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完
未明に目が覚めて水を取りに行く。
寝室に戻ると換気していないせいで、淫靡なにおいがこもっていた。湿っぽいベッドに潜り込み、寝ている遠野と向かい合う。
洗濯とか掃除とか、面倒くさいことは全部後回しにして、遠野を抱いた。
遠野に絶倫かと尋ねられて、そんなに盛っていたとは思わなくて、汗が出るほど恥ずかしかった。遠野がほしい。それだけしか頭になくて、今ぐったり眠る遠野を見ていて申し訳なくなってくる。
セックスして休憩して、セックスして……。
随分、欲望的な連休だった。
幸せな気持ちで遠野の整った寝顔を見ながらそんなことを考えていると「きもい」と頭の中で誰のものかわからない声がした。
少し笑ってしまった。
前までは、その声に冷や水を浴びせられたように青くなって傷ついていた。
物心ついた時から恋の相手は男ばかりだった。それが異常だと気づかせてくれたのは実の母だ。
母は僕を理解しようとしてくれたが、僕が男を、男として好き、という気持ちは結局わかってもらえなかった。自分の性別に疑問があるわけでもなく、女装の趣味があるわけでもないということが難しく思われたらしい。
そんな母は僕が中学生になった頃、家を出ていってしまった。理由は単純明快。父が浮気していたからだ。僕を置いていったのは養う余裕がなかったから……らしいが、本当のところは今になってもわからない。
新しい母は若くて化粧が濃く、毎週美容院やサロンに通う金食い虫だった。
金食い虫は僕の母のものを「趣味が悪い」と言って全て捨ててしまった。抗議すると、しばらくは僕を無視したが、やがて子どもが腹にできると僕を奴隷のようにこき使った。
出来損ない。穀潰し。そう罵られながら、スリッパで叩かれながら。身重の女に反撃するなんてこともできず、じっと耐えるしかなかった。
そして、そんな血の繋がらない母と顔を会わせるストレスを、僕は仲のいい男友だちと遊ぶことで紛れさせた。
初めてセックスしたのもその頃だ。相手は友だちの兄だった。水泳部で、日焼けした体がかっこよかったが、ネコだったので抱かせてもらった。
関係は何ヵ月か続いたが、結局別れ、その人から違う男の人を紹介してもらって寝た。あの頃は好きとかそんなことより、セックスがしたい年頃だった。
そんなことをしていると、どこから話が漏れたのか「護はホモだ」という話が学校に広まってしまった。噂のスピードは早く、止める間もなく継母の耳に届いた。
継母はその話を聞き、面白おかしく誇張してあちこちで話をばらまき、僕の腹違いの弟にまでこの使用人はバイ菌持ちだと教え込んだ。
その涙ぐましい継母の歪んだ努力の結果、唯一信頼できた父にも「不特定多数の男とらんちきさわぎを起こしている」と思われてしまった。何とか弁明を図ったが、殴られただけで終わってしまった。
それをにやついて見ていた継母の顔が忘れられない。
違うと否定しても、父はもちろん、誰一人聞く耳など持ってくれなかった。崖っぷちに立たされた僕に残されたのは当時の彼氏くらいだったが、厄介な立場で孤立しつつある僕にわざわざ手を差しのべてくれる余裕はなかった。
そもそも、セックスだけの関係に近かったから仕方がない。
それでも、当時の僕にとっては、自分なりに真剣につき合っていたから、どん底にいる中で突き放された喪失感は並みではなかった。
中学、高校と「性病持ちのバイ菌」扱い。
噂が噂を呼び、話は酷くなる一方だった。それでも、なんとか高校を卒業して、家を出るところまでこぎ着けたが、その時にはすでに父の心は僕から離れていてほとんど音信不通だった。
成人してから一度、顔を見せに故郷に戻ると、久しぶりに会った父から、当たり前のように勘当を言い渡された。
でも、何となく、清々したのを覚えている。
故郷の陰険さに疲れていたし、知り合いや親から離れて自由を知ったことで、家族への未練もなくなっていた。
町中の人が僕をゲイだと知っていて、半分以上が継母の嘘を鵜呑みにしていた。
あそこは地獄だ。
学生時代なんて……ひそひそ、こそこそ話している人を見るだけで、息ができなくなるほどストレスを感じていた。
まあ、今思えば、交通の便が悪い閉鎖的な町だったから仕方がないのかもしれない。
娯楽施設もないから、噂が楽しみのようなところもあったのだろう。
僕のこの経験を聞いてそれくらいのことで、と思う人もいるだろうが、僕には限界だった。あれ以上、食い下がって、勘当を撤回してもらってまで、あの世界にはいたくなかった。
でも、遠野は違う。そういう人たちを相手にしても、心を折られたりはしなかった。
去年の社員旅行。バスの中でゲイだということを揶揄されても怯まなかったと安達が話しているのを聞いて、驚いた。
正直、そんな風な立ち回りは考えたことがなかったからだ。
自分の恋愛対象について、いつの間にか劣等感を抱いてしまっていたことに、あの時、気づかされた。
遠野はノンケかもしれない。女を好きになる生き物だから、男の僕に向ける好意をどうしても信じきれなかった。
だけど、その話を聞いて僕の中で着実に物の見方が変わった。
前ほど周囲の目が怖くない。
「……進一」
眠る恋人の下の名前を呼ぶ。
去年の年の暮れ、唯ちゃんから連絡が来た時は本当に、驚いた。驚いたし、術後、まだ血の気がない彼を見て、死ぬんじゃないかと思って、その場にいることさえ堪えられなかった。
あれは、どうしようもなく臆病だった僕が招いた惨事だ。
寺岡の怒りの矛先が全て遠野に向いてしまった。
僕のせいで大怪我をさせた。
会わせる顔がない。嫌われたかもしれない。そう思うと病室へ面会にも行けなかった。それなのに、遠野は僕を責めることはなく……。
安達との結婚をすすめられたことは想定外だったが、そんな遠野だから、僕は一緒にいようと思えたのだと思う。
「僕だって、昨日より、今日の方が君を愛してる」
そう寝ている遠野に囁くと、遠野はわざとらしく寝返りを打ち、こちらに背中を向けた。
「……起きたの?」
肩を触りながら問いかける。耳が赤くなっていた。
その耳をそうっと触ると「んぁ」と掠れた甘い声を出す。耳を触りながらうなじにキスしたり弱く噛みついたりしていると、やっぱり起きていたらしい遠野がこっちを向いた。
「まだ足りないんですか」
非難めいた口調。
でも、真っ赤な顔の遠野はどこか物欲しそうな目をしていて、むくむく息子が元気になるのを感じる。返事の代わりにキスをした。
始めは、遠野が嫌がったらちゃんと我慢できる自信があって、怖がる姿を見て一度はちゃんと自制できた。でも、一度箍が外れるともうだめだ。
数時間後には会社にいかなくちゃならないのに、キスが深くなる。
遠野が僕の性器に触れた。
もう幾度となくされた愛撫なのに、その瞬間がまるで奇跡に感じて嬉しくなる。
そして、泣きたいほど嬉しい気持ちを注ぎ込むように、僕らは、時間も忘れて抱き合った。
了
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