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第6話

 それから、三日後。 「よっしゃあああ!!俺の婚約話無くなったぞ、遊ッッ!!」 「え、何、どうし……え!?」  ここは犬神さんの部屋で、昨日も一緒に寝ていて、犬神さんの声に驚いて思わず目を覚ましたけど……最悪の目覚めだった。  ――とうとうこの時が来てしまった。 「女の方も俺の居場所を探してたらしくて、ついでに俺と遊の関係も同時に調査したみてぇでさ、ゲイはお呼びでないって向こうから婚約解消を申し込んで来たんだとよ。ははっ、クソ親父ザマァねぇな!」 「そう……ですか」 「おう。――なんだよ、元気ねぇな」  元気なんて、出るわけない……。  だって僕は、犬神さんと離れたくない。  離れたく、ないけど……  やっぱり『行かないで』なんて自分勝手な我儘、僕には言えないよ。 「よし、一旦家に戻ってそれから広いところに引っ越すか!お前仕事はどうする?まだあの弁当屋で――」 「じゃあ僕はこれで、お役御免ってことですよね」 「……は?」 「婚約解消できて……良かったですね」  どうしよう。  また最初の時みたいに、犬神さんの顔がまともに見れなくなってる。  もうこれで最後なのに……。 「おい、」 「こ、こんな僕でも、貴方の役に立てて嬉し、かったです」 「おい、さっきから何言ってんだよ。こっち見ろ!遊!!」  無理、無理だよ。  おかしいなぁ僕、明良が出て行った時は笑って見送れたのに。  明良の前じゃ、絶対に泣いたりしなかったのに――。  すると突然、ガッと両腕を掴まれて僕はその勢いのまま犬神さんの胸に抱き込まれた。犬神さんの肌は温かくて……いい匂いがして……でももう二度と抱きしめてもらえないんだと思ったら、僕の両目は決壊したようにぶわっと涙が溢れた。 「遊、俺ちゃんと言ってなかったけど、お前のこと……好き、だぞ」 「……?」 「いや、つーか既にプロポーズしてんじゃねぇかよ!毎晩抱いてたし、俺の気持ちは十分伝わってると思ってたんだけど!?」 「何言ってるのかよくわかんないです……」  犬神さん、僕ってとても頭が悪いんだよ?  もう知ってると思ってたけど……。 「……っだからぁ、愛してんの!俺はお前を手放す気はねぇの!最初に胃袋掴まれたっつうか……うちの板前の懐石料理より、お前の作った平凡なメシを毎日食いてぇんだよ!!……つーか、お前の方はどうなんだよ。なんか俺ばっかりお前のこと好きみてぇ……くそっ」  本当に、犬神さんは何言ってるんだろう。 「僕は、犬神さんがいなくなったら死んじゃいますよ……」  僕の方が、犬神さんのこと好きに決まってるじゃないか。逆だなんて、もしもそんなことがあったら、僕は嬉しすぎてやっぱり死んじゃう。  でも犬神さんの顔……耳まで真っ赤だ。 「泣きすぎ。あとお前死にすぎ。簡単に死ぬ死ぬ言うな馬鹿、俺のために生きろよ」 「でも今僕、死んでもいいくらい嬉しいです……」 「まあ俺も、毎晩お前がエロ可愛すぎて死にかけてっけどな」 「え!?」   すると、僕の部屋の方から騒がしい声がした。 「遊兄ちゃん!兄ちゃんどこだ―!!」 「あ……明良!?」  僕の声が聞こえたのか、数秒後に犬神さんちのドアが勢いよくバァンと開いたと思ったら、バックパックを背負ったままの明良が立っていた。 「明良!」 「にっ、兄ちゃんが俺の知らない男と裸で同じベッドに寝てるぅぅ!?俺が出て行ってたった一ヶ月の間に一体何があったんだよォォ!?」  いや、明良こそ何故ここに……あ、帰省か。  とりあえず服を着て落ち着かせようとしたら、犬神さんが。 「おいアキラ、お前の兄貴は俺が幸せにすっから、お前はお前で大学生活を謳歌してろよ」 「!」 「あ、イケメンだ……どうぞ兄をよろしくお願いします」  明良は数秒で犬神さんに傅いた。  どうやらイケメンに弱いのは、兄弟揃って同じだったらしい。 *  とりあえず僕と犬神さんは服を着て、明良が落ち着かないからと隣の部屋に移動し、僕は三人分のお茶を淹れた。犬神さんがくれた高級なお茶で、僕のお気に入りだ。  お茶を飲んで一息ついたあと、ぼそりと明良が言った。 「――俺さ、兄ちゃんのこと毎日心配だったんだよ。俺が家を出たせいで、俗にいう空の巣症候群にでもなってんじゃないかなって……」 「!」  明良……やっぱり僕、お前に心配掛けてたんだ。  弱いお兄ちゃんでごめんね……。 「心配すんなアキラ。お前の兄貴はお前のことなんてとーっくに忘れて、俺と毎日よろしくヤッてたからよ」 「うわあ、実際に見ちゃったけど身内のそういう話聞きたくなかった」  うう、否定できないのが悲しい……でも事実だった。 「ま、まあそういうことだから……明良も僕のことなんて気にしないで、大学生活を思いっきり楽しんでよ!」 「兄ちゃん……」  うん、今度は心から言えた……。  今思えば僕、自分では笑って送り出したつもりだったけど、全然うまく笑えてなかったのかもしれない。そりゃあ明良も心配するよね。 「あ、それとお前らの部屋は引き払うから、戻ってきてもお前の居場所ねぇから」 「ええ!?」 「新婚生活の邪魔すんじゃねぇぞ、アキラ」 「ええええ!?」  ――僕はもう、二度とあの淋しい病気には掛らないだろう。  大好きな人が、僕のぽっかり空いていた心の穴を埋めてくれたから。 エンプティ・ネスト・シンドローム【終】

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