11 / 12

《皆無》

翌日も、真夜中に変わらぬ姿で菊之助の元へと訪れた男。 あんなことがあったのに… 「貴方は旦那様ではなかったのですね」 「……」 目を合わせず、俯いたまま、いつもの作業を開始する。 「もしかして、言葉が喋れない?」 「……」 作業をしながらも、僅かに首を振り答えてしまう。 「なら、貴方の声が聴きたい」 「貴方のお名前は?」 「……」 「教えてください」 「僕は貴方をなんとお呼びしたら…」 「……」 「呼びたいのです、貴方の名を」 「……」 頑なに無視を続ける。 「……そんなに、僕がお嫌いですか?」 ほろりと涙が零れ落ちる。 そんな様子を見た男は… 「……、菊…」 躊躇いながらも、涙の雫をそっと拭い、その名を呼んだ。 「っ、」 はじめて名を呼ばれ、その声に…どきりと胸が鳴る。 「俺は…言葉を発してはならないんだ、生まれてきてはならぬ存在だから」 「そんなことは…」 「俺は、双子で…後から生まれた…」 「……」 「畜生腹は家を潰す…この地域に根強くある迷信、母様を、お家を守る為、俺は…生まれなかったことにされた」 「っ…」 「俺の名は皆無(かいむ)…何もないと言う意味だ」 「そんな」 ふるふると首を横に振る。

ともだちにシェアしよう!