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第5話 万華鏡ナイトデート①
「えっ?」
こっそりと盗み見た小山田の横顔は、額からあごにかけてのラインがきれいで、すっくりと首がのびている。
「だから帰りに合コン来てってば。原が俺に来いってうるさいんだけど、あと一人足りないみたいだから。仁木、用事あんの?」
「……」
用事があるかと訊かれれば、それは何もない。
授業は体育で、今日は男子は柔道だった。隣に並んでいた小山田が、何とはない日常会話みたいに話しかけてくる。
「カラオケくらいだし。相手は聖マリア女学院だって」
「あの……」
「電車ですぐだし、良いよな?」
小山田の目に俺はどう映っているのか、どうも合コンなんか行くタイプじゃないってことくらい、誰にだって分かりそうなのに。
その無邪気にきらりと光る瞳は、俺の言葉を先回りして止めてしまう。
いつか何処を探しても小山田がいない日が来て、そしたら、今日の時間も思い出になるだろうか?
どこか曖昧に言葉にならずに、揺れている想いが、ちくり胸に痛い。
この想いは小山田に届く前に、どこにも辿りつかずに、サヨナラすら告げることなく封印するもの。
「ストレッチ始め!」
俺が小山田にはっきり返事をしてしまう前に、体育教師の堺は四十代半ばの日焼けした姿で、太い声で号令をかけた。
俺は剛田と二人一組になっていたが、小山田から思いもかけない誘いを受けて、うっかりしていた。
剛田が開脚しているところに、ぐいと押し込めるところへ掌を入れて押してしまった。
「いってぇ!いだだだ!」
短髪のごつい体が叫ぶと、パッと何人かが振り返って、俺は慌てて手を離した。
「ごめん」
「なんかグイッと来たぞ。優しくしろよぉ」
「ごめんってば」
「よし、今度は俺がやり返したる」
剛田はにやりと笑った。
俺は開脚すると腰から前へ追って肘をついた。剛田に押されるまま、そのままぺたんと床に伏せた。ふう、と息を吐くとそのままストレッチを続けた。
「えっ、仁木すげぇじゃん」
剛田は面白そうに、ぐいぐい押してきて、さすがにちょっと振り返って視線で抗議するけど、剛田は何か可笑しそうに、にやっと笑うだけだった。
教師の堺が見回り終わって、前に立った。
「今日は、背負い投げで相手を背中に乗せるところまでやるぞ。相手の衿をこう手で取り、身を返して相手の下に入って背中に引き寄せる。この時、背負われる側は足で踏みとどまってもいい」
「おしっ」
剛田が俺を立ち上がらせて、向き合う形になった。
「仁木、いくぞ!」
「えッ、待……」
橋田にいきなり衿をつかまれて引き寄せられ、思わず、バン!と足で踏んだ。
「剛田!」
見た目通りにすごい力で、剛田は衿を引いたまま、俺は踏み留まったまま、睨み合う。
「あ、意外とやるなぁ。細っこいのに」
「そういう問題じゃないだろ!」
試合開始も始まっていないのに、突然向かってくるなんて。
剛田は構わずに、片頬で笑うと、衿をぎゅっと掴んでくる。
何を考えているのか量りかねてされるままになっていると、ぐいっと背中に乗せられた。背負い投げのかたちだけど投げるつもりなのか、ここで留まるつもりなのか。
なんだかそのまま投げられそうな勢いになって、反射的に逆らって、剛田の技をサッと外した。
次に衿をとる時に、剛田が組手にして、足を刈ってきた。
「なんだッ!」
剛田を睨み、俺はバランスを欠いたのを踏みとどまった。
剛田の太い首の衿をとり、お互いに向き合うかたちになる。
即座に、剛田が動き出したので組み合いとなって、その瞬間に、間髪入れずに身体が反応していた。
「うぉッ!」
しまった――と思った時には、剛田の身体が宙を舞っていた。
ぐるりと回った剛田がバンと受け身を取ると同時に、床に身を打ち付けてダメージがないように、つかんだ剛田の片手をぐいと引き上げた。
「ごめん!」
辺りはシーンと静まり返っていて、剛田だけが立ち上がりながら、にやにやと俺を見ている。
やってしまった――
「うおー、びっくりした。強いなぁ」
小山田がびっくりしたような瞳で俺を見つめている。
なるべく目立たないようにやって来たのに、それを突然に技をかけてきた剛田を、恨むような気持ちで睨んだ。
「まぁまぁ怒るなよー」
「こらお前ら!勝手に試合すんな!」
「すみません」
とりあえず堺に向き直って謝った。
「あれは剛田が悪いよー」
カラオケルームで、隣に座っている小山田が、ポテトを長い指先でつまみながら話している。
目の前で並んで座っている聖マリア女学院の女の子たち四人とも、一斉に小山田を見ている。
放課後、帰ろうとしたところを小山田優の笑顔につかまえられた。
にっこりと笑って腕をつかまれれば、俺にはもう選択権なんかないのと一緒だった。結局、こうして合コンに来てしまった。
男のメンバーはやっぱり原と剛田と小山田。それに付け加えて、俺。
「何?小山田くん」
小顔ボブショートの子が身を乗り出して来て、小山田に訊いた。
「いや、体育で剛田がいたずらしたから、仁木に投げられちゃったの」
「うそー?仁木くん、投げちゃうの?剛田くんて重そうだよー」
「前から仁木が、やる目してるなって思ってて。んで、仕掛けたくなった。すまん」
と言いながら、剛田はちっとも悪びれた体なんてない。
「いやでもあれだ。最後に俺の身体引き上げたの、あれは手垂れだな。投げるだけなら出来るけど、最後の気遣いは経験積んでないとな」
「細いのに不思議だなー」
小山田優が俺の腕をつつくのに面喰って後退った。こんな場所で赤面してる場合じゃない。
俺は訥々と説明した。
「……あの、外側の筋肉はあんまり必要ないから――内側がしっかりしてれば……。俺は合気道と剣道やってたから……。段持ちだし……だから、咄嗟でも俺から投げたりしたらいけなかった。ごめん」
「わ、そうなんだー。仁木くん、見た目とイメージ違う」
「仁木って脱ぐと細マッチョ?なんでそんなにしてんの?」
小山田優が手を伸ばして触ってきそうだった。
「……ッ」
俺は思わずカバンを引き寄せて胸に抱き締めた。
「前――祖父が、道場やってたから――通わされてただけ……」
「あー、遺伝な」
剛田は脚を組んで、俺をじろじろと見た。
「ちょ、今日、俺が主催したのに!俺ずっとのけ者じゃん!」
原が端から、たまりかねたように言って、俺から視線がそちらに移って、俺はホッとした。
テーブルをはさんで座っている女子たちのクスクスとした笑い声。
始まっていくカラオケの音。
小山田が隣に座っていて、アイスティーを飲んでいる。
そんなことのすべてが、頭をぐるぐるとさせて、いつまでここにいて、いつまで過ごせば良いのか苦しくなってくる。
小山田とふとした瞬間に目が合えば、ふらふらとして俺の軌道はずれてしまいそうになる。
胸が熱くて、唇が渇いて、ただ苦しい。
なのに、これほど近くにいる瞬間が、ただ心弾んで、鼓動を止められない。
茶色のくせっ毛の明るい瞳をした端正な横顔を見上げて、俺はただ息も止まりそうに、鳴り響く音楽の中で身を沈めていった。
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