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はっぴーリッチな想像性
「……マジでいい加減にしてくれよ」
はあ、と息吐く俺の幸せは北風とともに青空へ消えていった。
十月ももうすぐ終わるこの時期は一気に冬到来で寒い。寒過ぎて回らない頭は余計に回らないし動く体も動かせず毎朝、辛い。夜も寒くてツラいし、どうすればいいのかわからなくなる。
待ってましたの冬休みは一ヶ月半も先。なにか楽しみがあるといったら、加藤と伊崎の三人でくだらない話をしてるくらいだ。
あぁ、でも最近は七生もいるか。あいつがいると問題児かのように嵐を呼んで勝手に一人で去るからなぁ……こんな毎日がツラくて憂鬱な日々を送っているなか、俺の中でさらにを増す“ウザさ”が紛れ込んでいる。
「航大」
教室の窓辺に、椅子の上で胡座をかきながらボーッと空を見ていると誰かに声をかけられた。
休み時間は始まったばかりだ。加藤や伊崎がやって来ると思いきや飲み物の話をしていたから、たぶん買いに行ったんだろ。だからその二人の可能性はない。
かといって七生も有り得ないな。
俺の事を航大なんて呼び名を変えてたけど、違う。
つーか本当は知ってるんだけどさ。俺に話しかけてくる奴なんてあいつを殴った以来、悲しい事に減っているし。
クラスの奴等なら、アイツじゃなければ俺は俺のままだっつの……なにをそんな警戒してるんだよ。
振り返りたくもない声先に長々と愚痴をボカすのも許してほしい。
だって俺の後ろに立ってる奴は、新垣 元和だし。
「航大、今日はドーナツでも買って帰ろう?それで昨日借りたDVDを観よう」
「あー」
この馴れ馴れしさは、新垣にとって耐久性のある精神持ちというか……俺は両親を心底恨んだというか……。思い出してほしい。
周りを気にせずイケメンで爽やかで男子校にもかかわらずみんなの人気者な新垣 元和を、平凡でなんの取り柄もない俺が殴ったあの事件の日を。
新垣の家で世話になる最後の日だった。
なにもかも吹っ切れた俺が、そのまま夜を迎えて、朝になれば自分の家に帰れる。そんな流れになる予定だった。
しかし、どっかの偉い架空人物様達――神様――は俺に罰をあげたらしい。
新垣を殴ったからか、蹴ったからか、血を垂らしてしまったからか、唾を吐いたからか……その他もろもろとあり過ぎて罰という天罰がわからないほどの事を俺はやっている。――やっていた?
どっちでもいい。
最終日の晩、念には念をで俺じゃなく、新垣の腕を縛って一緒に寝ようとした時。ドアからコンコン、と二回のノックが聞こえて『桂田です』と声をかけてきた。
NI-GAKIメーカーの社長、という名を持つ新垣の父親の秘書、兼、新垣 元和の世話係としてあのバカでかい家で住み込みしている人だ。
俺からしたらもう執事なんだけど、そんな桂田さんがやって来て新垣も迷わず、俺ですらカッコいいと思うような声で返事をした瞬間、ドアを開けては『航大様にお電話です』と子機電話を渡してきた。
腕を縛られてる新垣をチラ見しつつも、とくに気にもとめずに頭を下げては部屋から出て行くという最強のスルースキル持ちな人だったんだけど……ここからだったんだ。
俺の、寒くて震えるようなツラさに耐えなければいけない毎日のさらにを増す“ウザさ”が誕生したのは。
子機電話を耳に当てれば遠慮なく新垣も近付いて来た。
これぐらいなら殴るほどでもねぇな、と思い、俺はそのまま『変わったけど――』と電話の相手に話しかける。
すると母親で、――あ、航大?ごめんね、こんな夜に!もうしばらく楽しみたいから元和君の家なり伊崎君の家なり、頼ってくれない?――って。
ちなみに伊崎の家には連絡済みで軽快良く返事を貰ったらしい。
どこまでも計画的な人だ。もしかしたら親父が案を出して母さんが連絡したのかもしれない。というか会社は大丈夫なのかよ。この期に及んでずいぶんと余裕があるんだなぁ、両親達はさ!
ま、こうなってしまったからにはしかたがない。新垣も新垣で絶対に聞こえただろうよ。口元ニヤケてるし。
気にくわないと感じた俺は寝かすように、うなじにめがけてチョップをしてやれば案外にも効いたらしく倒れていった新垣。
それが……もう、何日前なんだ……。
両親からの連絡と言えば三日に一回、写真が送られてくる元気な二人の姿。というか、もうそこはオーストラリアじゃなくて、オーストリアに移動してたからビビったよ。
新垣もその写真を見るんだが、一言『あれ、ここってオーストリアだな?オーストラリアに行ってなかったか?』って言うもんだからさー……。
新垣に頼んで調べてもらったら本当にオーストリアに移動して楽しんでたみたいで。
俺はもう、なにも言わないぞ……。
走馬灯とはまた違う蘇りに俺は一つの溜め息をこぼして、新垣が言っていた事を考える。
なんだっけ、ドーナツ買って昨日借りたDVDを観る?――そうだよな。新垣の家で世話になりっぱなしになってしまった今、馴れ馴れしさも出てくるよな。そりゃそうだ。
でもなんだよ、そのデートの誘い方みたいなノリ。俺デートとかしたことないし誘ったことも誘われたこともないけどさ。
なんだよ、そのノリ。
「期間限定で梨のドーナツも出てるって」
「……いや、確かに俺は梨好きだけど、ドーナツに合うか?」
「どうだろうな。でも買って食べて美味かったら、美味いもん見つけたって事で良いだろ」
不意に隣へ座ってきた新垣。近過ぎる距離で殴りたくなったものの、必死過ぎる真っ直ぐな気持ちを無下にするのもどうか、と……。
我ながら大人っぽい考えに回して近くにいる新垣を嫌がらず、放課後の過ごしを頷いた。
ドーナツを買って、DVD鑑賞な……俺的にはバーガー系のファーストフードが良かったけど。なんでドーナツなんだ。
「まあ、いいか」
「ハンバーガーとかの方がいいか?」
「いやドーナツで!」
こうも気持ちを読み取られたりするとやっぱムカつくな!
というか、この数日間は最初の一週間よりも過ごしやすい日々を送っていたりする。
そもそもあの一週間が濃すぎたっつーか……あんなの来世でも経験出来ない時間だ。
ストーカーから始まり、いつ撮ったのかわからないアルバム集や精液をサラダにぶち込まれるとか、俺が使った物で自慰行為をして満足する姿を間近で見ちゃうとか――学校の奴等みんなの前で、新垣 元和を殴ったりしちゃうとか。
むしろ来世でもやりたくない、やらなくてもいいものだった気がする。今の方がいいに決まってる。
しかしよくもまぁ、あんな変態的な思考に至ったもんだ。男としてなら尊敬するかもな。……実行まではしなくていいのに。
「ゴフッ……!まっず!やっぱ不味いじゃねぇか!」
「おい、大丈夫か?ほら、飲み物」
誘われてから時間は経ち、加藤と伊崎からの帰りは断って新垣とドーナツを買いにいけば、本当に梨のドーナツがあり、少し期待してしまった。
そんな自分を殴って他のドーナツを選べばよかったのに、期待してたからしかたがないよな。
なんとも言えぬ味。梨の風味は確かにあっても中に入ってる……餡、か?
白餡となかなかマッチしない仕上がりになっていて……ここのドーナツ屋の開発者達はよくオッケーを出したな。味覚おかしい奴等ばかりなんじゃないか?
なんて見ず知らずの大人をボロくそに言うばかり。
菓子類の甘いものなんてそんなに好きではない俺から言わせてもらうと、やっぱりなんでドーナツを買おうってなったんだよ、新垣。
「さらにカルピス……」
渡された飲み物はお茶ではなくジュース。甘さスッキリとデカデカ書いてあるペットボトルのラベルに思わずギュッ、と握り締めてしまった。
でも口の中に広がる後味の悪さをカルピスで消してくれるなら、甘かろうが酸っぱかろうが我慢は出来るだろう。
梨と白餡は意味がわからな過ぎる。
「俺のパイ食う?」
「食う」
あまりの勢いに飲み干しそうなほど喉に流したカルピスは、それほど美味くなかった梨ドーナツだったということで察してくれ。
新垣が選んだドーナツはもはやドーナツではなかった。ミートパイという普通の、甘くないもの。
じゃあなんでドーナツ……と、考えを繰り返しててもしょうがない。
ゴールがなければこれは放棄するしかないし、ゴールを作る気もないからやっぱりそのままにするのが一番なんだ、と俺の中で考えることをやめた一分前。
目の前にやってきた新垣のミートパイはまだ口にする前の、まるまる一個のパイだ。
それでいて俺が一口齧った梨ドーナツの行き先は、新垣の目の前。
もしかしたらこれが狙いだったのかもしれない。――し、もったいないという金持ちながらの気持ちがあったのかもしれない。
もう度を超えてない言動ならなにも言わねぇよ。
たとえ新垣の目だけでもわかる、このペットボトルのカルピスを欲していてもさ。なにも言わない。
俺なりの優しさで後味の悪さが消えかけたころ、飲みかけのカルピスを新垣のそばに置きながらパイを口にする。嫌でも視界に入る新垣の姿は、動かずペットボトルをジッと見ていた。
たぶんだが、普通の新垣 元和として見ると俺はこいつから離れないと思う。
それこそ親友新垣だ。こいつといるのは楽しいし、気を遣って、だけど気を遣わずのラインを理解している親友新垣を見ると、どうも絶交まではいかないらしい。
まあ佐倉 航大という俺だから新垣は理解してくれてるんだけど。そこはきっと“恋で愛”を持った新垣が存在している。
第三者的な立場だったら同性愛とか、そういうのに嫌悪感はないんだけど。
俺自身だもんなぁ……つーか語ったところで今さら戻れなそうなところまで来ちゃってる感じが否めない。
マジで変態過ぎる変態新垣だけ、いなくなってくれればいいんだけど。
そうすれば俺だって、俺自身、男同士と向き合えるかもしれないのに。――そうやって遠ざけてるのは新垣自身だ、って気付かねぇのかな。
「こーた」
「なに」
耳にこびれつくような声に、ええ……どこでそうなったんだ……なんて心が折れながらも現実ではしっかり座ってて寝転んでいない俺。
忍耐なんて結構前からついている。
「……このカルピス、貰っていいのか」
ミシ、とペットボトルから出た音とは思えない音が部屋に響いた。
それを見なくても、新垣が握り締めたんだろうなっていうのはわかる。
俺が口付けたあのカルピス。俺なりの優しさであげたつもりのペットボトル。それをずっと見ていた新垣は下手な行動をしちゃいけないと判断したのか、ちゃんと俺に許可を貰う形で聞いてきたのだ。
この数日でよくここまで成長したもんだ、新垣くん。
「まあ、いいけど」
そこまで考えてスマホを手にしながらパイを食い、一言。
俺はもう飲まないし、あげるあげる。そのペットボトルで普通にしていようが異常な行動を取ろうが新垣の自由だ。どの新垣が出てくるのか……それは少し見物でもあるが俺の気分が悪くなるようなものだったら目逸らし耳塞ぎをして別世界に行けばいい話。
俺も俺だ。
この数日でよくここまで技を磨いてきたもんだ。褒めたい。褒めてくれ。
とくにすることがなくなってきた今、新垣が選んだパイがすげぇ美味いと思いつつ借りてきたDVDを観ようと、手に付いた汚れをウェットティッシュで拭き取る。
そのまま伸ばした手はDVDのケースを掴み、パソコンのプレイヤーへ差し込んだ。
これでモニターを利用して観るんだとよ。俺の部屋を隠し撮りしているモニターで。
新垣はあまり大きくないから観づらいぞ、とか言っていたが俺からしたら十分なものだ。凡人なめんなよ。
「またラブストーリーとか気持ち悪いな」
「……」
借りてきたものだからケース自体にあらすじはないものの、借りてきた店内で確認してきたものだからあらすじやジャンルはわかっていた。
借りる寸前まで俺はアクションものとホラーで悩んだところだが、先に新垣がこのDVDを持って待っていたから『あ、決まったのか』と勝手に思って悩んでいた二本のDVDを棚に戻してしまったんだ。
よく考えりゃ新垣なんだからどっちも借りてくれるよな、って思ったけど。
ずっと黙りこけている新垣。イマイチ、パソコンの操作がわかっていない俺は肩を叩きつつ顎を使って再生させた。
座る位置は変わらず、新垣も新垣で再生されたモニターに目を移すのかと思ったら、まだ見続けるカルピス。ペットボトル。それとたまにクソ不味い梨ドーナツ。胡座をかいて、手は膝の上。
どこかおかしい新垣……と思ったが、いつもこいつはおかしい人間だったわ、と自己完結してしばらくDVDを観ていた。
なんかよくわかんねぇけど、身分違いの二人が駆け落ちしてそこから幸せまっしぐらな生活まで進んでるけど――つまらな過ぎて欠伸が止まらない現状だ。
食べきってしまったパイもないから手が空いている。
これを選んだはずの新垣も観ていないとはどういうことだ。というかなんでこれをチョイスしたんだ。
まさか身分違いって俺と……ってそこまでじゃねぇか。違うな。違うことにしておこう。
「航大」
「なに」
もうこの掛け合いも日常になってきたな。俺を呼ぶ新垣に、その返事をする俺。
やっぱり俺は優しい。優し過ぎて優しさの使い方を間違っている気がする。……が、気にしないでおこう。当分は誰彼にこの“優しさ”を発揮することはないだろうし。
「ちょ、ちょっと、抱きたいんだけど」
「……」
「……」
いや、なんで。
「お前ってさ、どういうタイミングで口調が変わんの?」
あとどのタイミングで『あ、今抱きたい』ってなったんだよ。
俺そういう気持ちになったことがないからわっかんねぇわ。彼女とか出来た事ないし、今の学校の男相手にも思ったことない気持ちだし。わからねぇなー。
「いや……最初か、「ぶっころーーーーす」
「……」
俺の目を見ない新垣と、新垣の目を見ない俺。
おそらくこれは冗談か。俺のぶっ殺すも心にこもっていない言葉として受け止めたか。そう感じ取ったならそれはそれでいい。
いいか、度を超してなきゃ俺はなにも言わない。言ったってしょうがねぇんだから。
学ぶって大切だ。
「もうお前なんでそんな考えなんだよ。一日中俺を抱きたいだのなんだのって考えてるのか?つーかDVDを観ろ。くそつまらな過ぎてどうすりゃいいんだ」
「だって俺は航大が好きだし。好きな相手を一日中考えてる事はいいことだろ?それ以上のコトをやりたいと思うのもいいだろ?むしろそう考えない方がおかしい。俺はそう思う。こーたが好きで愛してて……まあ欲を言えば、好きになってほしいけど、でもそれは贅沢過ぎることだろうから、せめてなにかで繋ぎ止めたくて――、」
「その繋ぎ止めるやり方が新垣のチンコと俺の尻穴って、おかしいだろ」
DVDなんてもうBGMだ。
やっと目があった新垣の顔はしょぼくれた、だけど必死こいてる顔で少し笑える。だけどやっぱりこいつの頭は変わらず変態新垣や執着溢れる必死な新垣が出ているせいか、今の新垣を好めずにいる俺。
その場の笑いで親指と人差し指で輪っかを作る左手に、右手で人差し指を通してセックスジェスチャーなんてものをしてみるが、クスリとも声が響かない。
これは後者である、必死か。
「……好きな相手を抱きたいなんて、普通だぞ」
「新垣の好きレベルが俺のなかではまだ範疇外なんだよ」
いじけているのか?
これまでにされてきた事を振り返ってみれば、かわいいものだけど。
「どう考えても俺が新垣を好きになるなんて、努力しないと実りもしない儚さだろ」
「だからそれは贅沢なものって――」
「本当は知ってるんだぜー?最近の飯、てめぇの精液が混じってるってこと」
「……」
『なあ、そんな相手をどう見て好きになれってんだよ』
最後に付け足して耳をツーン、と引っ張れば意外と痛かったみたいで顔を歪めていた。
歪めてはいたが、アホみたいな性癖を持っている新垣。なんで勃起しているのかが、わからない。
それこそ最初からなのか。いや、俺も新垣の股間ばかりみていたわけでもないが、さっきまでは別に普通だったはずだ。膨らみもなかった。普通の胡座かきで俺と接していたはずだ。
じゃあやっぱり今の耳効果か……。尊敬したくなるほどだな。
「もうあんなの嫌がらせとしか思えないだろ。なに、俺が知らないとでも思ったか?ちゃんと食ってたから?だとしたらバカじゃねぇの」
「ご、めん……」
「そのごめん。実は本気じゃないだろ。またやろうとしているんだろ?俺って可哀想じゃね?なにが楽しくて悲しくてウケて男の精液入り飯なんて食わなきゃいけねぇの?つーか俺も腹減ってたからって食ったのも悪いか……勘違いさせたか?ならそれは謝ろうか。てめぇとは違う、心のこもった謝罪で。なんなら、嫌がらせがありつつも世話にはなったから、出て行こうか」
「まっ、待てよ……っ、もうしない。もうしないから、しないから出て行くとか……」
「嫌がらせについては反論しねぇの?変態プレイに付き合うほど俺もおさまりが利く男じゃないんだけど。なあ、俺がここまで吐いてるってことは、そうとう我慢していたってこと、わかるか?わかるよなぁ?だってお前、俺以上に俺を知ってるストーカーだったもんな?――な?」
立ち上がって本気で考える俺の家帰り。荷物は多くなってきたような気もするが、基本的に学校類の物をとりあえずまとめて出て行けば解決するだろ。
財布とスマホなんてポケットや学校指定の鞄に入ってるんだからさ。親もそろそろ帰ってくるだろうし、長い目で見ても一週間以内と予想しよう。
それこそ伊崎の家に邪魔したりするのも一つの手だ。俺一人だって大丈夫なわけで、家がなくなるほど家事不器用でもない。
だけどその考えが顔に出ていたみたいで足に縋ってくる新垣が単純に、気持ち悪い。
「こ、た……!」
「あ?マジでお前みたいな変態は消えた方がいいと思うぞ。――新垣 元和なんて存在しなければ俺はこんな目に遭わなかっただろうし、今でも素敵な平凡ライフを送っていたに違いない。あ、そうだ。お前あれだ。俺が好きなら俺の言うこと、聞けるだろ?」
自分でもどんな顔をしているのかはわからない。言えるとしたら口角が上がっているから、笑っているんだろうな。笑える状況らしい。
その場で言わなかった飯の件は、俺も確かに悪いのかもしれない。勘違いをさせるような行動だ。そもそも俺も知っててその飯を食べること自体、おかしいものだと気が付いていたけどさ。
「もう消えちまえ、変態くーん」
そう言ってとりあえずトイレにでも行こうと、再生中のDVDにもかかわらず見向きもしないで廊下に繋がるドアへ足を運ぶ。
まあ、そろそろ本気で家に帰ることを考えてるのは確かだ。
「――はッ……!ん、ふぅ、はあ!んぐっ、」
あ?
「はあッん……こ、た、ひぅ……!」
「……」
次はなんだ。ここでシコるのか。
あそこまで言ったはずなのに、俺なりの精一杯な言葉だったのに、それにもかかわらず新垣 元和は反省もしないで勃起していたモノを擦るのか。
本気の本気で今後一切近付かないぞ。
と、思っていた。思った。決め込んでいた。つい、数秒前まで。
「はあはあっ、けほ……んんぅッこー、た……はぁッ」
「……まじかよ」
呆れた様子で振り返ってみれば、俺を追おうとしたのか座っていた体勢というより、立ち上がる一歩手前だったみたいで、膝立ちからの床に手を付いて口をもう片方の手で塞いでいた新垣の姿。
その姿を見ただけでわかる苦しさに、一気に俺の中で呆れが吹き飛んでは思い出す光景。
あれって、過呼吸だっけ。
また厄介なもの引き起こしたな、こいつ。
俺か。俺が原因なのか。……結局、厄介なものにはかわりないな。
また新垣に近付いた俺は背中を擦りながらしゃがみ、テーブルの上に置いてあったドーナツの紙袋を取った。
口を塞いでいた新垣の手を退かし、紙袋を与える。添えるだけでもちゃんと紙袋と口元は離れずに落ちなかったことを確認したあと、そのまま擦り続ける新垣の背中。
中学の時に一度、同じクラスではなかったが持久走大会で同じような息の荒さで倒れた奴がいた。結果的には過剰運動でおこした過呼吸だったらしく、先生達もそう判断したのか対処法を見ていた俺は、今になって役に立っているから驚きだ。
でも、こいつは別に運動をしていたわけじゃない。ならば精神的な問題か?……やっぱり俺のせいかよ。新垣ってずるいなぁ。
別にいいけどさ。
「新垣、にーがき?」
「はっ、はっ、はっ、こた、ん、」
「いるっつの。とりあえず落ち着くことに集中しろ。そんな掴まんなくてもいいから」
喋りたくても喋れないらしい新垣は俺の服を、シワが出来るんじゃないかと思うほどの力で握りしめて動けないようにしてきた。
背中を擦って、紙袋を手で添えるだけでいっぱいいっぱいになってる俺はそのまま動かず、胸元に頭を押し付けるかのようにくっついてくる新垣へ、不安にならないような言葉をかけ続ける。
「にーがき落ち着けー。まだ帰らねぇよ。ここにいるから、余計な事は考えるなって」
「はあ……ん、ごほっんん、はッ」
「……ほら、ゆっくり呼吸してみろ」
吸ったり吐いたり。俺の言った通りを実行しようと紙袋の音を聞けばわかる落ち着きように、少し安心しながら様子見。
あまりあてすぎると窒息なんたらで再発するとか聞いた事がある。今のこの過呼吸はどこまでのレベルなのか知らないが、やっぱり厄介なものだから再発とか、困るだろ。
区切りのいいところを見合わせて紙袋を離し、だけど背中の擦りは続けて、次に服を握る手を上から握り返す。
「手の痺れは?喋らなくていい、頷くとかでいいから教えろ」
涙目になっている新垣の顔を覗き込むようにすると、そうとう苦しかったのか充血までしてやがる。体の震えもあってこれは痺れてるな、と勝手に判断した俺は手の方も撫でながらほぐしていった。
握られてる力は変わらずとも息の荒さは最初よりだいぶ落ち着いてきているのを見て最後、頭を撫でといた。
その時、ちょうどいいタイミングでこの部屋のドアがノックされて、続くように俺の親から連絡があったという内容を伝えてきた桂田さん。
なにも返事が出来ない新垣に、俺がかわりに声を出せばよかったんだが、ここまで〝バカ〟が引き起こす状況はそうそうにないだろうよ。
わかっていた新垣の気持ちを追い詰めたのはこの俺だし、今ここを離れたらさらに面倒になるのが目に見えている。
やる事は大胆なくせして繊細とかめんどくさいだろ。俺が過呼吸になりたいぐらいなのに、俺は俺でメンタル強過ぎだろ。
俺が思ったように、忍耐も育ってるからだろうか……くそ、運の悪さが目立っているな。
「あれ、さっき帰ってきてた気がするんだが……」
微かに聞こえたドア越しの桂田さんの声。新垣も俺も、声を出さないからだ。
新垣のちょっとした呼吸ぐらいで廊下に漏れるわけもないこの部屋。動かなければ気配も感じず誰もいないと思ってもしかたがない。
居留守、といえばいいか。桂田さんごめん。いるけど今は無理だ。今だけ、無理だ。
「……冗談抜きでそろそろ親は帰ってくるだろうよ」
「……ん」
しばらくして桂田さんも、新垣と俺がいないと思ったのか部屋の前を去る足音が聞こえた。
喋れるようになった空間に、俺はまだ新垣の頭を撫でている。
「だから、素直に帰る。まあその時だけど」
「……」
「……別に、今日明日で帰らねぇよ」
頭を撫でていた手。痺れをほぐすために触れていた手。
二本しかない腕はこれが限界だ。他になにをしろっていうのか。というか俺の介抱に限界がきている。腕の本数の話じゃない。
俺の知識に限界がきている。
解決に近い終わりが見えてきた今、新垣のコントロールが出来るのって俺だけなんじゃないか?とも思うようになってきてるから――俺も異常なのかもしれないな。
「こーたっ」
「おい……くそ、今だけだぞ」
だいたい動かせるようになったらしい新垣は俺の背中に腕を回して、顔を胸に埋めてきた。
必然と俺も高さ的に頭を抱えるように抱き締める事になるが、ここで引いたらいけないと俺のどこかで警報が鳴っている。
くそめんどくせぇ……タオルでも手錠でもなく、こいつの腕で縛られてると思うあたり、めんどくせぇ。
「やっぱ好き……航大」
「もうわかったっつの。喋んな」
まあでも、それ以上に、俺の中でわからないなにかが芽生え始めたとしたら――それはまたその時に、正面から新垣と接してみようと思う。
* お し ま い *
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