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第10話「疑惑」

花戸(はなど)主任とLIME交換しちゃった!」  その黄色い声が耳に届いた時、谷村はちょうど自らもスマートフォンを取り出し、既読がついたまま返事の来ないメッセージを眺めているところだった。 「え、うそ!絶対連絡先教えてくれないって有名じゃん」 「それがさあ――…」  キャッキャ、キャッキャと耳障りな会話は角を曲がり、あっという間に聞こえなくなる。 「なにやってんだ、あの人……!」  谷村は震える気配のないスマホを、力一杯握りしめた。  *** 「花戸さん、ご飯できたよ」 「もう?早いな」  ジャケットを脱ぎ捨て、花戸がいそいそとキッチンに回り込んでくる。  そして四角い皿にどんと盛り付けられた青椒肉絲から立ち上る湯気を吸い込み、大袈裟なほど深いため息を吐いた。 「すごい。美味そう……!」  谷村渉と花戸直也は付き合っている。  会社の新入社員とその教育係として出会い、紆余曲折を経て恋人関係になった。  もちろん社内では秘密にしているが、ひとたび就業時間が終わってしまえば、こうしてどちらかの住まいに立ち寄りともに夕食を作ったり、時には外食したり、そして時間と体力が許す日は言わずもがな、甘く熱い夜が待っている。 「ちょうど米も炊き上がったんで。冷める前に食べましょう」 「じゃあ、手、洗ってく――」  花戸の弾んだ声を遮るように、ブブブブブ、となにかが振動した。  ダイニングテーブルの端っこで光っていたのは、スマホの画面。  そこにLIMEの受信通知が表示されていたのを、谷村は見逃さなかった。 「悪い、ちょっとだけ待ってて」  いつもは気にもしない花戸が、今夜に限ってスマホを常に目の届くところにキープしている。  しかも、谷村との会話よりもそっちを優先した。  まるで、見られたくないなにかを隠すように。 「直也」  顔を上げた花戸が見たのは、静かな怒りを携えた谷村の冷たい瞳だった。 「谷村……?」 「あんた、女子社員をつまみ食いでもしてんの?」 「は……?」 「それ、誰?」 「誰、って――」  明らかに言い淀んでいる花戸の様子に、谷村の心の奥で激しい炎が一気に灯った。 「総務の原田さんとLIME交換したんスよね?」 「そ、それはっ……」 「いつから?」 「な、なにが……」 「いつから、あの女のこと好きなんスか」 「す、好き?」 「それともアレ?いつも俺に突っ込まれてばっかだから、女に突っ込みたくなった?」 「なっ……!」 「あんたも俺と付き合う前は、女とヤッてたんだもんな?」 「ち、ちがっ……」 「なにが違うんだよ、浮気者」 「う、浮気じゃない!」  花戸の爪先が二の腕に食い込み、谷村は眉を寄せる。  花戸は一層険しくなった彼の表情を喉を鳴らして見上げ、叫んだ。 「原田さんとは、ちゅむちゅむ仲間なんだ……!」  *** 「紛らわしいことすんなよ、もう……」 「ごめん……」  青椒肉絲を根こそぎさらわれ空になった皿を挟み、ふたつのスマホが、シャララーン、とキラキラした音を紡ぎ出している。  まったく同じなようで、実は谷村の方が音の一節一節が長い。  対する花戸は、人差し指を忙しくなく滑らせていた。 「ていうか、ハマるの今ってだいぶ遅くないスか?」 「しょうがないだろ。いざやってみたら思ったより楽しくて……あああっ!」  可愛らしい『タイムアップ』の合図と同時に、花戸がテーブルに突っ伏す。 「だめだ、どうしても百万点の壁が破れない……!」  奥歯を擦り合わせて唸る花戸の後頭部を見下ろし、谷村は鼻から息を吐いた。  蓋を開けてみればなんてことはない、数年前に大ブームになったスマホゲームの『ちゅむちゅむ』に今さらどハマりした花戸が、同じゲーム好きの彼女に「ハート送り合いませんか」と言われただけだった。  もちろん原田サイドとしては、それを餌に釣ったというのが本音なのだろうが。 「花戸さん指細いから、人差し指だとチェーン作りづらいんじゃない?」 「確かに、いつもいいとこで途切れるな……」 「チェーンは長いほどスコア上がるんスよ。中指でやってみたら?」 「ん、そうする」  花戸は頷き、だがすぐにスマホをロックしテーブルに伏せた。  そしてちょうどハートを使い切った谷村の手を取り、自分の頬に押し付ける。  愛おしそうに頬擦りされ、谷村の脈拍が乱れた。 「なんスか、急に」 「突っ込まれたい」 「はあっ……!?」 「から、突っ込んで?」  言うや否や、唇を奪われる。  触れるだけだと見せかけた口づけはすぐに深さを増し、谷村の視界から輪郭を奪っていく。 「はぁ……っ」 「ちゅむちゅむは?」 「後でやる。今は渉が欲しい」 「……もう」  谷村は呆れたように笑い、花戸の首筋に噛み付いた。  fin

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