居心地の良い抱きものは、もっとギュッとしていたくなる。 　鼻についた匂いもリラックス出来て、だけど眠りは浅い方だから――すぐに起きてしまう俺は愛しの佐倉 航大でも、ダメなのかなと察し始めていた。 　それでも手放したくないから、不眠症でもいいやとも思っているんだけど。 「んﾞん……んー……っ！くっそ重いなこいつ……！」 　もぞもぞと動く俺の下。 　好き過ぎて止まらない気持ちを抱いている俺は“抱き締めて寝る”ということ自体、初めてだからもっと眠りが浅いのかも。 　いや、でも、ドキドキしてなかなか寝付けないものはしょうがないよな。 　だって好きな人だし。 「はぁぁぁ……身動きできないこっちの負担も考えろよ……」 「……」 　目を塞いでいてもわかる外の明るさ。遮光カーテンでも昨夜はちゃんと閉まりきってなかったのか光が射し漏れている。 　あぁ、もう朝か……。もしかしたらお昼かもしれない。かわいい航大はあれからちゃんと寝れただろうか。 　かっこいい航大はあんな俺やこんな俺を見て、なにか思っただろうか。 　すごい航大は、俺を――。 「おいっ」 「んっ、ぐ……！」 　思い出したくもない昨日の再会に不安を募らせていた時、左の横腹から強烈な痛みが押し込んできた。 　紛れもない愛し過ぎる航大からの、拳。 「ゴホッ、ん……痛ぇよ、こた……」 「起きてるならさっさと退け。俺は風呂に入りたいんだよ」 　咳き込む俺を見てもどうも思わないみたいで、むしろもっとやってやろうか？と言いたげな声。 　朝一から慈愛対象である航大の声が聞けるなんて喜ばしい事じゃないか。進歩して、よかった。 　始まりがどうであれ、俺という存在をよく意識してくれてる航大にまた気持ちが大きくなっていく。だから俺は佐倉 航大がなにをやっても、笑顔で乗り切れる自信がある。 　極端な話、殺されても。 「……こーた、おはよ」 　夜中とあまり変わっていないポーズになんだか嬉しくなって、今でも繋がれてる手を握りながら耳の裏へキス。 「……っ、挨拶はいいから……てか嗅ぐな！」 　ついでに胸いっぱい航大の匂いを、と思って息を吸っていたのがバレてしまった。 　ほどかれた航大の右手をもう一度掴んで指先に口付けすれば、捩っていた体も大人しくなり、顔を真っ赤にさせて俺を凝視。きっと本人は『よく恥もなく出来るな』と思ってるに違いない。 　中学二年生になったあの春で、航大を見かけてからずっと。ずっとずっと航大だけを見ていたから。 　今になってはどんな事も出来る。なにもかも上手くいく人生とは思っていない。ただ、航大については、常に、 「……新垣、その手は自分の精液が付いてた手だぞ」 「そうだったな」 「なのによくも抵抗なく口付け出来るな……」 　若干……いや、かなりドン引きしている航大の顔はさっきまで赤面していたのが、あっという間になくなっている。本人が気付いていない感情の切り替えだ。 　照れて、引いて、怒って、泣きそうになって、ふいに見せた笑顔からまた引いて、怒って、ドン引く。 　可愛い、かわいい、可愛いよ。でも可愛いだけじゃなく男としてカッコいいし、心が広くて俺みたいな人間でも――受け入れてくれてるから。 　この先は嫌われたくないんだよなぁ。嫌われていい要素なんてたくさんあるけど、ここまできたら俺だって離したくないし、放されたくない。 　俺にたいする想いなんて、俺が欲しい情ではないかもしれないけど。航大のそばにいられるならさ、ずっと傍にいたいだろ。そんな脈があるなら、すり込んででも、居座りたいだろ。 　俺の隣は航大専用として準備万端なんだから。 「……」 「……はあ」 　そんな俺の考えなんて知らない航大は盛大な溜め息を吐いて、俺を見る。目と目が合い続けてる。見つめ合い続けて、いる。 　しかし、ここまで航大の瞳に俺が映り込んだ事がないせいで、つい逸らしてしまった俺。 　もったいない事をした……。 「にーがき」 「……あ、こた……っ」 　そんなもったいない事をした今、それは吉と出たらしい。賭けてもない賭けだが、そういう目が出たなら喜んで受けようと思った。 　航大が、俺の頬に手を添えてきて、目元を指でなぞってきたから。 　それと、そんな溺れるような声で俺を呼ばないでくれ。抜け出しにくくなる。 「目ぇ赤いな。泣き過ぎじゃないか？」 「……」 「俺からしたらどうでもいいことだし、喋りたくないなら喋らずこのまま退いてくれた方がいいんだけど」 　航大の表情は無。引きも照れも笑みも、怒りも、なにも含まれてない表情。けど、どうしてこんなにも愛しく思うかな……航大だからか。 「なにか吐き出せてスッキリ出来るなら、話してもいいぞ。俺、おかしいんだけどさ、お前がその調子だと――いつもよりすげぇ気持ち悪いとか思っちゃうんだよな。おとなしいから良いはずなんだけど」 「……航大」 「暗っ！……今のお前ほんと暗い！」 　親友だと言ってくれた。いつも絡むあの二人より遊ぶことはなかったのに、親友だと。 　親友の俺もちゃんと演じて、突き放せないようにしたのは紛れもなく俺なんだけどな。ここまで成功するとは思わないじゃん？ 「……そんな、深い話にはならねぇよ？」 　話がわからない航大は俺の言葉に首を傾げながらも頷く。 　かっわいいなぁ……。 　　　　＊　　　　＊　　　　＊ 　自由をくれる家。 　仕事で忙しい両親を理解して世話人である桂田と一緒にいる事が多かった記憶しかほとんどない幼少期。放任主義ともいえる親でも時間が合えば遊んでくれていたし、俺は満足していたから愛に飢えていたとかでもない。 　ただ、そんな自由からある日、一つだけ父親から――これだけは――と言ってきたことがある。 　それは小学四年生の時で、俺でもわかるように説明した進学校への道。勉強は五段階中、全て五を取ってるからそんなに慌てるようなものでもなかったため、頷いて安心する父親の顔を見ていた。 　全寮制だと聞いたのは受験を受ける数日前の事。さほど興味がなくて調べなかった俺も悪かったけど問題はなかったし、言われるがままにそこを受けて、合格すれば流れるような作業をするだけ。 　この時の桂田は気のせいだったかもしれないが、寂しそうな表情を浮かべていたと思う。 　だが、あの学校は正直いけ好かない場だった。そう思ったのは入学して夏の出来事。俺も含めて周りは裕福坊っちゃんの集まり。その中でも俺と王司、それと五十嵐という奴はなかなかだ、と木下から聞いていた。 　なにを思ったのか同じクラスメイトからいらぬターゲットにされた俺は、俺の金を使って遊ぶという目に遭う。 　自分等も金を持っているはずなのにそれ以上もそれ以下も使えないからといって、自由に使える人間を目当てに『一緒に遊ぼう』なんて言うんだ。 　最初は疑わず素直に遊んでいた俺もさすがに気付く。 　だからといってなくならない金を見ては、そいつ等に出して、挙句の果てには俺の金を奪って遊びに行く姿を何度も見た。 　周りのみんなは見て見ぬフリして過ごす毎日。だからといって苦痛かと聞かれたら、苦痛ではない。――なくならないんだ、金は。成績も維持していたから寮の部屋は一人部屋で過ごしやすい。 　苦痛じゃない。 　奪われるからといって想像するようなカツアゲではない。 『財布を忘れたからちょっと貸してくれー』 　ヘラヘラ笑う顔。 『あ、いくらか足りねぇわ……頼むっ！』 　必死こく態度。 『うわぁ……めちゃくちゃこれ欲しい……』 　汚い目で誘うもの。 　苦痛じゃない。 「よっ、新垣」 　そんな日々に飽き飽きしていたころ、周りの噂や情報をよく知る木下が話しかけてきた。 　初夏でやられる気怠さに素っ気ない言い方で返事をした記憶があるけど、木下は気にせずくだらない話を続けるだけ。俺の状況を、よく知ってるくせにくだらない話を続けるだけだった。 　励ましの言葉を待っていたわけでもないけど、あまりにもくだらな過ぎて笑うに笑えない。――だって、男同士の恋愛なんて興味ないし。 　自分は腐男子だと説明してきた木下に曖昧な相槌で返事をしながらも、こいつは飽きずに毎日喋りかけてきてた。決まって、金を取られた直後で。 　毎日、毎日、毎日。金と男同士と金と財布代わりと金と男同士と、イラつき。 「殴られないだけマシと考えればいいんじゃないか？」 「……」 　笑顔で言い放った木下から急に護身術というものを俺に教えてきたのだ。なにかあった時のために利用できるかもしれないぞ、と付け足して、簡単なものから。 　それからも変わらぬ毎日を過ごしていた。木下から教わった護身術なんて使うまでもなく、それ以外にも空手をやっていたためなにも心配することなんてない。 　簡単に済むなら護身術の方がいいかな、と思う程度で、あいつ等が暴力で俺を動かそうなんて空っぽな考えをするわけがないんだ。 　わかっていたんだけど、たぶん木下の心遣いが嬉しかったんだと思う。だから毎日のくだらない話を適当に聞けたんだと、思う。 　そこから変わったのは、まる一年経って二学年に上がった時期。クラスは変わらずその時までは俺の状態も変わっていなくて、毎日なにも思わぬまま過ごしていた。 　財布代わりとして俺を使う一人と、もう一人の男から『放課後、どっか行かないか？』と誘われて、つまらない日々になにも気にせず予想出来る放課後で俺は頷く。 　普通の中学生じゃないここの生徒は、普通の中学生よりも豪快に遊ぶから。 　ゲームセンターで使うだけ使って、飯も食べるだけ食べて、本屋に寄っては漫画を何気なく渡されて――俺が買う。 　別に、どうでもいいから買うんだけど。 　本人達も気付いているイジメに俺が口に出さないだけで毎日が過ぎるんだが、これでも感謝してるつもりなんだ。 　苦痛だと思わぬ日々はつまらぬままで。遊びに誘うのは俺の金を使うだけ。 　けど、こういった生活をしていなかったら、会えなかったから。 　一人が『コンビニに行こう』と言った。あんだけ食べたのにコンビニかよ、と笑うもう一人に俺はなにも言わずついて行くだけ。 　あー、今日の夜は雨でも降りそうだなぁって。他の考えをしてたっけ。 　歩く道の途中にちょうどコンビニを見付けた二人は人懐っこそうな顔で俺に『行こうか』と口にして向かう。その、行こうかの一言は俺からしたら『買えよな』に聞こえてしょうがない。 　買うさ、買ってやるよ、そんな安もん。 　地味に来た怒気に心を落ち着かせる余裕もなくなって、この時初めて――どうしてこんな学校に入ったかなぁ――と思った。暴力よりも〝ツラさ〟がある、と。 　カゴにぽんぽんと入れる姿。立ち読みでエロ本の未開封を覗こうとする姿。楽しそうに笑って、終わったら俺にカゴを渡してコンビニから出る姿。……とっとと買って寮部屋に戻ろう。 　外で待つ二人を呆れた目で見たあと店員の前でドカッと置くカゴ。この一瞬で全てを察したらしい店員はあたふたしながらもバーコードを読み取っている。 　増える数字を見ても、なにか思う気持ちになれずカウンターの隣にあるホットスナックを見ていた。 　その時、勢いよく入ってきた客。二人組で、一人はガムと飲み物を持ってカウンターにやって来た。同時に店員の『2801円でございます』という声にハッとしては、やっぱり安すぎる、と思って財布を鞄の中からあさる。 「航大！お前はやく！電車間に合わねぇよ！」 「うっせぇ伊崎！待ってろ！」 　あぁ、後ろで他の客が待ってる。はやくしてあげないと。 　それなのに見付からない財布に焦った。――これはヤバい、どこかで落としたな……。 　だからといって俺と来たあの二人に財布を落とした、と言うのは癪に障る。さっきのイラつきがあったせいだろうか……こんな安い値段ぐらい、あいつ等も払えるだろうに、なぜか言いたくない気持ちが俺の中で表れる。 　急いでる子がいるのに……。 　しょうがない、あまり使いたくなかったがここはカードで払おう。明細が親のところに届くからあまり使いたくなかったけど、財布を落とした理由で使った事にすれば解決するだろう。 　そもそも聞かれるかも怪しいんだけどな。 「あの、まだですか？」 「……」 　突然、横から出てきた、待ってる人。 　学ランで身をつつんだ人はこの辺の学校に行ってる人じゃないと考える。でも焦りのせいでドキドキしてて声が出なくなってる俺は、よほど小心者らしい。 「いや俺マジで急いでるんで、あ、これ一緒にお願いします！」 　店員に渡すガムと飲み物にまたあたふたしながら追加でバーコードを読み取ったあとに言い出す『3044円でございます』――増えてる。 　その値段に待っていた人は大きな声で『たっけぇな！』と言っては、また違う人――おそらくこの人と一緒に来た人――から催促で“航大はやくしろ！”と言われていた。 　あぁ、カード。カードを出して払わないとな。この際だから知らない奴のぶんも払おう。迷惑かけてるし。 　なのに――。 「はい、ちょうどいただきます。こちらがお客様の商品です」 　店員は、俺にレシートと、すでに袋詰めにしてあった物を俺に渡してきた。 「はっ……？」 　気付いた時にはさっきまでの子がいなくて、出入り口を見たら『すげぇ高かったわ。でも帰れなくなるから払っちゃった』『お前本当にバカだな！親になんて言うだよ！』という言い合いをしながら走ってどこかに行ってしまったのだ。……払ってくれた。 　はっちゃけ過ぎた行動を目にしたあと、俺の日常が崩れ去っていったような気がして、 「……あ、桂田。俺。財布落としたんだ。――それと、調べてほしいものがある」 　ドキドキした。