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 つい、恋人に手を上げた。  春也(はるや)が引っ叩かれた反動で体を斜めにし、頬を抑えて僕を睨みつける。 「叩くことないだろ」 「僕だって叩きたくて叩いたわけじゃ……」 「俺のせいかよ」  だって僕はもう四十だし、今時分ほっぽり出されたら、この後一生ひとりぼっちだと思った。  二人で暮らすためにマンションへ引っ越した。  交際し始めて五年。僕としては長い方だった。春也は明るい茶髪のやんちゃ顔で、五年前にバーで最初に見た時はタイプじゃないと切り捨てた。でも、バーへ行くたび何度もしつこく言い寄られて根負けした。  付き合い始めたら顔の割に人懐こいところが可愛くて、好きになった。  僕を大好きな可愛い恋人。  満足だった。毎日、何の文句もなかった。一緒に家事をして、ソファベッドで寝そべりながらレンタル映画を見る。  そんな日々が僕にはちょうどよかった。  春也には物足りなかったらしい。 ――女、妊娠させたから結婚する。  最低だと思った。最悪だとも。  手を上げたのは大人げなかったし、やり過ぎたとすぐ後悔した。だけど、謝る気のない春也を許そうという気持ちにはなれない。 「叩いたことは謝るけど、でも、どう考えたって悪いのは君だよ」  浮気をするなんて。しかも相手は異性で、妊娠までさせた。  春也はむっとして、僕を指差した。 「俺は何度も言ったはずなんだ。こうなる前に。(まもる)さんとデートがしたいんだって。友だちにも紹介したいって。それなのに、あんたは頑なに家から出ようとしなかった」 「それについてはちゃんと説明したじゃないかっ」  つい声が大きくなる。  だが春也は怯むどころか更に目つきを鋭くした。  春也は前々から昼のデートをしたがっていた。夜、映画を借りに行くだけじゃなく、ちゃんとしたデートがしたいのだと。  そして、友だちにも紹介したいと言っていた。  だが、春也の友人と言うのは大学在住時から趣味が合うから付き合いのある友人だ。ゲイバーで知り合うようなマイノリティを理解してくれる相手ではない。普通の、そう、普通の友だちだ。  みんな気のいい連中だから。何度も告白してきた時のようにしつこく誘われたが僕は断り続けた。  異性とつき合うことを前提として生きている人たちに僕らの関係は難し過ぎる。そして、その難解さは時に防ぎようのない暴力を生み出すことがある。  僕と付き合っていることを公にして、春也が周りから疎まれやしないか不安だった。  僕のせいで春也が友だちを失うことになったらたえられない。  そう何度も説明したのに春也はちっともわかってくれなかった。 「俺はちゃんと友だちや家族に紹介できる人がいい。あんたといると、どっちが浮気かわかんなくなるし」 「何言って……」 「付き合ってるって誰にも言えない。誰からも祝福されない。マンションの部屋に入る時もこそこそしてさ」  春也は絞り出すように言った。 「もう、随分前から……衛さんは俺の浮気相手だったよ」  カッとなって叫んだ。 「出ていけ!」  叫んだ瞬間、じわっと目の奥が熱くなった。鼻がツンとして痛くなる。  春也が僕に手を伸ばしたのがわかった。  それを振り払い、僕が玄関に向かった。 「君が出て行かないなら、僕が出る」 「衛さんっ」  靴箱の上の車のキーを引っ掴んで外に出た。  夏の夜の熱い湿っぽさに体が包まれ、シャツが張り付くような不快感に襲われる。  春也はサンダルで飛び出して来たが、エレベーターまでは追いかけてこなかった。  手のひらで顔を拭いてマンションの駐車場へ向かう。車に財布が入れっぱなしだったから、しばらくは帰らなくてもいい。そして春也がいない頃を見計らって荷造りに行こう。そして、それからは……。  運転席の扉に手をかけ、僕はその先のことが何も考えられないことに気づいた。  春也は今年、三十三。結婚したくなっても仕方がない年だ。生涯の伴侶を求めたくなる年齢。僕もそうだった。だから、本気で春也と付き合った。同棲までしたのは彼が初めてだった。それくらい本気で、ずっと一緒にいるのだと思っていた。ずっと、隣りにいてくれるものだと思っていた。  いまさら、一人になって、僕はどうしたらいいのだろう。  車に乗り込み、蒸し暑い車内を冷やすためエンジンをかけた。バックミラーの自分と目が合う。  どうして鏡がこっちを向いているのかと思ったが、そう言えばさっき、降りる時に荷物を引っ掛けた。あの時に曲がったのだろう。  鏡の自分は情けない泣き顔だった。しかも、髪が乱れていて、実年齢より老けて見える。  こんなおじさん、嫌だよな。  春也が目移りする気持ちもわかる。  僕だって、こんなぱっとしない中年を選んだりしない。どちらかと言えば痩身で頼りがいもないし。  ミラーを直して駐車場を出る。  ぼうっとしながら運転していると、会社の前まで来てしまった。時間的に空いているからかあっという間の到着だった。  会社に来ても意味がない。どこか泊まれるところを探さなくては……。  そう言えば、春也はホテルで彼女と寝たのだろうか。それとも相手の家だろうか。流石にうちではないはずだし。  考え出すと腹が立ってきた。  路肩に車を停めて、財布と一緒に車に置き去りにしていた仕事用のスマホで一夜の相手を探す。  掲示板では病気が怖いから、昔使っていた風俗系のサイトへ行く。この五年使っていなかったからまだあるか不安だったが、サイト自体はリニューアルされていたもののまだちゃんとあった。  番号にかけて、同い年くらいの人を頼む。別に性的サービスを求めているわけではないので、可愛い感じじゃなくてよかった。ただ話を聞いてほしかった。  こちらの格好だけ伝えて通話を切り、待ち合わせの駅へ車を走らせた。駐車場に停めて財布の中身を茶封筒に入れた。足りない分は駅構内のコンビニで下ろし、改札のところで店から派遣されてくる男を待つ。  このスマホの通話履歴に仕事関係以外が混じったのは初めてだ。春也さえこの番号は知らない。普段使いの方は部屋に置いてきてしまった。  今頃、連絡が取れなくて慌てているだろうか。それともさっさと荷造りをして出て行く準備でも始めているのだろうか。  ぼうっとしていると「柏原部長」と声をかけられた。  ハッとして顔を上げると、見覚えのある顔が正面にあった。 「え、遠野?」 「こんばんは、お疲れ様です」  にこっと微笑む。  遠野は僕のいる総務部の有望株で、スポーツマンタイプの爽やか系イケメンとして女性社員の憧れでもある。去年までは経理部にいたので、彼の見解で仕事が円滑に進むことも多く、顔も広いため何かと助かっていた。 「こんな遅くにどうしたの?」  すでに遠野は着替えて私服姿だった。細身の黒っぽいジーンズにぴったりした黒いシャツ。髪型も仕事の時よりはラフだった。 「えっと、待ち合わせです。部長はどうされたんですか?」 「僕は、偶然昔の知り合いに会ってね。さっきまで飲んでたんだけど」 「その割に酒臭くないですけど」 「僕は飲んでないから」 「話、合わせるのうまいですね」 「え?」  遠野が頭をかいた。 「すみません。俺です、ストロベリーパートナーから来たの」 「……え?」  ストロベリーパートナーは僕が連絡した店の名前だ。  遠野が何を言っているのかわからなかった。頼んだのは同い年くらいの男で、まさか十も下の男をよこされるとは思わなかった。  だが、よく考えたらあの店で三十は年上の方なのかもしれない。利用していた時は年下の可愛い感じの子ばかり呼んでいたから気にしなかったが……。  見当違いなことを考えていると気づいたのは遠野が「どうしますか」と問いかけてきた時だった。  まさか同じ会社の、しかも知り合いが来るとは思っていなかった。 「どう、したらいいのかな……」 「あの、会社には黙っていてもらえますか?」 「それはもちろん。会社で黙っておいてもらいたいのは僕も同じだし」  業務に支障がなければ僕としては構わない。総務部だし、外部の人と接することも少ないから、会社の沽券に関わると言うこともないだろう。報告義務もないことだし、そもそも僕に報告する資格はない。 「君が下手に人の弱点を言い触らす男じゃないことくらいわかってるよ。ただ、ほら、今夜さ。受付時間過ぎたからチェンジもできないし」 「……そこですか?」  遠野が困ったように笑う。 「俺じゃだめですかね。金銭のやり取りはまあ、こっちで誤魔化しておきますよ」 「お金はいいんだ。ほら」  予め用意していた茶封筒を渡した。 「これ、一晩分あるじゃないですか」 「相手が君ならこの辺りの飲み屋でも変に思われないだろうから、好きな店を選ぶといいよ」 「え、本当に俺でいいんですか?」 「誰でもよかったからね。話を聞いてほしかったんだ」  遠野は肩をすくめた。 「部長がそれでいいなら」 「いいよ、もちろん。どこで食べたい?」 「おごりですか?」 「そういう契約だからね。それに、ぱっと金を使いたい気分なんだ」 「案外、散財家だな」 「んん?」  遠野がと笑った。 「仕事抜きで楽しむってことで。よろしく、えーと。衛さん」  もしも知り合いに会ったら変に思われないかと考えたが、プライベートで友人だと言うことにすれば問題ないだろう。  駅を出て、最近できたステーキが美味しいと評判の店へ行くことにした。値段もかなりすると言う話で、普段なら絶対に行かないようなところだ。 「それで、話したいことってのは?」  店はバーも兼ねていて遅くまで営業しているが、食事のラストオーダーは二十四時。ぎりぎりだった。  店内は落ち着いた雰囲気で、いい匂いがした。  満席に近いが待たされることもなく、奥のテーブル席に通された。  席につくなり遠野は身を乗り出して来る。 「先に注文しないと」 「俺、サーロイン三〇〇グラム」  遠野はぱっとメニューを見てすぐ決める。 「焼き加減は?」 「レア」 「迷わないね」 「まあ、ずっと食べたかったし。急かしてるわけじゃないから悩んでどうぞ」 「いや、僕はフィレステーキ三〇〇グラムかな。ミディアムで」 「へえ、意外と食うね」 「折角だし」  店員を呼び、赤ワインも頼む。  赤ワインはすぐに運ばれてきた。ボトルで三万もするお酒なんて、お祝いでも飲まないのに、なみなみとお互いのグラスに注ぐ。  遠野はありがたそうに口をつけ、ちらりとそのくっきりした二重瞼の瞳で僕を見た。 「どうかした?」 「随分な散財ぶりだから、余程な目にあったんだろうなって」 「まあ、恋人が浮気して、挙句の果には浮気相手を妊娠させちゃったんだよね」  要約して軽く話した。その方が自分の心の負担も少ないと思ったからだ。 「嫌気が差して出てきちゃった」 「出てきちゃったってことは、恋人と同棲してたってこと?」 「そんなとこ。 まあ、僕は日陰者だからね。彼も言ったけど女と僕だったら世間的に見て浮気相手は僕の方なのかも」 「んな馬鹿な」  僕が納得しかけていた春也の言葉を遠野がばっさりと切り捨てた。 「男とか女とか世間とか関係ない。そんなの浮気したやつの言い訳だ」 「……そうかな」 「そうだろ」  フンと遠野は鼻を鳴らし、ワインを飲む。  会社で見る遠野とは違う人に見えた。飲み会でも灰汁の少ない爽やかさを発揮するのに今日は雰囲気が違う。  普段の遠野なら多分、話を聞いても「次がありますよ」と言って深く掘り下げたりしない。  金を挟んだ関係とはいえ他人に言えない悩みで味方してもらえるのは単純に嬉しかった。 「そう言ってもらえると、救われる」  遠野にもそう言って、ワインを注いだ。  その流れから春也との出会いを話し、ステーキが焼きあがるまでの時間を潰す。国産牛のヒレ肉なんて、普段は絶対に頼まない。そもそも、肉の味の良し悪しなんてよくわからない。流石に獣くさい肉は困るが、最近は安くてもそんな肉は出回っていないし、自炊する時もなるべく安く上げようとしていた。  この五年で春也に使ったことがないような大金を一夜で部下の遠野につぎ込むのは背徳感があって、妙に気分がよくなる。こんなこと自己満足に過ぎないが、誰の迷惑にもならないし、ちょうどいい腹いせだった。  しばらく遠野と話していると、店員がワゴンを押して僕らのテーブルに来た。食欲をそそる音と共に皿状の鉄板に乗ったステーキが目の前に置かれる。  ケチらず三〇〇グラム注文したかいもあって、見た目に圧倒された。  遠野も同じなのか、ぼそっと呟く。 「人の金じゃないとなかなか食えないな、これ」 「僕も普段なら絶対に頼まないよ」  遠野が「へへ」と笑ってステーキにナイフを入れる。  僕も一口大に切り分けて、上等な肉を頬張った。  一人の時はもちろん、春也とはこう言う雰囲気のいいお店には行かなかった。他人から少しでもデートと思われることを避けて来たからだ。  遠野はいわゆるデリヘルだが、それより先に部下だと思っている。どう見られても、例え知り合いに会っても、会社の部下で友人だというポーズができる。春也とは、そう言う外面を作れなかった。  正直、春也とは見た目のバランスが悪かった。僕はオシャレなどとんと興味のない中年。そんな男の隣に、美容師と言う職業柄、流行を掴んでいる垢抜けた雰囲気の子。  一緒にいたらどう見られていただろう。わからない。友だちにしては系統が違いすぎるし、顔が全く似ていないから兄弟とも思われなかっただろう。  恋人かもしれないと、思われるのが何より怖かった。  ステーキと赤ワインを堪能し、店を出たのが午前一時半。外は相変わらず蒸し暑く、酒のせいか汗が吹き出す。  この時間、ホテルはラブホテルしかない。少し心配したが、こんな夜中に明日仕事のある知り合いたちに目撃されることはまずないだろう。  店を出てタクシーで遠野が選んだラブホテルへ向かう。駅前から車で十分ほどの距離にあるそのラブホテルの外装は南国のリゾート地のようだった。建物もゴテゴテしたところがない。 「こんなホテルあったんだ」 「去年、改築したんだってさ」  タクシー代を払い、ホテルの中へ行く。自動ドアの向こうはスゥッとするほど涼しい。外装と同じでリゾート風の受付に人はなく、タッチ式の操作機で部屋を選んだ。だらだら話して寝るだけだからとシンプルな部屋にした。  エレベーターに乗り込むと遠野がそう言えばと口を開いた。 「衛さんってどっちなの?」 「セックスの時?」 「そうそう」 「君とはしないよ」 「わかってるけど、気になる。衛さん、下?」 「下に見える?」 「あ、でも話してる時は恋人くんがネコくさかったからタチかな」 「どうかな」  三階についてエレベーターを出た。階の奥の部屋が僕らの寝る部屋だった。  そこへ向かいながら遠野はごくごく小さな声で「俺、ノンケなんだけどアナル好きで」とカミングアウトする。 「え?」  一歩引いて遠野の顔を見た。  いつもからりとした笑顔を浮かべている顔を少し赤くして目を泳がせている。 「明日からのこと気にして遠慮してるなら、気にしなくていいと言うか……」 「待って。君、僕に抱かれたいの?」  部屋の前で遠野に確認を取る。  遠野は言いにくそうに唇をもごもご動かし、やがて小さく顎を引いた。 「……悪いけど、それは」  確か、ストロベリーパートナーは本番禁止だし。 「わ、わかってる」  遠野は首を振った。 「言ってみただけ」  そうは見えなかったけど。 「……そうやって客を増やしてるのか?」 「や、やめてくださいよ」  急に遠野の口から敬語が溢れる。 「そういうのじゃないですって……」 「タメ口やめるの?」 「部長と一緒だと調子狂います……。遠野って呼ばれるし」 「あ、源氏名聞いてなかったね」 「グダグダじゃないですか」 「いいんだよ。酔っ払い同士だし」  部屋に入り、ネクタイを緩めた。  室内は思っていたより狭いが、設備は新しく、壁に埋め込まれた大画面テレビが巨大なベッドと向かい合わせに設置してある。ラブホテルらしいのはそのくらいで、クリーム系の色合いの部屋は小奇麗なビジネスホテルと変わらない。  遠野はエアコンのリモコンを操作して部屋の温度を下げる。 「始発で一旦帰る?」 「あ、はい。そのつもりです」 「じゃあ、もうお風呂入って寝ようか」  先に風呂に入るよう遠野を促し、テレビをつけて映画を物色する。  春也と映画を見る時は部屋を暗くして飲み物や食べ物を用意してから見ていた。音響にもこだわっていたから、迫力は映画館並みだった。ソファベッドに寝そべったりくっついたりしながら見る映画は格別で。  もうそんなことをする相手もいなくなる。  シリーズ物のアクション映画を見ていると、しばらくして遠野が風呂から出てきた。バスタオルを腰に巻いただけの格好だった。  着太りする方なのか思っていたより細身で、無駄のないスマートな体をしていた。髪はまだ濡れている。 「急かしてないから髪、乾かしてきたら?」 「あ、俺このまま寝るタイプです」 「乾かさないで寝ると雑菌が増えるよ」  そう伝えると少し嫌そうな顔をしたが、乾かすつもりはないらしくベッドの方に来る。顔が眠たそうだった。面倒くさいのかもしれない。店でもよく飲んでいたし。  仕方なくドライヤーを持ってきて横になろうとする遠野を抱き起こして頭を乾かしてやる。  風呂上がりでいい香りのする温かい体。空調の効いた部屋では心地いい体温だった。 「ちゃ……そ……で」  遠野が何か言ったがドライヤーの音でよく聞こえなかった。  ドライヤーを離して「え?」と聞くと「寝ちゃいそうです」とつぶやく。 「部長に髪触られるの気持ちいい……」 「わかる。僕も頭触られるの好きだから。眠かったら寝てもいいよ」  ドライヤーの温風を吹きかけると、遠野は遠慮するつもりがないのかこっちに体重をかけてきた。腿に寝かせながら髪を乾かしてやる。  そう言えば、こうして何かと色々面倒を見てやることが好きなんだよなと思う。  ほとんど裸で目をつむり、体を預ける遠野。  可愛いと思っていないと言えば嘘になる。  だが、遠野を抱くのは違う。春也への憤りを吐き出すために呼びつけはしたが、セックスするつもりはなかった。ここで遠野を抱けば、春也を許さなければならなくなる。  ドライヤーを止めて遠野の頬をなでた。髭が薄い方なのか触っても毛の感触がなくすべすべしている。客商売に手を出しているだけあって、顔だけでなく全身の肌の状態がいい。ぶつけたのか所々に痣がある。  薄っすら日焼けした健康的な体は僕を誘っているように見えた。小高い胸筋にちょんと飾られた控えめな乳首を包むキャラメル色の乳輪。うっすら割れた腹筋が呼吸するごとに動いている。  バスタオルを巻いただけのこんな格好では嫌でもその下を想像してしまう。  ノンケと言うことは男とは恋愛しない。だが異性愛者も同性愛者も肉体は同じだ。アナルをいじればノンケでも快感はある。そんな厄介なものにハマったせいで女では満足できず後腐れないセックスをするためにこの仕事についたのだろうか。  流しっぱなしの映画の内容はもうわからなくなっていた。  頬をなでていると遠野がとろんとした目で僕を見上げる。 「風呂、入んないんですか?」  いかにも眠たそうで、これ以上構うのがかわいそうになる。  頭を撫でて「入ってくるよ」とテレビを消して立ち上がった。  これ以上一緒にいたら妙な気持ちになってしまいそうだった。  そして同時に体だけなら春也以外でも反応するのだと思った。きっと抱こうと思えば遠野を抱ける。きめの細かい肌を撫でながらキスをして、恋人のように遠野ともセックスできる。  だが、しない。僕はまだ春也と恋人で、他の誰かと寝るのならちゃんと終わってからにしたかった。  広い風呂にはテレビがついていて消音でAVが流れていた。遠野が見ていたのかもしれない。  ジャニ顔の若い男優二人がベッドで交わっている。  抱かないと言ったから、これを見て抜いたのかもしれない。だから余計に眠たそうだったのだろうか。  もし遠野が店を介していなくて、今日の愚痴が不平不満が現在の恋人のことでなく同僚や仕事へのことで僕自身がフリーだったら、きっと遠野を抱いていた。  自分の下で乱れる遠野を想像しながら、僕はAVを切った。

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