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第1話

「俺が今まで長年研究を続けてきた成果がついに出来上がった。完成だ。見たまえ。」 部屋に入ってくるなり、その少年は僕に言った。刈り上げの入った長髪ヘアにクリッとした瞳。さながらお坊ちゃんのような風貌ではあるが、それには似つかわしくない白衣を着ている。 その小さな手は僕の眼前に突き出されており、手のひらの上に小瓶が乗っていた。 「亜門教授。これはなんですか?研究ってこの小瓶のことですよね?中に入っている液体は一体なんなのでしょうか。」 そう、この人こそ知る人ぞ知る、埼玉藤吉大学生命科学部人生態科の名誉教授。亜門秋久(あもんあきひさ)その人である。弱冠9歳にして同大学で博士号を取得して以来、教授として教鞭をふるっている。現在でもまだ17歳。驚異の若さであるにも関わらず、彼はその専門分野において多数の論文を発表しており天才の名をほしいがままにしてきた。 教授は手の中の小瓶を軽く一振りし、そして僕に見せつけるようにゆっくりと目の高さまで持ち上げる。 「峯芝君、君は今まで何年間この研究室にいたんだ?ん?教授が何の研究をしているかなんて、学生なら把握しておいて当然だろ。」 僕は同じく藤吉大学の学生で峰芝悠(みねしばゆう)。今はこの亜門教授の研究室でお世話になっている。子供の時は僕も神童などと呼ばれていたし、実際亜門教授に会うまでは自身より頭のいいと感じる人はどこにもいなかった。亜門教授は研究においては僕なんかは足元にも及ばない。尊敬できる人ではあるのだけど…。 理不尽な言い方をされて僕は怪訝を露わにした顔で教授の顔を覗き込んだ。あからさまな抗議の態度を示したにも関わらず、教授は意に介さないといった感じで話を進める。 「はぁー。まぁいい。とにかく完成したんだよ。この小瓶の液体だ。俺の研究の集大成と言っていい。」 そう言われ、改めて小瓶をまじまじと見つめるが、僕にはそれが何かハッキリとはわからなかった。瓶のキャップの部分が噴射口のような形になっている。香水かな?と思った。 チラリと目を横にやると教授と目があった。研究の話をしている時、教授はまるで子供のようだ。目はいつもキラキラしている。いや、まぁ実際まだ子供なんだけど。 「はぁ、そうですね。すいません。よくわからないです。」 予想で答えることもできただろうけど、そんなことをしても大抵ろくなことにならない。 「恥ずかしながら僕にはその瓶の中身が一体なんなのか、わかっておりません。まことに申し訳ありませんが、その液体について、そして亜門教授の偉大な研究について、ひとつ私めに教えていただけないでしょうか?」 僕は教授と一緒に研究をするようになって、結構長い。つまり教授の扱いには長けている。この様にへりくだった言い方をすれば、簡単に答えを教えてくれることを知っていた。 「んー。なかなか殊勝な態度じゃないか。まぁそこまで言うならいいだろう。俺がこの液体がなんなのかについて、ひとつ講義してやろう。」 ほらね、ご覧の通り。 教授はパーっとご機嫌な顔つきに変わった。 話し方などは大人ぶって偉ぶっているが、結局のところ、こういう部分ではまだまだ子供、非常にちょろい。いや、それどころか同年代の子達より幼いところがある。でもそこが素直で可愛いとも思う。 「あー、そうだな。まずはこの研究室について。何を研究しているところだ?答えろ。」 「流石にそれは僕だってわかります。バカにしないでほしいですね。 この研究室は我々人間の生態、特にアルファ性・ベータ性・オメガ性と呼ばれる性質と、またそれに起因する社会性・文化性について多岐にわたって研究を行っています。 特に教授の専門分野はアルファ性、オメガ性における性に関する性質についてです。両者はベータ性と異なり両性有具を備えており。俗に「つがい」と呼ばれる、アルファ–オメガ間でしか起こり得ない特殊な性関係を結ぶことができると言われています。僕はアルファ性なので教授の研究対象になるわけですね。」 「そうだ。俺の研究についても問題ない。まぁこれは答えられて当然の問いだったな。 さて。では次だが、アルファ–オメガ間における特殊な性関係とはいったい何か?」 「はい。オメガ性には三ヶ月程度に一度の発情期があり、その間アルファ性・ベータ性を強烈に惹きつけるフェロモンを発生させます。これはアルファ性・ベータ性に自分自身を襲わせていると言ってもいいでしょう。 そして襲わせた相手がアルファ性の場合のみ、つがいと呼ばれる関係になることがあり、生涯を共にすることになります。アルファ性とつがいになったオメガ性は、その後フェロモンを出すこともなくなります。 つがいになれるのはアルファ性だけなのにも関わらず、ベータ性も惹きつけてしまう点が不思議ですよね。」 「そうだな。オメガ性は身体が小さく、社会的な地位が低いことが多い。そんなオメガ性が自分自身を守る術。それがフェロモンだったということだろう。アルファ性とつがいになることにより、オメガ性は生き残ってきたのだろうな。 ただアルファ性からしてみればオメガ性とつがいになるメリットはどこにあるのか?それはまだ研究段階となっていて、わかってないことも多い。 ちなみに俺はこう見えてもベータ性だからな。つがいという概念は自分にはわかることがない感覚で興味深い。 次が最後の問いとしよう。そのフェロモンとは具体的になんのことなのか?」 「オメガ性の汗ですよね。しかも、ある論文では脇の下、股の間、首の後ろの三箇所から出る汗にフェロモンの成分を多分に含んでいると報告がありました。この分野で面白いものとしては、オメガ性が多く分泌しているホルモンを注射することで、アルファ性やベータ性でもフェロモンを含んだ汗を出すことがある、という報告もありましたね。」 「あぁ。その論文なら俺も読んだ。性を決定づけるのに最も重要なファクターは遺伝子だ。それは揺るがない。だがホルモンバランスによって後天的に性が変わったという事象もある。それはフェロモンだけでなく性器などの身体的特徴についてもだ。必ずと言うわけではないのだろうが、きっかけがあれば他の性への転換も可能なのかもしれない。この事象についてもいつか研究したいと思っている。」 教授は研究のこととなると本当に嬉しそうに話す。なんだかんだ僕も研究が好きだし、よく話が合うと思っている。 「でだ。この小瓶の中身はもうわかるだろ?」 なるほど。ここまできたら確かに答えを聞いたようなもんだ。 「もしかして…。その小瓶の液体はオメガ性の汗ですか?」 「そのとおり。しかもそれを凝縮したものだ。 知り合いにオメガ性の子がいたので協力してもらった。フェロモン成分のみの抽出には苦労したが、それだけにこの液体はやばい。」 「あっ!もしかしてこの間のかわい子ちゃんですか?なんだ。実験の協力者だったんですね。教授にもいよいよ春が来たのかと思いました。」 「ば、馬鹿を言え。あの子はまだ14歳だぞ。それに帯金准教授のお子さんだ。フェロモンは子供の方が強い言う話があるからな。実験に協力していただいたのだ。」 「たった3歳差じゃないですか。全然大丈夫ですよ。犯罪にも当たりませんよ?」 「ふざけるんじゃない。俺にだって好みのタイプというものがあるんだよ。勝手に勘違いされても困る。」 「ハハハ、冗談ですよ。そんなムキになって反論しなくてもわかってますから。」 おそらく初恋もまだなんだろうなと思う。研究ばかりに没頭していた人だから、他人を好きになるということがわからない。しかも自身は頭が良すぎるために同じ次元で話ができる人がいなかった。天才ゆえの孤独。 教授はバツの悪そーな顔でゴホンと一回咳払いした。 「それで、ここからが本題なんだが…。」 「本題?研究の成果を自慢しにきただけじゃないんですか?」 「この小瓶は研究の集大成でありながら、まだ大切な行程を一つ終えていないのだよ。 凝縮されたオメガ性のフェロモンエキス。それを使用した、いわゆる香水であるわけだが、果たしてこれをふりかけた場合にアルファ性に対していかほどの効果を発揮するのか?」 「えっ…。」 それを聞いて僕はすぐに教授の考えに気づいてしまった。 「ふふん。なるほど。どうやらその顔はわかったようだな。俺が君に会いにきた本当の理由が…。 君はほんと勘が鋭い。」 ニヤリと笑った教授の顔が、悪魔のように見えた。 …

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