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第4章 終わりと始まり 7
それから、二年の時が経った。
アレクシルには平和な時が流れ、国は豊かになった。ミヒャーレ、カーロ以外の国との交易も始まり、平和を願う我々の同盟関係に同意を示してくれた二国の加入に向けて進んでいた。
しかし、平和になったことでそれが長く続くようにと国民が願うようになったためなのか、別の問題が囁かれるようになった。
僕の後を継ぐ、王の血筋の不在だ。
ベルンハルト皇帝が七つに七賢人それぞれに国を分けた後、各国の王はその七賢人の血を受け継ぐものによって治められてきた。我が国はアレクサンテリの正統な血族のみが王となる資格がある。
つまり、僕が妻を娶り、世継ぎを作らなければならない、ということになるのだが――そうもいかない。
「街にこんな張り紙があったぞ」
アシュレイが日課となっている情報収集と称した街の散策をして帰ってくるなり、執務室で書類に目を通している僕に紙を手渡した。それには「国王陛下のお嫁さん、将来のお姫様候補」と題して、北方民族の長の娘や各国の姫の似顔絵が描かれている。
「北方民族の長の娘が有力だそうだ。先月視察で会ったが、確かに器量も良く、ニコにも好意的に見えたが……どうだ」
わざと僕の反応を見ようとするような言い方に苦笑して紙を返す。
「何度言えば分かるの。僕には君が居るんだし、結婚するつもりはないよ」
ただこの言葉が欲しいだけだと分かっているので、いつも同じように言葉を返しては、少し嬉しそうにしているアシュレイを微笑ましく見ていた。
「……しかし、本当にどうするつもりだ。城下の者の多くは、私との関係を理解しているようだが、それでも世継ぎがないとなると、国を二分する争いが起こりかねないぞ」
本格的に問題になるのはまだまだ先のこと、と思ってはいたが、それでも平和な世であることを願う国民にとっては不安要素の一つだろう。
「養子を貰う、というのはどうだろう」
そう言うと、アシュレイは溜息と共に首を振った。
「なぜ国民が王に従うか考えろ。お前が国民に人柄で好かれているのもあるが、歴史に名を刻んでいる七賢人の血を継ぐ者だからだ。他の国の王家もそうやって五百年統治している。血縁にある養子でなければ、意味がない」
血による統治というものが正しいかどうかは分からない。しかし、その血に寄せられる信頼がある以上、軽視すべきものではない。国民の立場にしてみれば、急に現れた出自の分からない者に統治されるなど、不安で仕方がないだろう。
「じゃあ、国の制度を改めるしかない。王を国民から国民が選ぶんだ」
「それでは――」
「駄目なんでしょ。分かってる」
各土地の権力者同士が争い、血が流れることになる。そればかりか、各地で統治する気運が高まり、国が幾つもの小国に分かれることになりかねない。そうなれば、機会を窺っているバルタジや他国からの侵攻が始まる可能性もある。国の体制の変更は、それだけ平和から遠ざかるものだ。
「もしお前が妻を娶り子を作っても、私はお前を変わらず愛する。そのことを気がかりにしているなら、私のことには構うな」
アシュレイのその言葉は、国を想ってのことだったのだろうが、どうしても自分の心を軽視されているようで嫌だった。それに、アシュレイがそれを望んでいるような言い方をしたことが気に障った。
勢いよく椅子から立ち上がり、アシュレイの前まで真っ直ぐに向かうと、彼の顔に手を伸ばした。目が、僅かに細められる。
「本心でないことを言わないで。それとも僕がそんな不誠実な人間だと思ってるの?」
「……思っていない。ニコは私を誠実に真っ直ぐに、愛してくれている。私もそうだ」
だからこそ不安なのだろう。平和を誰よりも願う僕らが、その火種になってしまうかもしれないことに。
その不安を少しでも和らげようとして、微笑み彼の唇に口付けた。
ノックの音がして咄嗟に離れた。城の者に知らないものはいないけれど、見られるのは恥ずかしい。
「ニコデムス王、折り入ってお話が御座います。入っても構いませんか」
ヤーコブの声に、「どうぞ」と返事をする。部屋に入ってきた彼は、少し困ったような顔をしていた。
「どうかしたの?」
「いえ……それが王にどうしても御目通りしたいという父子が居りまして……カーロから遠路遥々やってきて、会うまでは帰れないともう一ヶ月も門の前から離れないのです」
驚いてアシュレイの顔を見ると、「まだ居るのか」とよく城を出入りしているせいか既に知っていたようで、訝しげな表情を浮かべている。
「その二人は、僕に会いたいとだけ言っているの?」
「はい、正しくは父親の方です。まだ子供は生まれて間もない赤ん坊のようですから」
それを聞いてヤーコブの隣を通り過ぎて部屋を出た。それを見て、二人が後ろからついて来る。
「赤ん坊をそんな外に一ヶ月も居させるなんて! 僕が会えば済む話なら早く言ってくれれば良かったのに」
「申し訳ありません。しかし、国民と気楽に会うようでは王の威厳というものが損なわれるかと――」
「分かっているよ。ちゃんと王だと分からないようにしていく」
そう言って自室に戻り足首まで隠れるローブに身を包み、深くフードを被って、アシュレイと二人で急いで城の門のところまで向かった。
門兵に開けてもらい外に出ると、すぐのところにその父子は座っていて、僕に気付くとゆっくりと立ち上がった。
「追い返しても無駄だ。僕は、王に会うまでは帰らない」
一ヶ月ここに居たせいで無精髭を生やしているが、思ったより若い男だった。赤ん坊はちゃんと乳をもらっているのか、健やかに眠っている。
男の正面に近付き、右側のフードの中をちらりと見せた。紅い眼を見せれば、何も言わなくて理解してもらえるだろう。
「静かに。他の者に知られるわけにはいかないのです」
大きな声を上げそうな気がしたのでそう言ったが、一瞬固まってから「はは」と乾いた声で笑った。
「本当に似てないな、兄弟なのに」
「え……?」
何のことを言っているのか分からない。ただ、男はそう言うと僕に赤ん坊を差し出した。訳も分からず、ただ赤ん坊の鮮やかな金髪に既視感を覚えて、じっと見詰める。
「世継ぎが居ないと他国でも囁かれてるよ。王様が同性愛者だから、と」
「それと、この子に何の関係が……」
すると、眠っていた赤ん坊がぐずり目を擦ってその大きな瞳を見開いた。空を融かしたような透き通った蒼い眼。その眼を見た瞬間、まさか、と目を見開いた。
「君のお兄さんは病気で死んだ。その時に彼の子であるこの子を託された。この子は将来王になる男子だ。アレクシルの王ニコデムスに引き渡せ、と」
兄様が、死んだ――? 本当か嘘か分からない言葉を投げかけられただけで、動揺する自分に驚く。そしてこの赤ん坊が、兄の子であるということを。
「信じないならそれでもいい。けれど、この特徴的な金髪と蒼い眼は、初代国王アレクサンテリから続くものだそうだね」
後ろで様子を窺っていたアシュレイが赤ん坊を見て息を吐く。
「どうやら……その男の言うことは正しい」
アレクサンテリ本人と五百年前に会っているアシュレイが言うのだ。僕の勘だけではない。この赤ん坊は本当に、兄の子なのだ。
「しかし罪人の子だ。国民が理解を示すとは――」
「罪人の子は、生まれながらに罪を背負って生きることを強いられると? それほどの罪が、この世にあると言うのか」
男が強い口調で言う。この男は、兄と一体どういう関係だったのだろうか。ただ頼まれたというだけで、ここまでやってきて一ヶ月も待ち続けることができるとは思えない。
決意と覚悟を決めた男を見て、僕は差し出された赤ん坊を抱いた。今にも落としてしまいそうで怖い。
「ニコ、駄目だ! お前は兄を追放したのだ。その子を育てたとしても、自分の本当の親に苦しみを与えたと知れば、お前を憎み、命を狙う存在になるかもしれん!」
「そうかもしれない。でも……そんなこと、分からないよ」
腕に抱いている小さな命は、その純粋無垢な瞳で僕の心を見透かすように真っ直ぐに見詰めている。この人間が、自分にとってどういう人間なのかを知ろうとしているかのように。
「名前は?」
「ヨウシアだ。ユリウスが名付けた」
ぎこちない抱き方だったのを少し持ち替えて、アシュレイにヨウシアの顔を見せた。ヨウシアの眼は、アシュレイをどう捉えたのだろう。少なくとも、怖がってはいない。何か訴えるように「うー」と声を発した。
「ヨウシア。僕らが君の父になってもいい?」
そう尋ねると、にこっと笑って喃語で何か声を出した。それを見て、アシュレイと顔を見合わせて笑った。
「では、僕はこれで」
小さい声で「さよなら」とヨウシアに語り掛けて、男はフードを深く被り踵を返す。
「貴方は一体……どうして?」
「僕はカーロのしがないパン屋です。ただ貴方のお兄さんの、『復讐』を手伝っただけの」
彼は立ち止まり、「復讐」という物騒な言葉を言うには爽やか過ぎる笑顔で振り返って、「ヨウシアを宜しく頼みます」と会釈して去っていった。
「復讐、と言ったぞ」
「兄様は……恥ずかしがり屋だから」
僕が最後に会った時、彼は僕の不幸と苦しみを願った。三年前、僕を陥れようと手紙を送ってきた時もきっとそうだ。
その後今に至るまで、何があったのか僕には何も知ることは出来ない。ただ、彼が、自分の子供を僕に託すことを「復讐」と言うようになるほどには、憎しみだけを抱いて生きなくてもいい時を過ごせていたのだろう。
「でも確かに、これは『復讐』なのかもしれないね」
兄に瓜二つの小さな命を抱きながら、兄のことを何度も思い出すだろう。そして彼の魂の半分を持ったヨウシアに無償の愛を捧げて育て、やがてこの国の王となるのなら、それはある意味の「復讐」なのだろう。
赤ん坊を抱いて戻ってきたのを見て、ヤーコブはあまりのことに動転したが、ヨウシアの無邪気な笑顔と今あった経緯を話すと、困った顔をして「これから大変ですよ」と笑った。
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