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第3話①

 あんなことをしてしまったせいか、ジェフリーと顔を合わせるのが恥ずかしかった。しかし、ずらせる範囲でずらしても、行きの電車の時間が同じになることが多く、ほとんど毎日顔を合わせているのだ。 「おはよう、ナツ」 「おはよう。早いな」 「今日は、ちょっと遅いくらいだ。朝からナツに会えて、ラッキーだな」  ラッシュ時間帯は特に混んでおり、ぎゅうぎゅう詰めだ。つり革や棒がつかめないときも多い。重心を下に落とし、踏ん張ると、「カーブがきつかったら、つかまってくれればいいからね」と言ってくれる。危ないと思ったらジェフリーの服のすそをつかみ、揺れに耐える。すると、彼が腕をそっと握って支えてくれるのだ。 「ありがとう」と小声で礼を言うと、大したことはしていないよと言うように、微笑みを浮かべ、「ケガはないかい?」と訊かれる。  電車の揺れにびくりともしない彼に比べ、すぐふらついている自分が情けなくて、筋トレをしようかと思う始末だ。  そう言えば、以前もよろけて、ぶつかりそうになっていたところを金髪の男性に助けてもらった。しっかりと顔を見る暇もなく、礼もそこそこに降りてしまったのが、後悔している。彼もモデルのようでかっこよかったのだ。 「そう言えば、前も金髪の男性によろけたところを助けてもらったんだ」 「もしかして、冬頃のことか?」 「ああ」 「俺だよ」  ジェフリーが自信を持って頷いた。 「あの時もありがとな」 「なあに、困ったときはお互い様だろ? 行先を言ったら、親切に教えて案内してくれたのが、すごく嬉しかったんだ」 「そんなことあったっけな」  言いながら、記憶をたどっていると、あっと口が動いた。確かに、いた。 「その頃から、ずっとナツを見ていたと思う」 「ただの学生だ」 「俺だって、ただの外国人だけどな。そう言えば、妹さんのテストはいつ終わる?」 「金曜日」 「泊まりに来ないかい?」  しばし逡巡した後、「来る」と言うと、目を輝かせた。 「楽しみだな」  会社最寄り駅がアナウンスされた。 「行ってらっしゃい、夏樹」 「行ってきます。ジェフ」  こうやって、一緒に通勤できるのもあと数日なのだ。胸の中が寂寥感でいっぱいになったのは、なぜだろうか。きっと、尊敬できる人と会話できる機会や朝のラッシュ時に気軽に会話する人がいなくなるのが、寂しいだけだ。      *** 「また、あなたですか?」  朝から営業先に行き、先輩一押しの店で昼食を摂り、雑用をこなしてまた営業先へ。バタバタしていて、ジェフリーと顔を合わせる暇すらなかった。だから、帰りの一瞬だけでもいいから、会いたかったのだ。  なのによりによって、エレベーターホールで秘書と会ってしまった。 「こっち、来てください」  小さな物置スペースに引っ張られた。 「オレたち余程仲がいいと思いません?」 「思いません」と断言した。一呼吸置いて、 「ジェフは私と付き合っていますからね。いつも覗きに来るあなたのことを鬱陶しがってました」  秘書の作りものの笑みが醜く歪む。冷たい視線と全然笑っていない目。なぜか、母親の顔がフラッシュバックした。 「それは本当か?」  視線が宙を泳ぎ、視界が回る。  秘書がジェフリーと夏樹を引き離す策を講じている可能性もある。けど、なんで。なんで、夏樹にあんなことをしたのだろう。欲求不満? にしても、ひどくないか?   今朝だって、あんなに仲良くしていたのに……。いいや、腹の中ではどう思っているのかは、彼しかわからない。でも、彼が嘘をつかなさそうな気がするのは、信じたいと思う気持ちゆえなのか。  ちゃんとお留守番していてね、と言って浮気相手と逃げ、自分たちを捨てた母もその時までは、いつも通りの母親だった。だから、余計混乱する。 「そうです。そう言えば、この前、社長室にいましたよね? 何してたんですか?」 「何って、ジェフに国語を教えていただけです」  探っている口ぶりだったが、「社長室」という単語を聞いた瞬間、顔が真っ赤になってしまった。すぐに、深呼吸をして「何もなかったです」とごまかした。 「とぼけないでください。ジェフがあんなにはしゃいでいるところをここ数年見たことがない。それに、ジェフは私のものだ。これ以上嫌われたくないなら、近寄らないでください。目障りなんですよ」  ため息を交じりの笑みがこぼれた。 「わかったよ」 「わかってくれればそれでいい」  傲岸不遜な態度に、深くため息をついた。新着メールが来たが、無視した。  訳わかんねえ……。  無視している間にも、三日にあげず妹や夏樹を気遣うメールを送ってくれた。適当な返事でも返事が早く、自分のことを大切にしてくれていると文面から実感できたのに、文字の羅列にしか感じられない。

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