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第6話

「…これ、落としましたよね」 目の前に、先程落とした筈の携帯電話が差し出される。 顔を上げれば、黒いスーツを来た二十代前半くらいの若い男の人が立っていた。 泣いていることに驚いたのだろう、彼は俺の顔を見ると、はっと息を呑み、困ったように眉の端を下げた。 「…え、えっと、…あの……」 彼はあたふたしながら、そうだ、と持っていた鞄の中に手を突っ込む。 「…良かったらこれ、使って下さい」 そう言って鞄から抜かれた彼の手には、黒いチェック柄の綺麗なハンカチがあった。 受け取ると、微笑んだ彼と目が合った。 薄い色の、吸い込まれてしまいそうな美しい瞳に、とくんと胸が高鳴る。 「…兄さん」 無意識に、手を伸ばしていた。 固まる彼の腰に手を回して、ぎゅうっと抱き寄せ、その耳元に口を寄せる。 「……お兄さん、オトコには興味ある?」 「え…?」 ーー欲しい。 兄さんの温もりが、今すぐに。 は、と目を見開いた彼に、目を細めて、笑いかける。 「携帯、拾ってくれてありがとうございます。お礼がしたいので、良かったら少し付き合ってくれませんか」 ◇◇ 「…あ、っぁ、ん、…」 誰かの手が、俺の身体を弄る。 敏感な部分をくりくりと刺激されて、びくりと身体が跳ねる。 『…湊』 目を閉じれば、兄さんが現れた。 兄さんは俺の名前を囁きながら、俺の身体をゆっくりと愛撫する。 社会人になって働き始めても、俺の世界は兄を中心に回っている。 まるで地に深く根付いた木のように、あるいは深くまで埋め込まれた杭のように。兄という存在は、自分からは引き剥がせない。 『湊…』 「は、っあ…」 今日もまた俺は、兄さんを求めて、名前も知らない誰かと身体を重ねる。 ーー俺は、多分一生、兄という呪縛から逃れられない。 『…好きだよ、湊』 「俺も、…好き」 ーー小さくて脆い、砂の城。 そこは、俺だけの城。決して光の差し込むことのない、牢獄。 その中で俺は、兄という冷たい鎖に縛られながら、まやかしを抱いて、束の間夢を見る。 それは、甘美で濃艶な幻想。純朴で、夢幻の空想。 そして、二度と抜け出すことを許さない、蟻地獄。 『…おいで』 こちらに伸ばされた手に、そっと指を絡める。 ふ、と視界が暗くなって、目を閉じた。 唇に触れた柔らかな温もりは、微かに塩っぱい味がした。

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