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第5話
次の瞬間、ガスッ!という音がし、雪柊はゆっくり目を開けた。雪柊の横にばたりと坊主頭の男が倒れた。
「な、なんだてめー!」
雪柊は目を上げると、三人組とは違う紺色の詰襟の制服と赤毛の髪が目に入った。
男は三人組を汚い物を見るように、据わったような冷めた目を向けている。
男は何も言わず、三人の男を容赦なく殴りつけたと思うと何度も腹に蹴りを入れている。
三人組は意識を失ったのか、ぐったりと地面に倒れていた。
「クズやろーが……」
最後にまた坊主頭の男の腹に蹴りを入れると、ううっ…と呻いた。
助かったと思った雪柊だが、震えは止まる事はなかった。
「大丈夫か?」
男は近付き、しゃがみ込んで雪柊と視線を合わせた。
殴られ血が滲んでいる口の脇を親指が触れる。
まだ先程の恐怖心からか肩がビクリと大きく揺れた。
「怖かったな」
そう言って優しい笑みを雪柊に向けた。
その顔を見た瞬間、雪柊の目から涙が溢れ思わずその男に抱きついた。声を出して泣きたいのに、嗚咽だけが漏れる。
ポンポンと背中を叩かれると、男は一旦離れ制服の上着を脱ぎ雪柊の肩に掛けた。脱がされたズボンと下着を持ってくると、雪柊に渡す。
泣きながらそれを履いて、立ち上がろうとしたが腰が抜けたようで、立ち上がる事が出来なかった。
「ほらよ」
男は雪柊に背中を向けてしゃがんだ。
男にしがみつくように背中に乗る。雪柊を背中に乗せると立ち上がり、送って行く、そう言って歩き出した。
雪柊は男の背中に頬をつける。
制服の内ポケットの文字が目に入った。
《村上九十九》
(むらかみ……きゅうじゅうきゅう?)
小学生の雪柊には、九十九と書いてツクモと読むには難解であった。
「家、どこだ?」
「……曙町の……住宅」
「歩いてすぐだな」
男は雪柊を気遣うようにゆっくりと歩く。
背中の体温と薄っすらタバコの匂いが鼻に付き、その中に柑橘系の爽やかな香水の香りもした。
その背中の心地良さと泣き疲れた瞼の重さで眠気が襲う。
「おい、寝るな……」
男に揺すられる。急に雪柊の全体重を背中に感じ、寝そうになったのに気付いたのだろう。
「そこの角の家」
近くまで来ると、降りとくか?そう尋ねられ、雪柊は頷く。
背中から降りると、そのまま男は雪柊と目線を合わせる。少し困ったような顔をしている。
「親御さんに……オレから何かあったか説明するか?」
雪柊は大きく顔を横に振る。男に犯されそうになったなどと知られなくない。
「ケンカしたって言うから……いい」
雪柊の目に男の黒いローファーが目に入る。
不意に男の両手が雪柊の頬を包んだ。
「強くなれ、男なら強くなれよ」
男は真っ直ぐ雪柊を見つめられ、雪柊は男の目力の強さに吸い込まれそうになる。
男は立ち上がり、雪柊の頭にポンッと手を乗せた。
「これ……ありがとう」
掛けられていた上着を脱ぎ男に渡す。男は黙って受け取ると制服に腕を通した。
「じゃあな」
今度は頭をくしゃりとされ、条件反射で思わず目を瞑る。
目を開けると男はすでに自分に背を向け、来た道を歩いている。
雪柊は男が見えなくなるまでじっと男の後ろ姿を見つめていた。
(オレは……強くなる……あんたみたいに強くなりたい)
雪柊は家族に強請るという事をしない無口な子供だった。だが初めて両親に、空手を習わせてほしい、と言った。決して裕福ではなかったが、両親と姉は今まで一度も言った事のない雪柊の必死な懇願に驚きつつも、渋りながらも通わせてくれる事になった。
格闘センスがあったのか、雪柊はめきめきと上達していった。
村上九十九のいる大森中入学を目前に控え、毎日ケンカに明け暮れた。時には高校生を相手にして、返り討ちにあった事もあったが、中学生相手には負け無しであった。
村上九十九にタイマンを挑み、強くなった自分を認めてもらう。それだけを目標にここまできたのだ。
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