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第2章 集結、それぞれの想い 4
ヴァルテリが城を出立したのはその日の昼頃だった。
そして六日後、我が国の返答を受けて、バルタジはアレクシルとの戦争を各国に宣言した。カーロとの同盟条約と援軍の要請に関しては、まだ返答が無いままだ。
アシュレイとイェルクと共に広間に入ると、既に全員が席に付いていた。面々の表情は硬く、重苦しい空気が流れている。
僕が席に座っても、誰も重い口を開こうとはしない。カーロからの援軍が期待できない上、ヴァルテリからの報告も無く、状況が思わしくないからだろう。
「バルタジとの戦争が決まった今、いつ開戦するやもしれない事態だ。バルタジ側の態勢を考えるなら、二週間後くらいが妥当だろう」
「……戦争の準備は一週間以内に整うはずです。しかし、兵の増強の方が芳しくないとあれば……開戦を待たずに降伏することも視野に入れた方がいいかと」
「それは、わらわ達が来た意味が無くなるということでいいか」
ヤーコブの言葉に苛立つようにアリが立ち上がる。アリは聖母の遺児の殲滅が目的だ。戦争をしないのであれば力を貸す理由も無くなる。
「ヴァルテリは必ず『紅獅子団』をこの城に連れてくる。カーロからの援軍は残念ながら期待しない方が良さそうだ。だけど今降伏については考えない。その前提で話を進めたい」
僕の言葉にアリが大きく頷きながら席に座る。そして僕が眼で合図するとイェルクが持っていたアレクシルの全域を記した地図をテーブルに広げた。
「僕とアシュで戦略を練った」
「いや、ほぼニコの案だ。私は実戦時のことを想定して助言しただけだ」
そうすぐに訂正したアシュレイに苦笑しながら、全員を地図の見える位置に誘導する。中央に城とそれを囲む城壁、右端にミヒャーレとの国境と三つの砦が描かれている。
「まず、戦場をここ、王都にする」
その瞬間空気がざわついたのが分かった。しかし、僕が言い終わるまで言葉を差し挟もうという者はいない。
「バルタジとの戦争を一戦のみで決めたい。戦争が長引けば長引くほど、体力のあるバルタジの方が優位になり、アレクシルに陰りが出れば、カーロがバルタジと手を結ぶ可能性も高くなる。我が国に優位な状況かつ短期決戦、となれば強固な城壁を誇る王都が最も防衛しやすく、また兵力の分散も無く全勢力を投入することができる」
同意も否定も出来ないという様子で、全員が険しい顔で考え込んでいる。無理もない。負ければ、それでお仕舞いの諸刃の剣なのだから。
「アリ、君は風で防御壁を作る魔法が使えるとアシュから聞いた。それはこの城壁まで覆うことは可能だろうか」
「うん、ぎりぎりだけど。でも投石機からの攻撃を防ぐくらいの強度はあるから安心して」
城から城壁までの距離は約三キロ。直径六キロにも渡る広大な土地を覆うことのできる彼の魔力はあまりにも強大だ。それが攻撃に向けられたらと考えると、身震いしてしまう。
「王都の守りに憂いは無くなった。そこで、王都の外にある町や村の民を全員城壁内に避難させる。ミヒャーレからの難民は城内に引き入れる。できるだけ民に犠牲を出さないためだ」
「もぬけの殻になった町でバルタジの軍は略奪し放題ってこと? 拠点が作りやすくてお得だし」
アリがミヒャーレとの国境から王都までに点在する町や村を指差す。
「いや、彼等を招くのはそこじゃない。ここだ」
王都と国境のちょうど真ん中に広がる広大な森を指し示す。町や村はその森を避けるように外側に点在している。
「方法はまだ確固としたものが無いけれど、バルタジ側に作戦の一部を漏洩したように見せかけて、町と村全てに伏兵を置いていると思わせ、そのせいで手薄になっているはずの王都に真っ直ぐ向かってくるように仕向ける。バルタジも勢いを殺したくはないはずで、一気に攻め込んで落とす方を選ぶだろうしね」
「……その場合バルタジ側も全力を注いで来ます。どう対処するのです」
僕がまたイェルクの方を見ると、兵の配置を描いた紙を地図の上に重ねて置き、羽ペンとインクを手渡す。
「まず、バルタジ軍の編成だけど、ミヒャーレとの戦争で得た情報だと騎士団は三つに分かれていて、派閥があるらしい。各騎士団で功を争っていて連携は取れていない。そして民兵とミヒャーレからの捕虜はまるで騎士団の盾のように前線に配されているらしい」
この状況はあまりに嘆かわしい。国民を守るための騎士団が民を犠牲にし、さらに丁重に扱うべき捕虜を人柱にするなど、バルタジ王の道徳心を疑う。
「前方を混乱に陥れれば、連携の取れていない後方にも波及する。城壁から弓兵、弩兵の援護射撃を行った後、前線に『紅獅子団』とアシュ、ロビン、騎士団の一部を配し圧倒する。その際投降を促して、更なる混乱を生む。そうすると前面は烏合の衆と化し、バルタジの各騎士団が対処を迫られる。けど、そのうちにヴァルテリ率いる残りの騎士団と民兵を背後に回り込ませて追い打ちを掛ける。騎士団同士の連携が取れていないことを考えたら各個撃破が望ましい」
隊の動きをペンで書き記しながら説明する。険しい表情で聞いていた皆が身を乗り出し、いつの間にか興味を惹かれているのが分かる。
「なかなか難しい作戦だと思う。想定通りにはいかないかもしれないし、一個でもピースが合わなければこの作戦は崩壊する」
「……聖母の遺児」
アリがぼそりと呟く。この作戦であえて想定しなかったものだ。予想できるほど、彼等の情報が無かったというのもある。
「私の見立てでは、奴らは高慢な性格で、自分達が危うくならなければ率先して出てくることはない。ミヒャーレとの戦争がなかなか決着しなかったのは、奴らにあまりやる気がなかったからだろう」
アシュレイの言う事は最もだった。吸血鬼が三人居れば、多少の負けの戦況ならばひっくり返せる。逆に言えば、彼等はそれほどの力を持っていながら使わなかった。
それは、戦争自体に興味があるわけではないからだ。彼等は、別の何かのために戦争に参加している。
「戦況が悪くなれば奴等は動き出す。そして、恐らく奴等は……私のところに来る」
アシュレイは前線中央に描かれている自分の位置を指差す。聖母の遺児が、アシュレイを狙う理由――考え得るのは、ただ一つ。
「聖母の遺児の目的は、仇討ち……?」
「そうだ。奴等は、聖母を殺した私を憎んでいる。バルタジに加担したのも自分達の存在を触れ回るのに都合が良かったからであって、戦争をする国があればどこでもよかったはずだ。実際思惑通りに私と戦う機会を得ている」
聖母――ユリに吸血鬼にされた被害者のはずの彼等が、なぜそこまでユリに心酔しているのかは分からない。彼に特別人を惹き付ける何かがあるのだろうか。
ふとアリの方を見ると顔が強張っていた。何かを考え込んでいるようだ。
赤い髪も目も白い肌も長い睫も、この世のものとは思えないほど綺麗で、恐ろしい。ユリはアリと違って青年だとアシュレイが言っていた。アリがこのまま成長し洗練された美しさをもったとしたら、彼がそんな姿だったとしたら、魅惑される者が居ても可笑しくはない。
「三人は五百年わらわから隠れ通し力を付けた吸血鬼だ。恐らく聖母の加護を受けた者達だろう。そう容易い相手ではない」
アリの声と言葉に重みを感じる。が、急にいつもの雰囲気に戻ると、悲痛に眉根を寄せアシュレイを見詰めた。
「アシュレイちゃん、どうか五百年前の出来事を繰り返さないで」
懇願するように言う彼に、アシュレイはただ「ああ」と一言返しただけだった。
五百年前、アシュレイに何が起こったのか。歴史に刻まれていない、二人の記憶にだけ残る出来事――それがきっとアシュレイの心に打ち付けられた楔なのだろう。
――見つかるかもしれん。
二週間程前のアシュレイの言葉を思い出す。そして、 頬に触れる彼の掌の温もりと、真っ直ぐに向けられた黄金色の瞳。彼は、どんな幸福を見つけたのだろう。
「どうした、ニコ。顔が赤いぞ」
「え、いやっ、何でもない。最近すぐ顔が赤くなるだけで」
アシュレイに指摘されて顔に触ると、とても熱くなっていた。こんな時に変なことを思い出してしまった。
変な空気になりそうだったので、僕は咳払いをして誤魔化した。
「話は戻るけど、作戦は今のところこれで行こうと思う。意見のある者が居たら遠慮なく言って欲しい」
全員の顔を見回す。会議が始まる前は険しい表情だった皆が、今はもう決意を込めた力強い瞳で僕を見ていた。あの一か八かの作戦に賭けてくれようとしている。代替案を出し話し合う猶予があまり無いせいもあるだろう。
「あとは、ヴァルテリの帰還を待つのみというところか」
もはや信じるしかない。彼の真心に、『紅獅子団』が「共に戦うだけの価値」を見出してくれることを。
その時、会議室のドアがノックされた。衛兵に目配せし開けてもらうと、そこにはここ最近見ることが無かったラッセの姿があった。
というのも、ラッセには重要な依頼をしていたのだ。
「ニコデムス王にご報告を申し上げに参りました」
畏まって一礼し僕の方に歩いてくる。そして頭を下げたまま胸に手を置く。ラッセは王直属の医師となったが、それでも階級は無い。もう二人きりで僕と直接話をするのは僕が病気や怪我をする時以外無いだろうと思うと淋しくなる。
「医療班の手配ですが、優秀な医師や助手に声を掛けたところ、全ての者から良い返事を貰いました。開戦となった折には入城し、素晴らしい仕事をしてくれることと存じます」
そう、ラッセには負傷兵の治療を担当する優秀な医師を集めてもらっていたのだ。
「それは良かった。ありがとう」
アリには攻城兵器からの攻撃を防いでもらう必要がある。治療に専念することは出来ないし、一人で全員の怪我を癒すとなれば、限界があるだろう。そこで、できるだけ医療技術の高い医師を集めることにしたのだ。
「本日宣言が出たと聞いております。早速、医師の手配を致します」
「うん、宜しく頼むよ」
そう答えると、一瞬ちらとこちらを見ておどけたようにウインクをして、一礼して去っていった。相変わらずの様子に、つい表情が緩む。
そして、話も尽き解散をしようとした時だった。ラッセと入れ替わりで肩で息をして慌てた様子の衛兵が入ってきた。
「どうした」
イェルクの言葉に、衛兵が呼吸を整えながら外を指差す。
「じょ、城門に……ヴァルテリ様が到着なさいました! 今こちらに向かわれています!」
彼の指差す窓の方に全員が駆け寄った。遠くに見える城門が開かれている。
一瞬で理解した。先頭に栗色の馬に跨ったヴァルテリの姿が見える。その隣を黒い馬に跨り金色の甲冑、朱色のマントを身に纏った者が並走し、その斜め後ろで兵士が旗を掲げていた。
金色の身体に紅い鬣の獅子の絵が描かれた旗が揺らめく。その後ろを真っ黒の軍勢が列をなしている。
「『紅獅子団』だ」
感嘆の声が漏れた。ヴァルテリは、国の希望を繋げたのだ。
「イェルク、迎える準備を。長旅で疲れているだろう」
「はい、すぐに」
慌ててイェルクが会議室を飛び出していった。
隣に立っているアシュレイと顔を見合わせて笑むと、彼は僕の肩に手を置き、僅かに目尻を下げた。
「信じて待ったお前の勝利だ」
「まだ……本当の勝利を掴み取るのは、これからだよ」
段々と近づいてくる軍勢に鼓動が早まる。これから始まる戦いの息吹を感じて、身体が強張る。
しかし、今真っ暗な道に一筋の光が見えた。どんな困難な道でも、その希望の光を必ず掴み取る。勝ってみせる。
強く拳を握り締め、決意を籠めて城下の街路を進む兵馬を見詰めた。
開戦の日は、すぐそこまで迫っていた。
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