。その珍しい風貌はオルジシュカと同じものだった。  更にソニャは褐色の肌で、甲冑は身に纏わず、独特の細かな刺繍の施された、露出の高い民族衣装を着ている、焦げ茶の髪を肩ほどで切りそろえた女性だ。身長は高く、僕より頭一つくらい大きい。 「よう、王様。予想以上にチビで俺が目立たなくてよかったぜ」 「ノエ、口が過ぎるぞ」  しかめっ面のモーリスが至近距離まで僕に近付いてきたノエの肩を掴んで押し留めようとした。が、寸でのところで避けられる。 「あー、でも目は変わってるけど綺麗な顔してんね。結構好み――」  と僕の顔に手を伸ばしたノエの手をヴァルテリが怒りを露わにして叩いた。それに、へらへらと笑いながら叩かれた手を振る。 「そう焼くなよ、ヴァルテリ。俺がこの戦いに生き残った暁にはちゃんと抱いてやるから。それまでは誰も相手にしないって」  何を言っているのか分からず、ヴァルテリの顔を見上げると見たことも無いくらい顔を真っ赤にしてわなわなと口を開けたまま声も出せないでいる。 「あっははは! そんな約束本気にするなよ、ノエ。手合せした時のジョークだろ」 「違う、契約だ。そのつもりが無くて契約したとしても、俺は成功報酬はびた一文負けねえ。覚悟しとけよ、騎士団長」  そう言ってにやっと笑ってヴァルテリを指差す。  一体紅獅子団との交渉の時に何があったというのだろう。「手合せ」という物騒な単語も聞こえてきた。ヴァルテリに訊いてみたいものだが、本人が俯いたまま動かなくなってしまったのでここで追及するのは些か酷だろう。 「モーリスさん、ノエさん、それから――」  ちら、とソニャと呼ばれた女性を見ると、ずっと僕を見ていたのか目が合う。 「ソニャさんも、宜しくお願いします」  微笑みかけると、無表情のまま小さく小首を傾げるように会釈した。 「ソニャは声が出せないんだ」  彼女の首の金の輪の飾りが目に入った。手足耳にも同じ金の輪を身に付けているので気にならないが、そこだけ肌が見えないように厳重に守られているようにも見える。 「団の中じゃ一番良い子だし気が利く。俊敏さと弓と短剣の扱いに関しては随一だ。ノエもこんなだけど戦場での勘は外れたことは無い。変則的な双剣の攻撃はそこの騎士団長さんも苦戦を強いられるくらいのものさ」  我が国で剣術においてヴァルテリと並ぶ者は誰一人としていない。その圧倒的な強さの前に、平民である彼に騎士の称号を与え騎士団の団長に任命するのに異議を申し立てる者は誰もいなかった。その彼を苦戦させるほどの力が、まだ幼さの残るノエにあるのだ。 「モーリスは見た目通り一騎で百は討つ勇猛な戦士さ。奴の前に立った兵士はその姿を見ただけで逃げ出すほどだよ」  精悍な顔立ちの大男は、僕と目が合うと胸に手を当てて笑みを浮かべて頭を垂れた。無骨そうな見た目だが、誠実で柔和な性格のようだ。  紅獅子団は才能のある者が集まる集団なのかもしれない。いや、それを見出し、曲者さえも上手く組み入れているのは、紛れも無く団長であるオルジシュカあってのものだ。彼等を纏めているカリスマ性――彼女の何が、彼等を惹き付けているのだろう。  オルジシュカはにやと笑うと背負っていた大剣の柄を掴んだ。 「まあ、あたしほど強くはないがね」  覇気というものだろうか。彼女のまるで腹を空かせた獅子が牙を覗かせているかのように、今にも頭から食い尽くされそうな雰囲気に気圧される。剣を抜く前から、誰よりも強者だと盲信させられた。  きっと、彼女の強さに、彼等は魅せられている。百獣の王の前では平伏すしかないのだと言わんばかりに。 「どうだい、王様。勝てる気がするかい」  冷や汗が頬を伝い、笑みを浮かべながら筋肉が引き攣る。紅獅子団を「戦好きの猿」などと言うのはあまりに憚られる化物じみた強さを感じた。 「っていうわけで、とりあえず自己紹介も終わったし、あたし達が休める場所を提供してもらえないか? さすがにアレクシルまでの移動は堪えた」  突き立てた親指で後ろを指し示され、出入り口の向こうで下馬した兵達が地べたに座り込んでいるのが見えた。後ろのイェルクを振り返ると、城内にある兵舎の位置を示す見取り図を広げてオルジシュカに見せる。 「手狭だが、兵達にはこの兵舎を使ってもらいたい。寝泊まりするのに不足が無い程度の広さはあるし、ベッドは用意してある。団長及び隊長には二人部屋の客室を準備しよう」 「了解、それで十分。あとは適当に人数分の食材を頼むよ。兵達が好きに調理して食べるだろうから」  兵の一人を呼びつけて見取り図を渡し帰らせると、その兵が号令を掛け、重い腰を上げて兵達はゆっくりと移動していった。 「オルジ、休息と食事が終わったら作戦について打ち合わせがしたい。執務室に居るから来てもらえる?」 「分かった。じゃあ他の奴らには騎士団と合同で訓練をさせたいんだけどいいかい。開戦も迫っているし、早く連携を取れるようにしておきたい」 「もちろん、構わないよ」  着いたばかりで疲れているだろうが、身体を休めることよりも訓練を優先するのは流石に戦場のプロフェッショナルだ。 「ヴァルテリ」  事の成り行きを少し離れたところから見ていたアシュレイが声を掛ける。アシュレイの姿を見た瞬間、ひゅうとノエが口笛を吹いた。 「預かっていた騎士団のことだが、私との手合せを中心に訓練を重ね、多少の心構えはできたようだ。引き続き紅獅子団との合同訓練にも加わらせてもらうが問題ないな」 「はい、助かります」  興味津々といった様子で、二人の間に割って入ったノエをアシュレイは一瞥して、「それから」と言葉を継いだ。 「実戦経験のないロビンに、誰か指導を頼みたい」  遠くで目深くフードを被り、全身をローブで覆った大男が会釈する。手には注文していたものだろう、巨大な斧が握られていた。 「俺にやらせてくれ、オルジ!」  目を輝かせて訴えかけるノエを無視して、オルジシュカはソニャの肩を叩く。 「この子でどうだい。恐らく吸血鬼と遜色ないくらいに俊敏に動けるよ。戦斧ならどうしても大振りなるからね。間合いの内側に入られないための訓練が必要だろう」  ソニャはじっとロビンを見詰めた後、小さく頭を下げた。 「じゃあ案内は頼んだよ、イェルク」 「承知しました」  イェルクの後ろにオルジシュカ、ぶつくさと不満を言うノエの頭をモーリスが小突いて、三人の隊長が続いた。 「ヴァルテリもゆっくり休んで」  一礼をして去っていくヴァルテリと紅獅子団の一行を見送り――ロビンは気付くと居なくなっていた――、ふとアシュレイを見ると、何か物思うような複雑な表情をしていた。 「どうかした?」 「……オルジシュカとノエだ」  彼等の背中を眺めながら、その稀有な容姿に改めて驚かされる。老人でも無いのに真っ白の髪と青紫の不思議な色合いの瞳を持っている。顔はあまり似ていないから、姉弟では無いのだろうと思う。 「彼等は、かつて戦闘を好み侵攻と略奪を繰り返していた民族と同じ容姿をしている。ベルンハルトが五百年前に滅ぼしたと思っていたが、その血は絶えていなかったかと感慨深くてな」  どことなく肯定的に、好ましく捉えているような物言いだった。戦争とは言え、一民族を滅亡させた過去というのは、好い心地のしないものだろうから。 「ソニャはバルタジがかつて植民地化し奴隷として連れてきた南の大陸の民だね。『紅獅子団』には民族も国も関係ないんだ。素晴らしいよ」  紅獅子団では、若年のノエや異民族の女性であるソニャが隊長を務めることができる。それに従う兵達もそれぞれ名を挙げるために集ったならず者達だろう。強さが全ての実力主義、功績を上げた者が必ず評価され昇格するとあれば、彼等が好んで戦に出るのも頷ける。 「それでは、そろそろ昼食を取ろう。午後はやることも多い」 「そうだね」  食事の準備が整っている頃だと思い、アシュレイと共にその場を後にしようとしている時だった。訝しげな表情で、昔から城に仕えている門兵が何か手紙のようなものを手に走り寄ってくる。 「どうしたの?」 「恐れ多いことですが王様、門のところに男がやってきてこれを王様に渡してくれと……本来こういったものは受け取らないことになっているのですが、男が前王の名を口にしたもので……」  その言葉に少し皺になった筒状の紙を受け取り、蝋で閉じられた手紙を開封する。目に入った文字を見た瞬間、それが誰の書いたものか一瞬で理解した。 「その男はまだ門の前にいる?」 「はい。返事をくれるまで待つと言って聞かなくて」  恐らくその者は本人ではないだろう。国境の砦で止められ、どのような方法を使っても我が国に入ってくることはできないのだから。 「紙とペンを持ってきてくれる? 今すぐ書いて渡すよ」  頭を下げて門兵はすぐに近くに居た使用人の女性に声を掛けて物の在り処を尋ねて、奥の部屋に走っていった。  文面に視線を落とす。そこには確かに兄の筆跡で、今の状況が書かれていた。  今はカーロに居ること、そこで何とか生活していること、そしてバルタジと戦争すると聞いたがどうするのか、どういった作戦を立てているのかを尋ねていた。 「返事を書くのか? イェルクやヤーコブに相談しないのか」  兵が紙とペンとインクを手に走ってくる。礼を言って受け取り、壁を机代わりに今思い付いたことを書き付ける。 「ニコ、ユリウスがバルタジの手に落ちているのが分からないのか。なぜバルタジとの戦争を既に知っている? 開戦宣告が来たのは今朝の話だぞ。カーロから使者を飛ばしたと考えれば、二日は掛かる。そのことを考えればすぐに分かることだ」  アシュレイが苛立っているのが分かって、僕は苦笑しながらしたためた手紙を見せる。そして、その内容を見て、怒りを通り越して呆れているのが分かった。 「お前は、敵に塩を送るつもりか」 「……塩なら良いけど、どうだろう」  書いた手紙の内容は、最近の自分の健康状態と国の様子、そして先程立てた作戦の兵の配置についてだった。町や村は伏兵を置かず、王都の前に布陣して正面から戦うつもりだ、と。特に紅獅子団については触れなかったが。 「これを見せられたら、君はどう思う? 作戦の全容を知れたと喜ぶだろうか」  今にも手紙を破り捨てそうな様子で、睨むように僕を見下ろしている。感情が波立つのを必死に抑え冷静さを保とうとしながら、見詰め返した。 「僕なら、最初から疑って掛かるよ。兄とはいえ、王の座を奪い国から追放し、自分を深く憎んでいるはずの相手に、真実を語るだろうか、と」  アシュレイの金の瞳が大きく見開かれ、そして小さく息を吐くと手紙を僕に返した。  近くにあった蝋燭を手に取り、筒状に巻いた手紙に垂らして封をすると、門兵に手渡して男に渡すように言った。 門兵が駆けていく姿を見て、背中が冷たくなっていくのを感じた。自分が、一体何をしているのかを、自覚したからかもしれない。 「実の兄を使って、この作戦を成功させることにしたのか」  先に立てた作戦には一つ片付けなければならない問題があった。「バルタジ側に作戦の一部を漏洩したように見せかけ、町と村全てに伏兵を置いていると思わせる」ことだ。「手薄になっている王都に真っ直ぐに」進軍させるために。 「バルタジの王が、あれを見て嘘を言っていると思い、我々の作戦通りに森を通る進路を取ることをお前は予想して、真実を書いたのだな」  アシュレイを振り返り、無理に笑ったせいか顔が引き攣る。彼の眼が細められ、僕の肩を大きな掌で優しく握った。 「バルタジがこの戦争で敗走すれば、ユリウスの命の保証はないぞ」 「……分かってる」  声が震えた。バルタジにどうやって情報を漏洩するのか、パイプを持つ者もいない中で、この好機を逃すわけにはいかなかった。例え兄の命が危険に曝されるかもしれないと解っていても。兄の復讐心を逆手に取って、陥れるような真似をしなければならなかった。僕は、アレクシル全国民の命を背負っているのだから。  国のために生きると誓ったあの日から、私情など斬り捨て、時に非情な決断を下すことも厭わない、ただ救いたいと願うだけの力無き「少年」ではなく、国を、民を守り平和な世をつくる力を持った「王」となったのだ。その「非情な決断」が、実の兄を斬り捨てるものであっても。 「イェルクには言わないで。きっと……心を痛める」  ペンとインクを手にしたまま、昼食を取りに広間に向かって歩き出した。 「心を痛めているお前を想い、あの男は心痛めるのだろうな」  そう呟いた後アシュレイは何も言わず、ただ黙ったまま何かを想うような表情で隣に付いて歩いた。その瞳はきっと、五百年前を見詰めている。

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