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第59話 スリーピーホロウ2p
このアパートは玄関口から入って直ぐに水回りがある。
天谷が見ると、日下部がガス台の横に設置された一人暮らしにはまあまあの大きさの冷蔵庫を開けてコンビニ袋の中から取り出したものを冷蔵庫の中に詰め込んでいた。
「靴脱いで早く中入れば」
日下部は冷蔵庫に首を突っ込みながら言う。
天谷は言われた通りに靴を脱いで、はだしのまま玄関口から上がった。
天谷はひやりとする床を見下ろす。
水回りのフローリングの床はきちんと磨かれていた。
このまま寝そべったら気持ちがいいだろうに、と天谷は考えて顔を綻ばせる。
一人でにやけている天谷に、日下部がグラスが二つ乗った盆を差し出して「飲みもの、入れたから持ってって」と言う。
天谷が見ると、グラスの中身は麦茶だった。
天谷は無言で盆を受け取ると、磨りガラスの嵌められた襖を、盆を持っていない方の手で慎重に開き、部屋の中へ入った。
天谷が久々に見る日下部の部屋。
見慣れたソファーにベッド、フローリングに引かれた麻のマット、雑然としているようで実は片付けられているこの部屋。
天谷がどこよりも落ち着ける場所。
ここでなら、と天谷は思った。
天谷は盆をソファーの前にある黒いテーブルに置くと、硬いソファーに腰を下ろした。
(このソファーも久しぶりだな。こんなに硬かったっけ?)
天谷はソファーを手で撫でつけてみる。
ソファーの滑るような手ざわりが心地良かった。
と、日下部が襖を開け放って部屋に入って来た。
襖を開けたことで六畳ほどの部屋が水回りと一体となって広くなる。
日下部は天谷の正面にクッションを置いて座るとグラスを手に取って口をつけながら、「それで、何の用?」と訊いた。
訊かれた天谷はコホンッと咳払いをして、「えっと、学校の課題、日下部んちでやらせてもらえないかなと思って」と言った。
「ああ、課題。頭の中に浮かんだ物を絵に描くってやつか。別に良いけど、何でうちでな訳? わざわざ俺の所に来なくても、課題くらい自分のうちでやればいいじゃん」
もっともな日下部の台詞に天谷は、「うっ」と声を漏らした。
「何だよ、何があるんだよ」
日下部は興味深々に追及する。
「う、俺のうち、G氏がいるんだ」
天谷は遠くを見る目で言った。
「ジー氏?」
「うん、イニシャルG氏」
天谷の台詞に日下部はやっとぴんと来たようで、なるほど、と手を打つ。
「殺せば良くね」
「お前、一寸の虫にも五分の魂たぞ。それに、どこに行ったかわからないし」
「探せよ」
「嫌だよ、見つけたら怖いだろ! G氏がいると思ったら自分の部屋で課題に集中出来なくてさ。だから、日下部の部屋で課題やらせてもらえたら助かるんだけど……」
天谷は上目遣いに日下部を見て言う。
日下部はため息をついて、「わかったよ」と言った。
「ありがとう。じゃあ、早速」
天谷は鞄からスケッチブックと筆箱を取り出す。
そして、筆箱をテーブルの上に、スケッチブックを膝の上に置いて課題の絵を描き始めた。
スケッチブックの上には薄い下書きが描かれていて、天谷はその下書きの上に鉛筆を走らせる。
日下部は麦茶を飲みながらしばらく天谷の様子を見ていたが、グラスが空になると「俺も課題やっちまおうかな」と立ち上がって、棚からスケッチブックと、鉛筆と消しゴムの詰まったガラスのコーヒーの空き瓶を引っ張り出して机に広げた。
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